SOLD
ABARTH 595
ASK
お問い合わせ
戻る
メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
ABARTH 595
ボディタイプ
外装色
ネロ
年式
1970.0 年型
走行距離
不明
乗車定員
4.0 名
サイズ
長 302.0 cm 幅 132.0 cm 高 133.0 cm
エンジン形式
排気量
590.0 cc
馬力
トルク
車検
令和7年5月
ハンドル
駆動区分
後輪駆動
輸入区分
中古並行輸入
内装色
レッド
燃料区分
ガソリン
幌色

740CC エンジン、5速ミッションに換装、オリジナルエンジン、ミッション、メーター、ショックございます。

エンジン、ミッションマッチングしております。


1949年、カルロ・アバルトにより設立されたアバルト社は、彼の誕生月が蠍座だった事からそのエンブレムに蠍をあしらい、ショーカー及びレーシングカーを製作する一方で、その名が知られていたエキゾースト・システムなどの製造販売を主としていた。1955年のジュネーブショーに、ダンテ・ジアコーザ技師設計によるベーシック・カー「フィアット600」が発表され1957年夏には更に小さなボディをもつ「フィアット500」が発売されると、これらをベースとして以後10年以上にわたり、そのチューニング技術を活かし、この「フィアット500/600」をより魅力的なクルマに仕上げてデリバリーする事を始める。当時、イタリアが目覚ましい経済成長を遂げ始めていた事も、アバルト社にとっては追い風となっていた。経済的活況の中、2車種のフィアット車は販売を伸ばし、その中からモータースポーツへと進むエンスージアストも登場した。この流れによりアバルト社は「フィアット600」をワークスカーのベースに、「フィアット500」はアマチュア・レーシングドライバー用にマフラーなどチューニングパーツを提供する事で対応した。アバルト化したチューニング・フィアットは、より大きな排気量を持つモデルを追いかけ回し「ジャイアントキラー」とよばれ存在感を見せ始めていた。当時のヨーロッパでは、国際耐久速度記録への挑戦が盛んに行われ、アバルト社では1956年からカロッツェリア・ピニンファリーナによる空力的なボディに「フィアット600」のエンジンを搭載した「レコルト・エンデューロ」で挑戦していた。19582月になると「フィアット500」のボディをそのまま使って、モンツァ・サーキットのバンクカーブをもつオーバルコースに於いて350500ccクラスの7日間の連続高速走行にも挑戦した。この挑戦に使われたのは「フィアット500エラボラツィオーネ・アバルト」というモデルでエンジンの圧縮比をノーマルの6.55から10.5まで高め、燃焼室の形状と吸気マニフォールド、排気システムを最適化し120km/hの最高速度を発揮した。この挑戦で18186.44kmの距離を走り、6個の国際記録を更新し、その間に平均速度108.252km/hを達成した。記録に挑戦していることが話題になると、モンツァを訪れる取材陣の数は日を追うごとに増え、これを知ったフィアット社はアバルト社への援助を決めるとともに「フィアット500」の広報手段として活用することとなる。これを機に2社間の関係は深まりを見せ、アバルト社がチューニングしたフィアットで参加するレースに勝利する、或いは国際記録を更新するたびに、フィアット社は一定額の褒賞金を支払っていた。こうしてフィアット社とアバルト社の良好な関係が続くのだが、両社によるコラボレーションともいうべき「フィアット500」のスポーツグレード「500スポルト」が存在していた為、アバルト社によるコンプリートモデルの販売は、このモデルの生産終了を待つ必要があった。パーツの販売のみならず「フィアット600」をベースにコンプリートカーを販売していたアバルト社は、1962年に「500スポルト」の生産が終わると、いよいよ「フィアット500」をベースにコンプリートモデルの発表に踏み切った。そのモデルが「フィアット・アバルト595」となり19639月のトリノショーで発表され、時を待たずに競技用ホモロゲーション獲得に必要な1000台の販売を目指した。