サイズ
長 425 cm 幅 157 cm 高 140 cm
1913年、カール・ラップとグスタフ・オットー(オットーサイクル・エンジンとも呼ばれる4ストロークの内燃機関を発明したニコラウス・オットーの息子)の2人は、それぞれミュンヘンで飛行機ビジネスの夢を追いかけていた。1916年3月7日、それぞれが所有する会社が合併し、バイエルン航空機製造会社(BFW)を創立、これがバイエリッシェン・モトーレン・ヴェルケ=BMWの起源となる。この年に、ダイムラーベンツから加わったエンジニアのマックス・フリッツにより設計されたBMW社製の航空機用エンジン「タイプⅢa」は、高い性能をもつエンジンとして戦闘機「フォッカーD.Ⅶ」などに搭載され、多くの戦果をあげた。1917年には、航空機のプロペラをイメージしたエンブレムが出来上がり、そこに使われる青はバイエルンの空を、白は雲を表現したものといわれ時代の変遷に沿って現代まで引き継がれている。1919年に「タイプⅢa」エンジンを元に、ピストンのボア径を拡大した進化型「タイプⅣ」エンジンを搭載した機体を使って、飛行家フランツ・ツェノ・ディーマーが、9760mの高度に87分で到達し世界記録を樹立する。「まだ上昇可能だったが携行した酸素が足らなかった」という当時のディーマーのコメントは、BMW社製エンジンの高い性能を裏付けるものとなる。しかし第一次大戦終結後のヴェルサイユ条約により、航空機製作を禁止されると、BMW社はモーターサイクルの分野に進出する事となった。チーフエンジニアのマックス・フリッツが開発した水平対向2気筒エンジン搭載によるモーターサイクル「R32」が1923年に発表され、チェーンではなくシャフトドライブ機構をもち、高い動力性能、操縦性、乗り心地を備え人気を博す。このメカニズムは、現在のBMWモーターサイクルの製作の基礎をつくった。1928年にはアイゼナッハ社という、ドイツ国内の自動車会社が身売りするという話を受けたBMW社は、ここから自動車開発にも取り組み始める。1933年ジュネーブショーでデビューした「303」は、キドニーグリルを採用したBMW社製造による初の自動車となる。ラジエーターグリルは四角いのが一般的だった時代に、2分割するデザインを採用することで、BMW社製として他と区別できるよう個性的なアイコンとなり、そのモチーフは現代まで引き継がれている。1937年には直列6気筒クロスプッシュロッドの1971ccエンジンを搭載した高性能車、「328」が完成する。この「BMW328」はナチスの後押しを受けながら、モータースポーツに参戦するとミッレミリア、ベルリン-ローマ、アイフェルレースなどヨーロッパ全土で活躍し、BMW社の名前を世に知らしめる事となった。その中で、1940年のミッレミリアを「328」で制したレーシングドライバーのフシュケ・フォン・ハンシュタインは、日本のレース黎明期に関与した人物となる。1951年にポルシェに移籍したハンシュタインは、レース部門の責任者と広報活動を担当、1963年に鈴鹿サーキットで開催された「第一回日本グランプリ」で来日し、決勝では自ら「ポルシェ356カレラ2」をドライブする事となる。また、この来日がきっかけとなり、翌年の日本グランプリで「プリンス・スカイライン」との圧倒的な性能差を見せつけ勝利した「ポルシェ904」の参戦に尽力した人物でもあった。第二次世界大戦に於けるドイツ敗戦により、BMW社は、航空機、2輪車、4輪車の製造を禁止されるが、1951年になるとそのダメージから立ち直り生産活動を再開する。戦前同様に高品質の高級車による少量生産を貫こうとするが、販売を伸ばせずBMW社の経営状況は悪化の一途を辿る。この状況からBMW社をはじめに救ったのは1955年から販売された、庶民の為の小さなキャビン・スクーター「イセッタ」だった。イタリアのイソ社が生産する「イセッタ」を、BMW社がライセンス生産することで大ヒットに結びついた。