サイズ
長 390.0 cm 幅 159.0 cm 高 129.0 cm
水平対向6気筒エンジンを搭載する「ポルシェ911」は、1984年に登場した空冷3.2ℓエンジン搭載モデル以降「カレラ」という名称を「911カレラ」という車名として用いてきた。エンジンが水冷化されてからも、その名称は引き継がれ現代の最新型にまで至っている。しかし本来「カレラ」とは、ナロー時代のトップモデルである1973年式「カレラRS2.7」の様に、高性能モデル、もしくはコンペティションモデルの少量生産車のみに使われてきた、ポルシェ社にとっては特別な敬称となり、その始まりは「911」の前身となる「356」にまで遡る。「カレラ」とは、スペイン語で「競争」を意味し、1950年代前半にメキシコで行われていた公道レース「カレラ・パナメリカーナ」におけるポルシェの活躍が発端となっている。1953年、このレースでプライベート・ドライバーが走らせる初期型「ポルシェ550クーペ」が、1500ccクラスで優勝する。衝突事故の多発により「カレラ・パナメリカーナ」最後となってしまう1954年のレースには、4カムシャフトによりDOHC化された1.5ℓ新型エンジンを搭載した、ワークスの「550スパイダー」が参戦し、1500ccクラスで1-2フィニッシュを勝ち取り、総合でも4ℓエンジン搭載のフェラーリ2台に続いて3、4位を獲得する活躍を見せた。この時「550スパイダー」に搭載されていた新型エンジンは、後にポルシェ社の社長にも就任するエルンスト・フールマン博士の設計による、547型とよばれるベベルギアとシャフトにより4本のカムシャフトを駆動する、1.5ℓ空冷水平対向4気筒DOHCによる、ドライサンプ式の高性能ユニットだった。フォルクスワーゲンのパーツを流用する事に端を発するOHVとは異なるこのエンジンを「356」に搭載し、販売したモデルが「356A 1500GSカレラ」であり、このクルマこそがメキシコでのレースの勝利に由来する「カレラ」と名付けられた最初のポルシェとなっている。本来、547型エンジンは「356」に搭載することを視野に入れて開発されたものでは無かったが、フールマン博士は自身が所有する「356」にこのエンジンを搭載してテストを繰り返していた。このテストから、リアのオーバーハングの重量が増える事による、ハンドリングの悪影響は軽微に過ぎず、低速域での扱いやすいエンジン特性である事も確認していた。これを受けて1954年リエージュ-ローマ-リエージュ・ラリーに、旧社屋のあったグミュント時代のアルミボディをもつ「356」に547型エンジンを搭載し、フシュケ・フォン・ハンシュタイン/ヘルベルト・リンゲ組のドライブで出場すると、1.5ℓクラスで優勝という快挙を成し遂げた。ポルシェ社は547型エンジン搭載の「356」をGTカテゴリーでレースに出走させる事を考え、当時のホモロゲーション取得に必要な年間100台の生産を決定し、1955年9月のフランクフルトショーでリニューアルされた「ポルシェ356A」とともに、正式に「356A 1500GSカレラ」としてデビューさせた。このモデルは当時、クーペ、カブリオレ、スピードスターそれぞれのボディを注文する事が可能となっていた。また1957年7月からは、この「356カレラ」は「カレラ・デラックス」と「カレラGT」の2グレード展開とされた。「カレラ・デラックス」仕様はそれまでと同様に公道走行用となるが「カレラGT」仕様では、レース参加を視野に入れたグレードとなり、クーペ、スピードスターをベースにヒーターを省いた排気系を装備し、エンジンは10馬力のパワーアップが施される。80ℓ燃料タンクや強化ブレーキ、徹底した軽量化によりクーペで約65kg、スピードスターで45kg軽い車重を実現していた。1958年には1587ccまで排気量アップされた692型エンジンに発展し、「1600GS」となり115馬力を発揮する。翌年1959年中盤には軽量アルミボディのスペシャルモデル「カレラGTL=カレラ・アバルト」が登場する。これを発展させた「カレラ2000GS=カレラ2」が587型エンジンを搭載して1961年に発表され、ポルシェ4気筒モデルの最終進化型ともよべる「904カレラGTS」へと繋がっていく。