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FHC 2+2
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メーカー
ミッション
オートマ
グレード
FHC 2+2
ボディタイプ
外装色
ホワイト
年式
1970.0 年型
走行距離
不明
乗車定員
4.0 名
サイズ
長 469.0 cm 幅 156.0 cm 高 129.0 cm
エンジン形式
排気量
4235.0 cc
馬力
268
トルク
39.1
車検
令和7年11月
ハンドル
駆動区分
輸入区分
中古並行輸入
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色

20歳の若き創業者ウィリアム・ライオンズは1922年「The Swallow Sidecar and Coach-building Campany」として小さなサイドカーのボディを製作する工場を創立した。僅か12人のスタッフしか擁していないこの会社が、現在に続く「ジャガー」の歴史の始まりとなる。ウィリアム・ライオンズ設計によるサイドカーは、極めて軽量でスマートなデザイン、そして低価格な事から、すぐにその需要を伸ばす事に成功する。生まれながらにして美しいボディラインを描く才能に長けたライオンズは、経営者としての手腕を持ち合わせていた。このサイドカービジネスの経験からボディスタイリングの重要性をしっかりと認識していた。1920年代は多くのコーチビルダー達が腕をふるった時代で、ライオンズは当時、英国で一般的な「オースチン・セブン」にオリジナル・デザインのボディを架装して「オースチン・スワロー」を発表し、自動車界参入への第一歩とした。好評をもって迎えられたライオンズによるカスタムカーは、次の段階ではオリジナルシャーシ設計を視野に入れ、あくまでも低価格にもこだわり、誕生したモデルが「SS1」となる。車名の「SS」とは「スタンダード・スワロー/スワロー・スペシャル/スワロー・スポーツ」と諸説あるが、1931年秋のロンドンショーに展示されると一大センセーションを巻き起こした。全高僅か54インチ、極めて低い2座ボディ、長いボンネットに小さなキャビンのスマートなボディ。£1000級にみえる高級車にも関わらず、僅か£310を可能とした。その内訳はスタンダードなエンジンと、シャーシにもスタンダードなストック部品が採用されていた事によるもので、大衆車レベルのシャーシにカスタマイズボディを架装したものとなるが、好評をもって市場に受け入れられた。ライオンズはサイドカー生産とは別に「SS Cars Ltd.」を創立し、ハンバー社から有能なエンジニアのウィリアム・ヘインズを招聘すると「SS」をスポーツカーに仕立てるべくビジネスマンとしての手腕を発揮した。その結果1935年秋に誕生したのが「SSジャガー」となり、ベントレーにも匹敵するエレガンスを備えながら僅か£385の価格で販売し、ライバルの2MG SA」を性能と価格で圧倒した。一方、100マイル級スポーツカーの計画は進み、19363月から販売開始された「SS100」と名付けられた、オープン2シーターモデルは戦前ジャガーの頂点となる。6気筒OHV2664ccで、104馬力を発揮するエンジン搭載により最高速度は100mph。その上、価格は£395と低価格で、このモデルの出現により性能的には本物のスポーツカーとよべるレベルに達した。第二次世界大戦終了後「SS Cars Ltd」は「Jaguar Cars Ltd.」と社名を改め、ラジエーターグリルのエンブレムから「SS」が消え「Jaguar」となった。戦争末期から「SS100」に代わる高性能スポーツモデルの試作が進められ、エンジン主任技師ヘインズは、XAXBを経て1948年頃には11番目となるXKがプロトタイプとして、日夜ベンチテストを繰り返していた。1948年秋のロンドンショーに華々しくデビューした「XK120ロードスター」は爆発的な人気を呼び、ライオンズ自身のデザインは、細く、低く、滑らかなボディと、搭載される輝くばかりのDOHC6気筒のXKエンジンにより、従来のジャガーとは全く異なる存在感を見せた。160馬力を発揮するエンジンと剛性の高いボックス断面フレーム、トーションバー/ウィシュボーンのフロントサス、リーフ/リジットによるリアサスをもち、最高速度125mphを誇り4000ドルで販売され、無類であるのみならず倍の価格の車でも敵うものは少なかった。