またオーストリアで「ロールス・ロイス」と「ベントレー」のディーラーを経営していたマックス・ホフマンは、アメリカに渡るとプラスチックやファイバーグラスなどの事業で大成功を収め、本業の輸入車販売を再開するとともに、ヨーロッパ自動車メーカーの相談役をしていた。1954年のニューヨーク国際オートショーでホフマンの進言によりデビューした「メルセデスベンツ300SL」が、世界中の注目を浴びると、モーターサイクル好きでもあるホフマンは「300SL」に対抗するスーパースポーツの開発をBMW社に進言する。それを受けて発表されたのが「BMW507」となる。レイモンド・ローウィのオフィスで当時スチュードベーカーのデザインを手がけていた若きドイツ人デザイナー、アルブレヒト・グラーフ・ゲルツによりデザインされたモデル。コンペティションカーとして設計された「300SL」とは全く異なり、エレガントなオープンスポーツの「507」は、ゲルツの最高傑作といわれる美しさではあったが、僅か252台を生産するに留まる。ほぼ同価格帯でありながら3.2ℓ・V8エンジン搭載で150馬力の「507」は、3ℓ・直6・215馬力でチューブラーフレームを備える「300SL」の1858台という生産台数には全く届かなかった。1959年には、政府主導でダイムラー・ベンツへの身売りの話まで取り沙汰されたBMW社は、経営悪化の流れを変えることが出来ないまま独力で歩む事を主張した。最終的にドイツ・ミュンヘンの大投資家ヘルベルト・クヴァントが所有するBMW社の持ち株を30%から50%に増やす事で、何とか吸収を免れBMW社は存続する。クヴァントのバックアップの下、新たなプロジェクトとして自社のモーターサイクル技術を活かした「700」というモデルを発表する。「700」は、イタリアのカロッツェリア・ミケロッティがボディデザインを担当する2ドア・小型クーペで、BMW製モーターサイクル「R67」用の水平対向2気筒エンジンをリアに搭載するモデルで小型軽量、高性能だった。その性能を活かしてモンツァ12時間耐久、ホッケンハイム6時間耐久、ニュルブルクリンクなどで好成績をおさめ、BMW社に再びモータースポーツへ本格的カムバックする機会を作った。1965年迄に「700」シリーズは約18万1400台を生産し、BMW社は経営の苦境から脱することに成功。これを契機にBMW社は、自社の高級車「502」と小型車「700」の間のクラスとなる新型車を開発、1961年のフランクフルトショーで発表した。それが“ノイエ・クラッセ=新しいクラス“と社内でよばれた「1500」となる。これは「上質で高性能な1.5ℓ級サルーンという、当時ドイツに存在しなかった新たなカテゴリーのクルマ」だった。「700」に続きミケロッティが担当したボクシーでモダンなデザインをもつボディは、広いグラス・エリアと細いピラーをもち、先進の高剛性モノコック・ボディ構造が採用されていた。キドニーグリルが与えられたフロントフェイスは逆スラントノーズとなり、現在まで続くBMW車のイメージが確立されたモデルとなる。足回りはフロントにマクファーソン・ストラット、リアにセミ・トレーリングアームの独立懸架が採用され、長らくBMW車に用いられながら、1980年代まで世界のFR車の教科書とされるサスペンション型式となった。搭載されるエンジンは新開発の「M115」とよばれるもので、当時のBMW技術者のリーダー、アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンを先頭に、後に設立される「M社」の責任者となるパウル・ロシェはじめ、若き精鋭達が設計した頑強な鋳鉄ブロックと半円球燃焼室を備えた、先進のSOHCヘッドを載せた4気筒エンジンが搭載されていた。全てが、当時の技術の一歩先を行くエンジニアリングに満ちた“ノイエ・クラッセ“は、瞬く間に大人気となった。さらにBMW社は、1966年3月のジュネーブショーでコンパクトで軽量な2ドア・モデル「1600-2」を発表。