今回入荷した1956年式「356A GS1500カレラ」は、ポルシェの技術力の高さをカタチにした、水平対向4気筒4カムポルシェによる「カレラ」シリーズの礎ともいえるモデルとなっている。フロントウィンドウが曲面ガラスとなり小さな丸型テールランプをもつ、ポルシェ社内での開発プログラム番号に由来してT1とよばれるシリーズの、コーチビルダー・ロイター製ボディをもつ2グレード展開以前の貴重な初期モデルとなっている。リアエンジンフード下の「PORSCHE」のエンブレムの下と、左右フロントフェンダーに見慣れた書体の「Carrera」のエンブレムが付き、サイドウィンドウに三角窓が備わらない初期モデルの特徴をもった車両となっている。「356A 1500GSカレラ」に搭載されるエンジンは、タイプ547型を若干デチューンしたタイプで、圧縮比を9.5から9.0に下げられた547型/1とよばれるもとなる。ボア×ストロークは85mm×66mmで1498ccを得るこのエンジンは、0.78というストローク/ボア比をもち、この値は当時としては極端に小さく高回転型を狙ったものだった。半球形の燃焼室をもち、吸気側48mm、排気側41mmという大径バルブを78度の挟み角でレイアウトし、吸排気効率の向上が図られている。バルブ駆動は、レーシングエンジンの為、プッシュロッド式OHVでは適さず、OHCでもバルブ挟み角が大きくなり長めのロッカーアームが必要となり高回転には不利なことから吸排気それぞれのバルブを別々のカムシャフトで駆動するDOHCとされた。バルブはカムシャフトによる直動式とはせずに、短めのロッカーアームを介することでバルブリフト量を増やした構造となる。特筆すべきは、カムシャフトの駆動機構で、フールマン博士の設計は、チェーンを使わずにシャフトドライブとしたこと。クランクシャフトの回転をヘリカルギアを介して、その下のカウンターシャフトに伝え、そこからベベルギアにより直交する左右2本のシャフトを回転させ、その先端で再びベベルギアにより排気側カムシャフトを回転させる。吸気側カムシャフトはヘッド内で、シャフトとベベルギアにより連動するシステムとなり、複雑で緻密な機械式時計を連想させるメカニズムとなっている。クランクシャフトは、ヒルト社製の組み立て式となりコンロッドは一体型で、コンロッドベアリングのみならずメインベアリングにも、ローラーベアリングが採用されているのも547型エンジンの特徴となる。スパークプラグは1気筒あたり2本とされ、イグニッションコイル、ディストリビューターは2個ずつ備わる。左右2つのエアクリーナーの下には、それぞれツインチョークのソレックス40PⅡ(PJJともよばれる)キャブレターを装備し9.0の圧縮比から、最高出力100馬力/6200rpmと最大トルク12.1kgm/5200rpmを発揮する。ダイナモをクーリングファンと同軸に配置し、独特な形をしたファンシュラウドと、大きなシリンダーヘッドが特徴となるエンジンは、クランクケース、シリンダー、シリンダーヘッド、ピストンがアルミ製となり、4速マニュアル・トランスミッションと組み合わされている。足回りは、フロント・ダブルトレーリングアーム+トーションバー、リア・シングルトレーリングアーム+トーションバーとなり、ともに強化、改良されたものとなる。ブレーキは前後ともにアルミ製ドラム式を装備し、ホイールは4.5×15インチとなり、5.60-15サイズのタイヤと組み合わされている。今回入荷した車両にはスティーブ・マックイーンが所有していた「356Aスピードスター」にも装着されていた、純正オプションのセンターロック式のメッキホイールと165SR15サイズのタイヤが組み合わされている。インテリアは、基本的な装備とレイアウトは、ベースとなる「356A」に沿ったものとなり、サンバイザーが装備されるとともに、布製だったルーフライニングは、細かい穴の開けられたビニール製となっている。ダッシュボードのデザインが「356A」から変更され、パッド入りの張り地の付いた“ひさし”が張り出す形状となった。その下のダッシュパネルは“Pre-A”シリーズでは、中央部が一段盛り上がる形が特徴だったが「356A」ではフラットなパネルとなり、センターに引き出し式の灰皿、その上に室内灯がレイアウトされる。