「595」の車名は、搭載するエンジンの排気量に由来し、吸排気系をチューニングすることでベースモデルの5割アップとなる最高出力を発揮し、1ccあたり1000リラに相当する595000リラでデビューと同時に、ファンからの絶大な支持を得た。翌年2月には、更に高性能となる「フィアット・アバルト595SS」を追加し、同排気量エンジンの圧縮比を更に高め、キャブレターをソレックス34PBICに換装、吸排気系の効率アップにより32馬力を発揮し、最高速度130km/hをマークするに至った。「フィアット・アバルト595」のエクステリアは、ベースモデルの「フィアット500」のボディワークがそのまま用いられ「595SS」と等しく、ゴム製のフックで固定されるエンジンフードと、そのフードに取り付けられた車名バッジ、リアフェンダーのエンブレムが異なるのみとなり、オプションでカンパニョーロ製のマグネシウム合金製ホイールが装着出来た。1964319日に行われたモンツァ・サーキットのレースで「フィアット・アバルト595」は勝利を挙げると、イタリア国内におけるツーリングカー選手権の600ccクラスでチャンピオンを獲得し、軽量なボディとシンプルなエンジンをもつ「フィアット500」故、他のチューニングメーカーの参戦もあったが、その先、何年間にもわたってアバルト社がその座を譲る事は無かった。1965年には「フィアット500」が「フィアット500F」に移行し、この年の3月からアバルトモデルもベースモデルにならってドアの開閉用ヒンジがボディ前方に移動し、現在のクルマと同じくドア後方が開く構造となった。この新ボディは、ボディ剛性が格段にアップしたのだが、その代償として20kg重量増となってしまった。これに対応してキャブレターを換装するなど対策を施し2馬力のパワーアップが図られている。あわせて12インチのホイールがオプション設定され、ロードホールディングとブレーキ性能が向上した。1968年になるとベースモデルが「フィアット500L」という装備の充実したグレードを追加する。車名の「L」はイタリア語の「ルッソ」を意味し、「豪華」を表す言葉となる。「アバルト595/695」はともに、この「500L」をベースとしボディのウエストラインに車名ロゴの入ったサイドストライプとフロント・ボンネット上に蠍のデカールをレイアウトした。1971731日にカルロ・アバルトが、アバルト社をフィアット社に売却すると、傘下におさめた親会社フィアットにより、同年12月には「アバルト595/695」は生産中止となり、アバルト社はフィアット社のコンペティション活動に専念するとともに、コンプリートモデルの生産は終了となった。「フィアット・アバルト595」が搭載するエンジンは、空冷直列2気筒OHVでボア×ストローク73.5mm×70mmのとなり593.707ccの排気量を得る。ソレックス製C28PBJキャブレターを備え、最高出力27馬力/5000rpmと最大トルク4.5kgmを発揮する。このエンジンは一体鋳造による専用シリンダーが採用されている。クランクシャフトやコンロッド、吸排気バルブはベースモデルからの流用となるが、ピストン、カムシャフト、キャブレターは新規に製作されたものとなり、この排気量からするとキャブレターは大径なサイズとなる。アバルトが得意とするエキゾーストシステムは、勿論「マルミッタ・アバルト」が採用され、アルミ製の深いオイルパンも専用装備となっている。組み合わされるトランスミッションは4MTとなる。足回りは、フロント・ウィシュボーン+横置きリーフスプリング、リア・スウィングアクスル+コイルスプリングとなり、ブレーキは前後ともにドラムブレーキを装備する。ホイールは4.5J×12インチサイズが採用され4輪ともに125×12サイズのタイヤが組み合わされている。今回入荷した車両には4輪ともに、アバルトに良く似合うデザインのBWA4.5J×12インチサイズのホイールに145/70-12サイズのタイヤが装備されている。インテリアは、黒いエボナイト製もしくはウッドリムをもつ3スポークステアリングが備わり、それは1968年以降にはより小径のレザーリムをもつステアリングに変更されているシフトノブについては、オリジナルは唯一、ベースモデルの「フィアット500」から継承された蠍のエンブレムの無いタイプだったといわれている。