4ドア・サルーンとなる「1500」のデザインを引き継ぐボディは、50mm短いホイールベースをもつ2ドア・モデルとされ、130kg軽量な上に100cc/5馬力アップされたエンジンにより、高い動力性能と軽快なハンドリングが好評を博した「3シリーズ」の源流ともいえるモデルとなっている。勢いを取り戻したBMW社は、1967年同国のグラース社を吸収・合併すると、その年のフランクフルトショーで4車種のニューモデルを同時発表した。その内訳は、好評の「1600-2」にスポーツモデルの「1600Ti」と、バウアー社によるオープンボディをもつ「コンバーチブル」を追加、旧グラース社製のモデルをBMW社製にアレンジしなおした「3000V8」と「1600GT」となる。そして翌1968年のブラッセル・ショーでは「1600-2」のボディに2ℓエンジンを搭載し、性能アップが図られた「2002」がデビューする。後にインジェクション化されたエンジンや、ターボエンジンまで搭載するモデルを加えることで、スポーツサルーンといえばBMWというイメージを、決定付けるラインナップが形成される。1961年に発表された”ノイエ・クラッセ“に1963年に追加された「1800」は、4ドアボディながらツーリングカーレースで強力な存在となり、そのイメージを用いた「1800Ti」という、スポーツモデルが発表される。ベースモデルから20馬力強力な110馬力を発揮するエンジンを搭載し、優れた操縦性をもつサスペンションシステムが組み込まれていた。車名の「Ti」とは「ツーリング・インターナショナル」の頭文字を表現したもので、アルファロメオ と同じくBMW社の場合も高性能なスポーツグレードに用いられる名称とされる。この「1800Ti」に続く「Ti」モデルが「1600-2」の軽量ボディに、高性能エンジンを搭載した「1600Ti」となる。フロントのラジエーターグリルが黒く仕上げられ、異なるデザインのホイールキャップが足回りを引き立たせ、フロント・リアともにシルバーの「1600ti」のエンブレムが付けられ、控えめにベースモデルとの差別化が図られたエクステリアに仕上げられている。︎「1600Ti」に搭載されるエンジンは、水冷直列4気筒SOHCで、ボア×ストローク84mm×71mmのオーバスクエア・タイプとなり、1573ccの排気量を得るのはベースグレードと同様。クロスフロー・ポートと燃焼効率の高い半球型燃焼室を持つシリンダーヘッドはアルミ製、カムシャフトはチェーン駆動されるところも継承されている。「1600Ti」専用となるのは8.6から9.5に高められた圧縮比と、1基のダウンドラフト・ソレックスキャブレター・38PDSIから、サイドドラフト・ツインチョーク・ソレックス40PHHを2基に変更されたところ。これにより最高出力は85馬力/5700rpmから105馬力/6000rpmへ、最大トルクは12.5kgm/3000rpmから13.4kgm/4500rpmへと高められている。このエンジンのチューニングは66.6馬力/ℓとなり当時のBMW社生産車中、最も高い比出力を得ていた。スポーツカー並みのチューンが施されたこのエンジンは、同時に発表された「BMW1600GT」にも搭載されている。組み合わされるトランスミッションは、4速フルシンクロのマニュアルトランスミッションとなり、ベースモデルと同一のギアレシオを持つが、増大したパワーに対応してファイナル・ギアだけは4.11から3.90に高められている。足回りは、フロント・マクファーソンストラット式+コイル、リア・セミトレーリングアーム式の4輪独立懸架となり、専用のトーションバー・スタビライザーが前後に装備される。これによりロールは減らされ、僅かにみられたオーバーステア傾向も抑制された。ブレーキは、フロントにバキュームサーボを備えたディスク式(240mm径)を、リアは、ドラム式(200mm径)を装備する。タイヤサイズは、4輪ともに165SR13サイズとなり、4.5インチ幅のホイールと組み合わされている。インテリアは、機能優先のデザインとなっている。セーフティパッドで覆われたダッシュボードに備わるメータークラスターには同じ径をもつ3つのメーターが備わる。