助手席前方に位置するグローブボックスリッドには機械式の時計が配置される。ウッド製3スポークステアリングを通してドライバー正面に配置されるメーター類は、3つとも同じ径とされ全てVDO製で縁にはメッキのベゼルが付く。タコメーターは中央にレイアウトされ、ベースモデルでは6000rpm迄で4500rpmからレッドラインとなるが「カレラ」では8000rpm迄スケールアップされ、6000rpmからレッドラインが表示されている。スピードメーターは200km/hから250km/h迄アップされ、メーター類のスケールの違いと長めのシフトレバーの感触の差は、搭載するエンジンのパフォーマンスの違いが垣間見える数少ない部分となっている。エンジンキーはダッシュパネル左側に位置し、これは後に「911」にも通じるポルシェならではといえるレイアウトとなる。レザー張りの大きめのシートは後のレカロ製というだけあって、ふくよかながら適度な硬さがあり、見かけよりホールド性が高い。形状は「356A」と同形状となり、ヘッドレストの付かないローバックの背もたれを持ち、リクライニング可能となる。またリアシートも配置され、フロアはカーペットで覆われている。Aピラーのドアヒンジ部にはコーチビルダー名「ロイター」を示すプレートにシャーシナンバーが打刻され、その下にはボディカラーナンバーを示すプレートが付けられている。︎全長×全幅×全高は3950mm×1670mm×1310mm、ホイールベース2100mm、トレッド前1290mm、後1250mm、燃料タンク容量52ℓで車両重量はクーペボディで880kg、カブリオレ900kg、スピードスター835kgとなる。︎メーカー公表性能値は、最高速度193km/hとなっている。T1シリーズの華奢なドアハンドルをにぎって厚みのあるドアを開けドライバーズシートに腰をおろす。見た目より遥かにホールド感の高いシートからの眺めはルーミーで想像より着座位置は低く感じるかもしれない。ドアを閉めると圧倒的なボディの剛性感が感じられる。生産されてからの時の流れを全く感じさせないソリッドな造りは「911」をも凌駕する程となる。左手でキーを捻りエンジンをスタートさせると、そのエンジン音はベースモデルのOHVエンジンとは異なるサウンドを響かせアイドリングを始める。バッバッバッとややラフな4気筒のビートを感じながら、ブリッピングをすると4カムヘッドとローラーベアリングによるメカニカルノイズと空冷ファンノイズが混じった、金属的でドライなサウンドを奏でる。フロアから生える細いシャフトをもつシフトレバーを1速に入れ、ゆっくりとクラッチをエンゲージすると、ボディが動き出し、レーシングユニットをベースとしながらも、それほど神経質なエンジンでは無い一面を見せてくれる。2000rpmあたりの低回転域でもスムーズに、僅かに踏み込めば踏み込んだだけトルクを膨らませトラクションの変化が感じられる。とはいえショートストロークのエンジンは、3000rpmを超えるあたりからパワーを漲らせはじめ5000rpmを超えると上げ足を速めトップエンドに向けて鋭く回転を上げて行く。一切のストレスを感じさせずスムーズにそこまで回り切る感覚は、軽快でシャープなだけではなく精密で複雑なメカニズムがバランス良く精緻に回転している様子が伝わってくる。コンペティションエンジンをベースとする4カムユニットは「カレラ」の敬称に相応しく、OHVエンジン搭載モデルとは明らかに異なる世界を味わう事が出来るものとなっている。「最新のポルシェが最良のポルシェ」という言葉が存在するが、過去のモデルにも「記録にも記憶にも残るモデルが存在するのがポルシェ」という言い方も出来、それらのモデルが生産された頃に、全く想像出来なかった現在のクルマ環境の中、それでも貴重なモデルに接する事が出来る事に、クルマ好きは感謝しつつ喜びを感じないといけないのかもしれない。最新「911」にまで継承される「カレラ」の名前の起源となった「356A 1500GSカレラ」もまさにそんな一台。よくぞここまで生き延びてくれたと、ここまでこのクルマに関わってきた人々に感謝したくなるような一台といえるかもしれない…