戦後のジャガーはレース活動にも積極的に取り組み、往年のレーシングドライバー兼メカニックのロフティ・イングランドをリーダーとするレーシングチームを組織して、国際レースにも参加した。1951年のル・マン24時間耐久レースに「XK120Cタイプ」により参加、平均速度93.49mphで優勝するとジャガーと英国の名前は一挙に高まりを見せた。英国車によるル・マン制覇は1935年のラゴンダ以来となり、この年から1958年までの間、ル・マンは事実上ジャガーの独壇場となる。1953年には初めてディスクブレーキを装備した「Cタイプ」が出場し、124位を占め、優勝車は平均速度105.55mphとなり、ル・マン史上初めて100mphを上回る平均速度を記録した。1954年には「Cタイプ」から進化した「Dタイプ」が登場、195557年の間、3連続優勝を成し遂げた。「Cタイプ」「Dタイプ」に使われた鋳鉄製シリンダーブロック、鍛造鋼製コンロッドとクランクシャフトは、量産サルーンの「Mk-」のパーツに僅かな加工を施したもので、XKエンジンが備える高い信頼性を示している。1957年、実質的には「Dタイプ」にスクリーン、幌、バンパーなどを装備したスーパースポーツ「XK SS」が対米輸出用に生産を始めたが、16台を製造したところでコヴェントリー工場が火災にみまわれ、ボディ治具を失い計画は放棄された。1960年になると、ジャガーは全く新しいモノコック構造のボディをもち、全輪独立懸架を備えるコンペティションモデルをル・マンに投入し、練習走行で平均速度124.11mphを記録、いかなるライバルより速かったにも拘らずレースでは小さなトラブルにより85ラップでリタイアした。このコンペティションモデルをロードモデルにモディファイしたのが1961年春に発表される「Eタイプ」となる。搭載されるエンジンは、1957年秋に登場した「XK150S」に搭載されたDOHC3.83キャブレター付きの265馬力を発揮するXKエンジンとなり、モノコック構造のボディと、全輪独立懸架はコンペティションモデルから継承されている。この「Eタイプ」登場により150mphのモータリングが遂に実現可能となった。19613月のジュネーブショーで発表された「ジャガーEタイプ」は、それまでの「XK150」シリーズに代わるスーパースポーツで、当時SS1/4マイル15秒台、150mphの最高速度を誇り「メルセデスベンツ300SL」と並ぶ量産スポーツカーでありながら価格は約半分に過ぎない。恐るべき高性能と、驚くべき販売価格、そしてボディの美しさこそ「Eタイプ」の全てと言えるだろう。重厚さと完璧さの「300SL」に対し、先進のメカニズムとモダンなエクステリア、魅力的なインテリアは世界中のエンスージャストの羨望の一台となった。ライオンズがロンドンショーでは無く、ジュネーブショーを「Eタイプ」のデビューの場所に選んだのは、自国内に自動車産業を持たないスイスが、公平に製品の競争力を試せると考えたからだ。その思惑どおりジュネーブショー会場で「Eタイプ」には、一気に500台の注文が入った。もっともこの時点では生産体制は整っておらず、注文を入れた顧客の元にクルマが届くまでには、かなり時間がかかった。流麗なクーペスタイルをもつボディは元ブリストル・エアクラフト・コーポレーションの空力デザイナー、マルコム・セイヤーの意見が取り入れられたもので、エアロ・ボディの新時代を感じさせるものとなっている。英国がまだ世界第3位の自動車生産国であったこの時代に、「Eタイプ」はサルーン・ボディの「マーク」や「マーク」と共にジャガーの黄金期を築き上げた。「Eタイプ」は、間に1 1/2を挟んでシリーズからシリーズまでの計4つのシリーズと、クーペ(Fixed Head Coupe)、ロードスター(Open Two Seater)2+2という3種類のボディが生産され、最終的に13車種のバリエーションを持つ。今回入荷した「Eタイプ FHC 2+2」は、1966年ジュネーブショーでデビューした、ホイールベースが229mm延長され、全高を64mm高めながらルーフラインを伸ばし後席のスペースを稼ぎ出した「FHC」ボディの「2+2」で、1970年式という事から1968年に発表された「シリーズ」となる。北米市場をメインマーケットとし、フロントウィンカーやリアランプは大型化され、クーリング対策の為フロント開口部を拡大されたボディとなっている。搭載されるエンジンはXKエンジンで、鋳鉄ブロック、アルミヘッドからなり、ボア×ストローク87.0mm×92.07mmから4235ccの排気量をもつ。本国仕様では、9.0の圧縮比とSU HD8キャブレターを3基装備し265馬力/5400rpm38.9kgm/4000rpmのトルクを発揮するが、北米仕様となる今回の車両は、ストロンバーグ175CDSEキャブレターを2基備えた、排ガス対策エンジン搭載で、若干のパワーダウンとなる。