サイズ
長 475.0 cm 幅 179.0 cm 高 141.0 cm
メルセデスベンツのW124型と呼ばれる「Eクラス」のデビューは、1984年のフランクフルトショー。それまで8年間にわたり生産され、大ヒット作といわれたW123型「230E」の後継車として新開発されたモデルとなる。W124型「Eクラス」は、その後1995年まで11年間にわたり、ボディバリエーションや搭載エンジンを増やしながら、総生産台数250万台にもおよぶ人気モデルとなった。ボディデザインはイタリア人デザイナーのブルーノ・サッコによるメルセデス社内製のデザインとなる。それまでの角のあるフォルムから、空力を意識した滑らかなエアロフォルムとなり、派手なエアロパーツの類は全く目立たせないまま、Cd値0.29という優れた空気抵抗係数を達成している。当時のメルセデスベンツはW124型「Eクラス」を、先代のW123型に付けられていた「コンパクトクラス」から、新たに「ミディアムクラス」という愛称に変更した。これは一足先の1983年にデビューしたW201型「190シリーズ」が、名実ともに「コンパクトクラス」に位置するためとなる。ボディ剛性で定評のあるW124型のフロア構造は独特で、強固に仕立てたフロアで、車体に入る応力の大部分を受けとめる考え方で造られている。それはフロアパネルに、角パイプを縦横斜めに敷き詰めて溶接し、一体化してその強固な床を構造の主体としている。この構造が乗った人間に実際以上に「ボディが重厚で頑丈な感じ」を与える。この独特な床構造は、その後を継ぐW210型の「Eクラス」では継承されず、一般的なフロア構造とされた。このメルセデスベンツの生産車の中でも名車の誉高いW124型「Eクラス」のラインナップに、新たにスポーツ・セダンとよぶに相応しいモデルとして「500E」が追加されたのは、1990年のパリサロン。「500E」のエクステリアデザインはW124型「Eクラス」を踏襲し、拡幅されたトレッドと幅広ホイール/タイヤを収める為、前後フェンダーが拡幅されている。それに伴いバンパー及びボディ下部を覆うサッコプレートが専用品となっている。メルセデスベンツのそれまでの歴史を振り返れば、60年代には「300SEL6.3」が、70年代には「450SEL6.9」というスポーツ・セダンが存在した。それぞれベースモデルに対してより排気量の大きな高出力エンジンを搭載していた。W124型「500E」はその流れを継承しつつ、更にそれらを上回るスーパー・メルセデスとよべるハイパフォーマンスをもっていた。「500E」を開発するにあたり、W124型では、搭載エンジンを最大でも直列6気筒エンジンまでとしか想定していなかった、そのエンジンコンパートメントに、当時の「500SL(R129型)」用のV8エンジンを搭載することはなかなか容易では無かった。衝突安全基準をクリアしつつV8エンジンとその排気系をおさめのにエンジンコンパートメントは再設計されるとともに、エンジンの載ったサブフレーム、及びフロントサスペンションは「500SL(R129型)」から、ほぼそのまま移植された。また、これらのW124型「500E」の開発プロジェクトには、ヴァイザッハにあるポルシェ開発部門が関わり、設計と開発テスト、及び一部の耐久試験もポルシェにより行われた。生産の段取りは複雑で、ポルシェで組み上げられたボディは、メルセデスベンツのジンデルフィンゲン工場に送られ、基本的な品質をチェックされ、再びポルシェのツッフェンハウゼン本社工場で最終組み立てが行われた。かつて284台の「ポルシェ959」が生産されていた場所となる、ツッフェンハウゼンで組み上げられ完成した「500E」は、再度ジンデルフィンゲンに回送され、メルセデスベンツにより各地に出荷された。北米での販売不振から業績がおもわしく無かった、この時代のポルシェに対する救済策ともいえる「500E」の生産依頼により、1日に12台のペースで入念に生産された。W124型「500E」は、1990年9月から1995年4月までの間に1万479台(E60 AMGを含む)が生産され、W124型の総生産台数からみれば僅か0.5%の生産量となり、その生産は全てポルシェによるものとなる。これらの中から日本に正規輸入された台数は974台となり、1993年10月から販売された94年モデルから、車名が「E500」へと変更された。この時のマイナーチェンジを期に1993年のフランクフルトショーで発表されたのが、500台限定生産となる「500Eリミテッド」で、ボディカラーはサファイア・ブラックメタリックと、ジルコン・シルバーメタリックが用意された。エクステリアではベースモデルの16インチ・8穴純正ホイールに対して「190E2.5-16エボリューションⅡ」用の17インチホイールが採用され、インテリアではグラデーション柄のレザー内装が専用に用いられていた。「E500リミテッド」の日本への正規輸入はされていない。「E500リミテッド」に搭載されるエンジンは、M119型とよばれる90°V型8気筒DOHC32バルブで、ボア×ストローク96.5mm×85.0mmから4973ccの排気量を得る。1989年ル・マン24時間レースの中で最高速度400km/hを記録し、シルバーアローとよばれたグループCカー「ザウバー・メルセデスC9」に搭載されたM119HL型の直系ともよべるこのエンジンは「500SL」と同じくボッシュ製LHジェトロニックを装備する。連続噴射式の「SL」に対して「500E/E500」では、間欠式噴射に変更され、エンジンレスポンスの向上とトルクバンドが広げられている。10.0の圧縮比から最高出力320馬力/5600rpm、最大トルク47.9kgm/3900rpm(それまでの「500E」は最高出力326馬力/5700rpm、最大トルク48kgm/3900rpmを発揮していたが1993年からの燃費規制対応により出力/トルクともに表記が改められた)を発揮する。組み合わされるトランスミッションは、メルセデスベンツ自社製の4速ATとなる。