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ロードスター シリーズ3
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ロードスター シリーズ3
ボディタイプ
外装色
イエロー
年式
1973 年型
走行距離
不明
乗車定員
4 名
サイズ
長 472 cm 幅 169 cm 高 124 cm
エンジン形式
排気量
5343 cc
馬力
275
トルク
42.0
車検
令和7年6月
ハンドル
駆動区分
輸入区分
中古並行輸入
内装色
ブラック
燃料区分
幌色
ブラック

令和1年 エンジン、ミッション、ブレーキ廻りオーバーホール等、記録資料多数ございます。

第二次世界大戦後になると創業者ウィリアム・ライオンズは社名をそれまでの「SS Cars Company」から「Jaguar Cars Ltd.」に改め、1948年秋のロンドンショーで「XK120ロードスター」を華々しくデビューさせる。低く滑らかなボディはライオンズ自身のデザインとなり、搭載されるDOHC直列6気筒エンジンは、W.M.ヘインズにより開発されたXKエンジンとよばれるもの。このモデルは最高速度120mphにも達する高性能スポーツカーで、ジャガーはこのスポーツモデルを、当時としては破格ともいえる中産階級でも手の届く価格で量産してみせた。ジャガーの伝統は常に“良いものをより安く”であり、“良いもの”とは、戦前は美しいスタイルであり、戦後では優れた性能である。そして戦後のジャガーは、それまで無関心だったレース活動に積極的に参加する様になり、1951年のル・マン24時間耐久レースに「Cタイプ」で参加する。「Cタイプ」は、平均速度93.49mphでこのレースに優勝すると、ジャガーと英国の名声は一挙に高まりを見せた。この「Cタイプ」に搭載されるエンジンは基本的には「XK120」と同型のXKエンジンとなるが、ベースモデルの160馬力から200馬力までパワーアップが図られ、シャーシは軽量チューブラーフレームが採用されていた。ボディはブリストル・エアクラフト・コーポレーションから、ライオンズ自らのスカウトにより見出された、空力デザイナー兼エンジニアのマルコム・セイヤーが担当する。英国車によるル・マン制覇は1935年のラゴンダ以来となり、この年から1958年までの間、ル・マンは事実上ジャガーの独壇場となった。1953年には史上初めて4輪ディスクブレーキを装備した「Cタイプ」が出場し、124位を占める。優勝車の平均速度は105.55mphを記録、ル・マン史上初めて100mphを上回る平均速度を達成する。1954年には「Cタイプ」からジャガー初の、チューブラーフレームとモノコック構造のボディをもつ「Dタイプ」を投入する。このモデルには、エンジンを抱える様に配されたチューブラーフレームと、スカットル以降をモノコック構造のボディで担うシャーシが採用され、この基本レイアウトは、材質こそ異なるが後に登場する「 Eタイプ」にもそのまま踏襲される事となる。スタートして間もなく雨にみまわれた1954612日土曜日の夕刻、それまでの歴史の中で最も過酷なコンディションとなる、このル・マンのレースが「Dタイプ」のデビュー戦となり3台がエントリーされた。最初の給油を済ませた頃から、各車申し合わせた様にエンジンにミスファイアの症状が出て、原因が電気系統では無く燃料フィルターのスラッジだと判明した頃には「Dタイプ」は他のライバル達から遅れをとってしまう。この年の最も強力なライバルはレーシング・マネージャーのウゴリーニ率いるフェラーリ。彼らは4.9V12気筒を搭載した「375プラス」を3台エントリーしていた。「Dタイプ」の3.4・直列6気筒のXKエンジンより排気量で1.5も大きなフェラーリのエンジンは、パワーで100馬力程上回り加速は断然フェラーリが有利となる。これに対して「Dタイプ」は、空力に優れたボディによりユーノディエールの長いストレートでどの車より高い最高速度と、強力なディスクブレーキをアドバンテージとしていた。激しい雨は断続的に続き、これによるトラブルやクラッシュで脱落する車が増え、夜明けを迎える頃にはフェラーリ、ジャガーともワークスカーは1台を残すのみとなっていた。リードするゴンザレス/トランティニアン組の「375プラス」をハミルトン/ロルト組の「Dタイプ」が追うかたちでレースは進む。雨が降り続く間、濡れた路面ではフェラーリはパワーを活かしきれず「Dタイプ」が差を詰めていく、しかし雨が上がりドライな路面になると「Dタイプ」が追い上げる可能性は奪われてしまう。