ステアリングホイールを通してメータークラスターに配置されるメーター類は、アバルト社のテクニカルディレクターとして有名なマリオ・コルッチ技師による設計とされるもので、大径のレブカウンターとスピードメーターに挟まれて、小径の上に油温、下に油圧のメーターがレイアウトされる。これらのメーター類は繊細なレタリングが特徴のイェーガー製となっていたが、後にレブカウンターとスピード、油圧メーターがVeglia製に変更され、サイズやレタリングも異なるものとなる。エンジンを始動させる為のスターターはシフトレバーの後方に位置するレバーとなっている。反対側のドアにまで手の届く広さのキャビンはベースモデルの「フィアット500」と共通となり、大人4人が何とか乗車できるパッケージレイアウトは、ダンテ・ジアコーザの設計によるところとなる。今回入荷した車両にはオリジナルの雰囲気を尊重しながらも「MOMO」製「プロトティーポ」ステアリングとスパルコ製アルミペダルが装備されスポーティなインテリアとなっている。全長2970mm×1320mm×1300mmとなりホイールベースは1840mm、トレッド前1181mm、後1175mm、車両重量470kg(乾燥重量)、燃料タンク容量は21となっている。メーカー公表性能値は、0100km/h加速25.4秒、最高速度121km/hとなりベースモデルの18馬力エンジン搭載の「フィアット500」の最高速度100km/hに対して、大きくパフォーマンスアップが図られている。軽量ボディとリア・エンジン、リア・ドライブで空冷のパワーユニットといえば「ポルシェ」が思い浮かぶ。アバルト社を設立したカルロ・アバルトは、19081115日にオーストリアハンガリー帝国生まれで、元は「カール・アバルト」という名前をもち、イタリアに帰化して「カルロ・アバルト」と改名した。一方、ポルシェ社の創設者フェルディナント・ポルシェは187593日に同じくオーストリアハンガリー帝国で生まれている。オーストリアハンガリー帝国はハプスブルグ家が統治し1918年解体されるまで、音楽、美術文化、技術分野の振興が図られて繁栄し、歴史に残る作曲家、芸術家を多く輩出ている。親子程、異なる年代に生まれた2人の技術者だが「ポルシェ356」の開発に関わったフェルディナント・ポルシェの息子、フェリー・ポルシェは19099月生まれとなるのでアバルトと近い世代となる。同じ国に生まれた技術者が、それぞれの置かれた異なる環境の中でスポーツモデルを生み出すにあたり、同じアプローチで挑む事になったのがとても興味深い部分となる。現在販売されている軽自動車に比べて「フィアット・アバルト595」は、さらにひと回りコンパクトに感じられるボディを持ちながらも、存在感にチープな感じは全く無く、遠目にみてもしっかりとしたキャラクターを感じさせる。近付いて小柄なボディのドアを開きドライバーズシートに腰を下ろすとルーミーなキャビンにより全方向の視界は、とても良好となっている。イグニッションをオンにして、シート間にあるスターターのレバーを引き上げると小排気量を忘れさせる迫力あるサウンドを伴って2気筒エンジンのアイドリングが始まる。床から生える華奢な造りのアクセルを煽ると軽快なピックアップでエンジンが反応を返してくる。何処か長閑なレスポンスとなるベースモデルの「フィアット500」とは別物となる。走り始めると、わずか500kgたらずの車重をもつボディを振るわせながらの弾ける様な加速感は、キャビンに響くエンジンやトランスミッションのノイズに増幅され、かなりのスピード感を味わう事が出来る。ステアリングの重さは車両が動いている間は、それほど重く無くシャープな切れ味というタイプではないが、短めのホイールベースと細めのタイヤによるコーナリングは軽快となり、スロットルオフでコーナーに入ると気持ち良く旋回していく。小型のボディにより路面の車線幅が広く使えることで、なるべくエンジン回転を下げない様なラインどりを狙い、走らせる楽しみは最高な時間となる。精一杯エンジンを回しきっての全開で走る楽しみというのは、なかなか現代のハイパフォーマンスモデルでは出来ないモノとなってしまった。それを「アバルト」のモデルで体感出来るのは、とても貴重な時間といえるかもしれない…