ASR(トラクションコントロール+LSD)が標準装備され、後輪がスリップすると、自動的にスロットルが戻されるだけでは無く、燃料噴射量や点火時期の調整まで同時に行われる。ベースモデルのW124型では、エンジンコンパートメント内に装備されていたバッテリーは、トランクルーム内に移設され、前後重量配分は50:50となる。足回りは、フロント・マクファーソンストラット式、リア・マルチリンク式となる。ビルシュタイン製ショックアブソーバーが装備され、コイルスプリングは専用となり車高はベースモデルより35mm(23mm説もあり)低い。リアには油圧式の車高調整装置が備わり、ベースモデルよりフロント+60kg、リア+100kgと重くなったばね上のダイブ/スクォートを制御している。ブレーキは、フロントに325mm、リアに300mmのベンチレーテッド・ディスクが備わる。組み合わされるキャリパーはAte製のフロント4ポッド、リア2ポッドとなる。ホイールは「E500リミテッド」専用となるスピードライン製の17インチ×8.25Jサイズに、245/45ZR17サイズのミシュラン・パイロットスポーツが組み合わされている。インテリアは「E500リミテッド」専用のグラデーション柄のレザー製内装となる。エアバックを内蔵した純正4スポークステアリングを通して、ドライバー正面に位置するスピードメーターは260km/h迄刻まれ、それを振り切る実力を持ちながらも250km/hでリミッターが作動する。その右側には一回り小振りな時計と組み合わされたタコメーターがレイアウトされ、7000rpm迄表記され、6000rpmからレッドゾーンとなる。メーター類は全てVDO製となっている。メルセデスベンツならではの、ステップゲート式となるシフトセレクターが配置されたセンターコンソールやドアに張られたウッドパネルは「E500リミテッド」専用の黒色バーズアイ・メイプルが採用されている。5ℓ・V8エンジン搭載によりエキゾーストシステムが再構築され、それぞれのバンクからの排ガスは、大型化された触媒コンバーターに送られる。この排気システムをレイアウトする為、フロアトンネルは幅広に拡大された事で、後席のシートは2名分とされ「E500」の乗車定員は4名となる。全長×全幅×全高は、4750mm×1796mm×1408mm、ホイールベース2800mm、トレッド前1538mm、後1529mm(ホイールベースは不変ながら、トレッドはベースモデルから前37mm/後38mm拡大されている)、車両重量1700kgとなり、「500SL(R129型)」より70kg軽量となっている。燃料タンク容量は90ℓ(リザーブ11.5ℓを含む)、最小回転半径5.85mとなっている。「E500」のメーカー公表性能値は、0→100km/h加速6.1秒、0→1km/h加速25.6秒、最高速度250km/h(リミッター作動)となる。当時の964型「ポルシェカレラ2」なみの加速力を、4速ATの極めて滑らかな加速感で達成する。カーグラフィック誌による実測データは、0→100km/h加速6.6秒、0→400m加速14.7秒、0→1km加速26.5秒で、最高速度254km/hを記録している。同誌による964型「カレラ2タルガ・ティプトロニック 」とほぼ同等の実測データとなっている。「E500リミテッド」は、登場からもはや30年近くが経過し、その間、様々なニューモデルが発表されたハイパフォーマンスモデルの中にあって、いまだにその強いインパクトは健在といえる強い存在感が感じられる。「E500」の特徴は、滑らかに回りトルクのツキの良いパワフルなV8エンジンでも、4輪の接地感の高さや優れた乗り心地でも無く、緻密に制御されたバネ上の動きがもたらす絶対的な安定感となる。加速時や直進時にも感じられる、大きな手でボディが上から押さえつけられているような盤石な安定感が、常にもたらされているドライビング感覚は独特な味わいをもつ。ここでポイントとなるのは「ヴァイザッハのポルシェ開発部門が、設計とテストに加わった」という事実。ボディに無駄な動きをさせないという一貫したポルシェの考え方が「E500」の開発時に、足回りのセッティングの主導権を握っていたことを想像させる内容となる。また「ポルシェ911」の看板ともいえるRRならではの強力なトラクションも、「911」のボディ後方にいくにしたがい、開口部を小さくするデザインを使ってリア部の剛性を高め、リアを固める事で有利なトラクションを産み出す方法を取っている。その考え方も「E500」には反映されたものとなり、「E500」のモノコックボディのフロアトンネルは大型触媒を装備する為、拡幅、拡大され、それとともにフロア後端には太いメンバーが組み込まれる事で強靭なモノコックボディのリア部分が構築されている。単なる安全性だけの為だけではなくポルシェならではの、パワーを逃がさないボディ構造とされることで、印象的なトラクションが生み出される様にセッティングが施されている。その加速感は他のメルセデスのモデルでは味わえない「E500」だけのものとなっている。極めて滑らかだけれど、軽々しさの全く無い密度の高い加速感は「E500」ならではといえるだろう。ハンドリングやブレーキ性能についても、おおよそ4ドアセダンというボディ形状や、1.7トンという車両重量を全く忘れてしまう程の高い能力でまとめられている。30年前に発表されたスポーツセダンの開発は、確かに経営状態の悪かったポルシェを救うためのメルセデスからの提案であり、ポルシェに敬意をはらって、あえて「協業」や「委託」とされていた。もしポルシェが危機に瀕していなければ誕生しなかったかもしれない「E500」は、期せずして内燃機関で走る、多くのハイパフォーマンスカー達の中で、ひときわ輝き続ける魅力的な個性をもつ事となった。「最善か無か」のポリシーを掲げていた時代のメルセデスが、そのクオリティをもって、ポルシェに生産依頼し完成させたスーパーメルセデスは、この先、再び登場する事は無いだろう…