左から燃料と水温のコンビメーター、200km/h迄刻まれたスピードメーター、6500rpmからレッド表示で8000rpm迄のタコメーターと並びVDO製となっている。クラスターの右側にはアナログ式の時計がレイアウトされている。細身でやや大径のステアリングホイールは3スポーク式となり握り心地の良いレザーが巻かれている。フロントシートはリクライン可能なローバックのセパレート、リアはベンチの4人乗りとなる。分厚く豪華なシートの造りとなるが、座り心地はややかたい。左右のドアに付くアームレストは、それぞれ形状が異なり、その下にドアオープナーが備わる。フェイスレベルの空調吹き出し口が装備されていないが、三角窓が機能するため外気の導入不足は感じられない。︎全長×全幅×全高は4230mm×1590mm×1410mm、ホイールベースは2500mm、トレッドは前後ともに1330mm、車両重量935kgとなっている。最小回転半径は4.8mで、新車時価格192万円(1968年・バルコム貿易株式会社)となる。今回入荷した車両は、1969年式の希少なディーラー車となっている。メーカー公表性能値は、最高速度175km/hとなり、ベースモデルの162km/hを大幅に上回る。また、2ℓエンジン搭載モデルの「2002」の最高速度を5km/h上回り、当時の1.6ℓエンジン搭載車としては驚異的な最高速度を誇る。カーグラフィック誌による実測データでは、レーシングドライバーのポール・フレールによるヨーロッパでの計測データが掲載され、0→100km/h加速9.3秒、0→400m加速16.5秒、0→1km加速31.0秒、最高速度は176.5km/hとなっている。︎BMW社製モデルのイメージ通り、逆スラントしたフロントフェイスをもち、低いウェストラインをもつクリーンなボディデザインは、バランス良くまとめられ、今でも古さは感じられない。ドアを開けてシートに腰を下ろすと広いグラスエリアと細めのピラーにより、四方への視界はとてもひらけていて狭い路地での取り回しに苦労する事はない。ややステアリングホイール径が大きく感じられるが、ペダル類の配置や、短めのシフトノブはとても操作しやすいレイアウトとなる。エンジンを始動し、クラッチを踏んで1速にギアを送り走り出す。高めのチューニングが施されたエンジンとなるが、タウンスピードでも気を使わされるタイプでは無い。ノンパワーのステアリングも走行している限りは軽く、低速でも重さを感じる程では無い。それでも路面の感覚は正確にドライバーに伝える敏感さをもつところはスポーツモデルならではと言える。対フェード性の高いブレーキは、踏力の強さにより制動力を高めるタイプで、急制動時には大きな力を要する。充分にエンジンが温まったのを確認してアクセルを踏み込んでみると高回転の領域になる程、勢いを増すのが感じられる。ショートストロークのエンジンはレッドゾーンの6500rpmを軽く超えていく程の伸びを見せ、気持ち良く回りきる。これを一度味わってしまうと、3000rpm以下ではトルクもレスポンスも少し物足りなく感じて、トップギアでは80km/h以上の速度でないと、本来の加速は得られない事がわかる。この味付けこそが「Ti」モデルの特徴であり、高回転エンジンで楽しめるスポーツサルーンの魅力となる。1.6ℓエンジンで、2ℓエンジン搭載モデルを上回る動力性能と軽めの車両重量を活かして、はるかに軽快な身のこなしと、イメージ通りの操縦性を堪能出来る。このサスペンションのチューニングは、低速では路面の凹凸を伝えてくるが、コーナーでは姿勢を維持しやすく、高速走行では高い安定性をもたらす。販売当時、これだけ高いをバランスを実現出来たのは、BMW社がモータースポーツの世界に親しんで、数々のレーシングカー設計で得られたノウハウをフィードバックしているからに他ならない。「BMW1600Ti」は1.6ℓという排気量のカテゴリーにおいて、スポーツサルーンの走りの基準を塗り替えたモデルと言えるのかもしれない…