組み合わされるトランスミッションは、1966年式から選択可能となったボルグワーナー製3ATとなっている。足回りはフロント・ダブルウィシュボーン/トーションバー、リア・ラジアス・アーム+横置きリンク+ドライブシャフト/ツイン・コイルの独立懸架が採用される。ハンドリングと快適性を極めて高い次元で実現した、この後輪独立懸架は、以降のジャガー量産車に採用される事でジャガー特有の「ネコ足」と表現されるようにもなった。当時の「Eタイプ」と同世代の市販スポーツ及びGTモデルは、リーフスプリングやリジットアクスルが主流となっていた。ブレーキはダンロップ製ソリッドディスクを4輪に装備、ガーリング製フロント3ポッド、リア2ポッドのキャリパーが組み合わされている。ワイヤー式のホイールは5×15インチサイズとなりスピンナーは、本来、爪を落とされたものが備わるが、今回入荷した車両には、それ以前の爪付きのスピンナーが装備される。また組み合わされるタイヤはオリジナルは6.40×15サイズとなるが、今回の車両は195/80R15サイズが組み合わされている。インテリアは、細身の3スポークレザー巻きステアリングが備わり、ステアリングをとおして160mphのスピードと、6000rpm迄刻まれたタコメーターがドライバー正面に並ぶ。レザーで覆われたダッシュボードセンターには時計を中心とした小径メーターが5つ並び、その下にはロッカー式スイッチがレイアウトされている。メーター類は英国車らしくスミス製となり、フロアトンネル上には、灰皿が装備される。ヘッドレストを備えるフロントシート2脚の間には、大型の肘掛けが備わるのは、4.2エンジン搭載モデルの特徴。大型化されたフロントグリルにより冷却系の改善された「シリーズⅡ」では、ファクトリーオプションで、エアコンの装備が可能となり、ブレーキ系の見直しも併せてて行われた事から、乗って愉しめる「Eタイプ」と言えるかもしれない全長×全幅×全高は4674mm×1630mm×1283mm、ホイールベース2667mm、トレッド前後ともに1269mm、車両重量1407kgとなっている。「ジャガーEタイプ」はシリーズ全体を通して英国内で12000台強が販売され、北米をメインとする輸出台数はその5倍となる6万台にも達する。そのうち「Eタイプ シリーズ 2+2」の生産台数はLHD4286/RHD1040台となっている。メーカー公表性能値は「Eタイプ シリーズ 4MTモデル」で0100kmh加速7.4秒、最高速度225km/hとなる。2シーターモデルに比べ強めの傾斜をもつフロントスクリーンと、スカットルが前方に移動したキャビンをもつ「Eタイプ 2+2」は、伸ばされたホイールベースと併せてGT的なアピアランスを持っている。エンツォ・フェラーリをして「史上、最も美しいクルマ」と言わしめた「Eタイプ」と比べ車高も高くなるが、美しいボディにこだわり続けたウィリアム・ライオンズが率いるジャガー製生産モデルである以上、現代の目で見てもその佇まいは、とても印象的なものとなっている。大型化した現代のクルマ達の中では、全くもってクラッシックでノスタルジックな存在感をアピールする。低めに備わるドアハンドルに手をかけドライバーズシートに腰掛けると、正面に大きめなステアリングと、並んだメーター類、タンブラースイッチこそロッカー式に代わってしまったが、良き時代を感じさせるデザインに溢れている。エンジンを始動させ、シフトセレクターでDレンジを選択すれば、低速トルクの豊かな4.2XKエンジンでの走りに不足は感じない。イージードライブを可能とするボルグ・ワーナー製ATに変速を任せ、元は1度ならずル・マンを制した歴史をもつXKエンジンの味わいを存分に味わえる。スロットルペダルに置いた右足に力を込めツインキャブレターに大量の混合気を吸い込ませると同時に、軽くテールスクワットを伴いながら全力加速を味わうと、誕生から半世紀を経たクルマとは思えぬパフォーマンスで返してしれる。燃料が尽きるまで走り続けると、五感を通して機械と対話するという大きな感動を残してくれる。リアルスポーツとしての高いロードホールディング性能と、北米マーケットからの高いコンフォート性へのリクエストは、ライオンズと彼の意を汲んだウィリアム・ヘインズにより実現され、ジャガーの代名詞となる「猫足」をもって、高速グランドトゥアラーとしての資質も兼ね備えたものとなっている。やはり「ジャガーEタイプ」は「2+2ボディ」であっても、自動車工業史にその名を残す、秀作であると言えるだろう