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メーカー
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新車未登録車両
ボディタイプ
外装色
ホワイト
年式
1988 年型
走行距離
80km
乗車定員
サイズ
長 cm 幅 cm 高 cm
エンジン形式
排気量
1600 cc
馬力
トルク
車検
ハンドル
駆動区分
前輪駆動
輸入区分
並行輸入
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色

直近にて、総合点検、機関関係他リフレッシュ作業を行っております。


長い歴史をもつフランスの自動車会社プジョーは、1810年にフランス東部のエリモンクールを拠点にジャン=ピエール・プジョーとジャン=フレデリック・プジョー兄弟を中心とした家族経営による製鉄業を始めたのがその礎となっている。工具類や傘、スカートを広げる為のクリノリン、コーヒーミル、自転車など様々な鉄製品を手がけ、品質の高いプロダクトを世に提供していた。多角的な経営を行っていたプジョーは1889年、自動車メーカーとしての新たな挑戦に踏み出す事となる。ジャン=ピエール・プジョーの孫にあたるアルマン・プジョーとレオン・セルポレにより共同開発された蒸気を動力とする3輪車は「パリ万国博覧会」でお披露目され、これがプジョーの名前を冠した最初の自動車となった。この車両は量産される事は無かったが、その後も精力的に自動車開発は続けられた。1887年に自動車レースの起源とされるレースがパリで僅か2kmの距離間で行われ、1894年になると記録として残されている最古のレースとして、パリからルーアンまでの127kmを競ったレースが開催された。25台で競われたそのレースの中で最初にゴールしたのは開発者自らがドライブする蒸気自動車ドディオン・ブートンで6時間48分、平均速度19km/hを記録したが失格扱いとされ、続いてゴールしたガソリンエンジン搭載の「プジョーtype3」と、それに続いた「パナール・エ・ルバッソール」が優勝とされた。着順に前後はあったが、この2台は同型のパナール製エンジンを搭載していた為、両車を讃えるカタチで勝利を分かち合ったとされている。それから先もプジョーは積極的にモータースポーツに参戦し、ラリーやルマン、インディでの勝利を重ねていく事となる。1896年になるとアルマン・プジョーは「オートモービル・プジョー」を創立し、独立すると新工場を設立して初のプジョー製エンジン搭載モデル「type14」を発表する。アルマン・プジョーが去った後のプジョーでも「リオン・プジョー」というブランド名で自動車の製造が始まるが思うように業績を上げられず、1910年アルマンの会社に合弁されプジョー家がひとつとなって自動車事業に向かう事となる。そして迎えた1913年に発表されたのが成功作となる「typeBP1」だった。設計は直前に「T13」を作り上げて絶頂期にあったエットーレ・ブガッティによるもので、僅か855ccの直列4気筒エンジン搭載のベーシックカーでありながら、卓越したパフォーマンスと小粋なスタイルで3059台が生産された。プロペラシャフトを二重構造とし、内外のギアを操作して変速する独特なメカニズムを採用する2座オープンモデルで最高速度60km/hで人気を博した。これによりプジョーの年間総生産台数は9338台にも拡大し、フランス国内での生産台数の50%、国内販売台数の20%を占めるまでに成長した。その後、第一次世界大戦を迎え戦争が終結すると再び次々と新型モデルを発表し、中でも「201」と「301」のヒットにより第二次世界大戦前迄に生産台数は36000台まで伸ばすことに成功する。大戦が終わると、プジョー初のモノコックボディを採用した「203」を発表し、1960年まで生産され続けたこのモデルは、プジョーとして初めて50万台以上生産された人気モデルとなった。その「203」の上級モデルとして1955年に登場した「403」は「フラッシュサイドデザイン」が採用され、イタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナの協力により完成されたボディデザインが特徴の新しい時代を感じさせるモデルとなっている。日本ではテレビドラマ「刑事コロンボ」でコロンボの愛車として親しまれている。1968年に発表されたピニンファリーナによるボディをもつ「504」はプジョー初のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーに輝きセダンボディのみならず、ワゴンボディ、カブリオレとモデル展開をみせ総生産台数280万台を記録した。このようなカロッツェリア・ピニンファリーナとプジョーの関係は1995年発表の「406クーペ」迄続く事となり、数多くの印象的なモデルを世に残した。1976年になると「フォルクスワーゲン・ゴルフGTI」の登場により、フランスの老舗プジョーも「ゴルフGTI」のヒットに啓発され開発したモデルが1984年発表の「プジョー205GTI」となっている。「プジョー104」と「プジョー305」のギャップを埋める為に登場した「プジョー205」はデビュー年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーは、惜しくも逃したもののスポーティな素質をもつ小型車で、これをベースに開発されたのが「205GTI」となる。当時、ヨーロッパの各自動車会社はこの動きに同調し、フィアットは「リトモ105TC」と「125TCアバルト」を、ルノーは「5アルピーヌ・ターボ」、オペルは「カデットGTE」、ランチアは「デルタHFターボ」というように本家のフォルクスワーゲン「ゴルフ GTI」を囲むようにひとつのカテゴリーとして「ホットハッチ」という言葉が誕生し、盛り上がりを見せた。その中でも「プジョー205GTI」は、小型のボディとアルミ製1.6SOHCエンジン搭載により、軽量な車体によるFFを感じさせない軽快なドライビング感覚とモダンなボディデザインで人気を博したモデルとなる。魅力的なボディデザインは、プジョーデザインのジェラール・ウォルターとピニンファリーナによるもので、インテリアデザインは「メルセデスベンツW113230SL」のボディデザインで知られるポール・ブラックによるもの。搭載される1.6エンジンは、105馬力と12.5kgmのトルクを発揮し、5段ギアボックスと組み合わされ850kgとされるボディを、0100km/h加速9.5秒、最高速度190km/hまで引っ張る性能をもつ。公表性能値の数値も立派なものだが、ファンを虜にしたのはSOHCエンジンとは思えないエンジン・レスポンスと、アンダーを感じさせない回頭性の良さで、ホットハッチモデル達の中でもインパクトの強いモデルとなっている。1986年モデルからは、インテーク/エキゾーストのポート拡大と、バルブの大型化、カムシャフトの変更により115馬力/13.7kgmにパワーアップされた。それに伴い5段ギアボックスは、12速のレシオが僅かに引き上げられた事でよりクロスレシオ化がはかられた。これにより0100km/h加速は9.1秒に短縮され最高速度は196km/hまで伸ばされ、より高い動力性能を得られるようになる。更に1987年モデルからは、1.6エンジンのストロークを延長し1.9にスケールアップされ130馬力/16.8kgmまでパワーアップされ、15インチホイールと4輪ディスクブレーキを装備するモデルも発表され、0100km/h加速7.8秒、最高速度204km/hを実現した。レスポンシブでピーキーなエンジンが魅力の1.6モデルか、トルキーな1.9モデルかそれぞれの持ち味は甲乙付け難く、いまだに意見の別れるところとなるが、史上最高のホットハッチモデルとして評価されるところに違いは無い。今回入荷した1988年型「プジョー205GTI」が搭載するのは、XU-5J型とよばれるオールアルミ製の水冷直列4気筒SOHCエンジンでボッシュLジェトロニック燃料噴射装置を装備しシャープなレスポンスが特徴となっている。ボア×ストロークは83.0mm×73.0mmとなり1579ccの排気量をもち、10.2の圧縮比から最高出力115馬力/6250rpmと最大トルク13.7kgm/4000rpmを発揮する。組み合わされるギアボックスはクロスレシオの5MTとなる。足回りはフロントはマクファーソン・ストラット/コイル+スタビライザー、リアはトレーリングアーム/トーションバー+スタビライザーとなっている。ブレーキはフロント・ベンチレーテッドディスク、リア・リーディングトレーリングドラムが装備される。アルミホイールはスピードライン製の5J×14インチサイズとなり185/60R14サイズのタイヤと組み合わされている。ポール・ブラックによるインテリアは、センターに「GTI」とライオンのエンブレムが付く2スポークのステアリングが配され、115馬力モデルから皮巻きとされ、グリップがやや太めのものとなっている。メータークラスター内のメーターのデザインも変更され6300rpmからレッドゾーンが始まっていたタコメーターは、60007000rpmの範囲がイエローゾーンとなる赤の破線とされ7000rpm以上がレッドゾーンとなる。フランス車らしく比較的ソフトなあたりをもつシートはサイドサポートがしっかりとしていて高いホールド性が感じられるもので105馬力モデルと共通で、やや高目の着座位置にも変更は無い。ドライバーズシートから手の届くドアミラーの調整レバーは長くされるとともに、ドアミラー形状もやや角張ったものに変更され、視野が広くとられている。開口部の大きなガラス製サンルーフは、日本仕様では6.6万円のオプション扱いとなり、15mm車高が高くなる。テールが短いデザインとなる為、トランクは控えめとなるが、見た目以上に実用性の高い2分割式のリアシートを畳めばフラットなフロアが出現し、使い勝手に優れたものとなっている。赤いフロアカーペットと黒で覆われたインテリアに赤の差し色が配されるインテリアは当時のホットハッチモデルの特徴となっている。全長×全幅×全高は3705mm×1590mm×1345mm(ガラスサンルーフ装着車は1360mm)、ホイールベースは2420mm、トレッド前1395mm、後1360mm、車両重量890kgとなる。燃料タンク容量50、最小回転半径5.15m、新車時価格279万円(1987年当時)となっている。メーカー公表性能値0100km/h加速9.1秒、最高速度196km/hとなる。カーグラフィック誌による実測データでは、英国誌による実測データが引用され0100km/h加速9.6秒、0400m加速16.5秒、01km加速30.7秒、最高速度196km/hとされ、105馬力モデルに対しそれぞれ、0.4秒、0.2秒、0.4秒、4km/hのアドバンテージを得た結果となっている。現在の小型車クラスより更にコンパクトに見える「プジョー205GTI」だが、ドアを開けシートに腰を下ろすと高めの着座位置により開けた視野と大型ガラスサンルーフのおかげで閉所感は感じられない。キーを捻ってエンジンを始動し、軽めのクラッチを踏んで軽いギアレバーで1速を選び走り出す。パワーアシストの無いFFでも操舵力はそれほどでもない。乗り心地は道路の目地のような鋭いエッジに対しては固い印象となるかもしれないが、座り心地の良いシートに助けられ疲れを感じるタイプでは無い。スムーズなギアシフトと操作力の軽いペダル類は、軽快な走りを助長してくれる。アクセルに載せた右足にひとたび軽く力を込めた瞬間、予想以上の勢いで気持ちよく加速する。まるでキャブ車のようにスーパー・レスポンスを返してくるエンジンは、これでSOHCか?と思う程軽々と回転を上げていきトップエンドまでスムーズかつ楽々と回りきる。2000rpm以下の低回転から充分なトルクを発生し、5000rpmあたりで一段と盛り上がり、6000rpmを超えて6500rpm以上でも勢いは衰える事は無い。全体的にローギアードな「205GTI」での高速巡航は風切り音を含めてややノイジーとなるが、スピードを上げても何処かで急激にノイズレベルが高まる事も無い。ワインディングロードでの身のこなしは素晴らしく機敏で、コーナーの連続を狙った通りにトレースしていくことが出来る。タイトベンドを2速全開で抜けるような時は、僅かにアンダーステアが意識されるかもしれないが、それ以外の状況では、操縦性はほとんどニュートラルに感じられロールも軽いものとなる。この「プジョー205GTI」のキャラクターは世界各地で多くのファンに支えられ、その販売台数は30万台にものぼる。「プジョー205」シリーズはその人気に牽引されるカタチで累計販売台数527万台を記録し史上最も多くの台数が販売されたフランス車となった。これによりプジョーのブランドイメージを更に高めるとともに、現在にまで続くプジョー小型モデルのイメージ造りにも強い影響を与えた。またプジョーはこのスポーティなイメージの「205」を使ってWRCに参戦し「プジョー205ターボ16」というグループBモデルで、1985年と1986年の2年連続してマニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルを獲得している。1986年をもってWRCはグループBによる競技を終了し、翌年の1987年からは、新たにグループAでの競技が行われる事となった。そこで「プジョー205ターボ16」はホイールベースを延長するなど大幅な改良を施し「パリ-ダカール・ラリー」に挑戦すると、1987年、1988年の2年連続制覇を達成し、コンパクト・プジョーの人気を更に高めるとともに「砂漠のライオン」の異名を掲げてその性能を強く印象付けた。今となっては数々の伝説で語られる80年代を代表する一世を風靡したコンパクトモデルが36年の年を経て新車状態で存在するのは、奇跡と言わずして何と表現すべきか