レース終盤の6時間は、豪雨といえる程、天候は悪化しフェラーリと「Dタイプ」の差は約8分となっていた。この雨の中、午後2時半近くにフェラーリが給油の為に最後のピットイン、ドライバーはトランティニアンからゴンザレスに替わる。乗り込んだゴンザレスは、やや間があって再び車から降りると、メカニック達はエンジンフードを開けにかかる。総出でメカニック達が車にとりつくが、V12気筒エンジンが始動する気配が無い。この時代のル・マンではピットレーンとコースの仕切りが無く、コース上からピットの様子が確認出来た。数分後、ロルトのドライブする「Dタイプ」がピット前を通過。これによりロルトの「Dタイプ」は「375プラス」と同一周回に入った事を示していた。ハミルトンはウィリアム・ライオンズと並びフェラーリのピットを見つめていた。当時のレース規則では1台のレーシングカーに手を出せるメカニックの数は2人と定められていた。これをハミルトンは、ライオンズに抗議すべきかと尋ねると「私達が勝利する時は、抗議で失格させるのでは無く英国式に公明正大な勝ち方で行こう」と静かに語ったと言われている。メカニック達が苦闘する事、およそ7分、沈黙を続けていたフェラーリのエンジンが轟然と始動、ゴンザレスは再び雨のコースに復帰する。「Dタイプ」との差は1分半まで短縮され天候次第では逆転もあり得る。再スタート後のゴンザレスは、彼のレースキャリアの中でも特筆すべきドライビングを続けていた。「Dタイプ」のロルトは、雨で視界が効かない中、綱渡りのようなドライブを続けながらハミルトンにドライブを交代すべくピットに向かう。ドライバー交代のみで最後のピットインを済ませた「Dタイプ」はコースに復帰。レースは1時間を残して、ゴンザレスの「375プラス」と、ハミルトンの「Dタイプ」の優勝をかけた一騎打ちとなった。雨足が遠のき路面が乾き始め「Dタイプ」は「375プラス」を追い上げるチャンスを失ってしまう。日曜日の夕方4時、24時間走り続けてその差は僅か2マイル半、この差をもって「Dタイプ」が、前年の「Cタイプ」に続いてル・マンを制覇する事はかなわなかった。この年のル・マンは出走台数57台、完走出来たのはそのうち18台という過酷なレースとなった。「Dタイプ」のレーシングヒストリーは、ここから始まり数々のレースでの活躍を重ねて行く。ル・マンでは翌年の195557年の間、3連続優勝という偉業を成し遂げた。航空機の経験をもったエンジニア、マルコム・セイヤーによる「Dタイプ」のボディは、垂直尾翼を思わせるドライバー背後に大きく伸びたフィンだけで無く、多くの技術を航空機から取り入れていた。この時期マルコム・セイヤーとともに同じブリストル・エアクラフト・コーポレーションからジャガーに移籍し「Dタイプ」開発に関わってきたフィル・ウィーバーもいた。彼等は、フレキシブルな構造をもつ燃料タンクやディスクブレーキ、エンジンのドライサンプも航空機では常用されていた手法を「Dタイプ」に活かした。それを実証するテストドライバーとして関わったノーマン・デュイスも「Dタイプ」開発には大きく貢献している。こうしてコヴェントリーの工場で「Dタイプ」の生産は軌道に乗るが、ジャガーの予想に反してその販売は捗らなかった。「Dタイプ」がル・マンに最後に優勝した1957年以降レースのレギュレーションが変更され「Dタイプ」が表舞台から退きつつある様に見えたのも一因かもしれない。引き取り手のない「Dタイプ」が、工場の片隅に20台を超えて並べられた。この時ジャガーは「Dタイプ」をロードカーに仕立て直して販売することを発案する。プレクシグラスのシールドはガラス製スクリーンに、そこにワイパーを装備して、簡単な幌とバンパーなどが加えられ、完成したスーパースポーツが「XKSS」となり、合計67台が生産され42台が市販された。16台が「Dタイプ」からコンバートされ、その多くは北米に輸出された。コンバートされた「XKSS」には「Dタイプ/XKSS」のダブルナンバーが記録に残る。それ以外の残った9台がどうなったのか正確な事は判明していない。1957212日夕刻、コヴェントリー工場が火災にみまわれ、ボディ治具を失った事により、ジャガーは「XKSS」の計画に終止符をうった。翌年1958年から、開発が始まったプロトタイプ「E1A」は「Dタイプ」に近い小柄なアルミモノコック構造のボディに、アルミブロック化された3XKユニットを搭載していた。1960年になるとそれは「E2A」へと進化し、このプロトタイプはル・マン24時間耐久レースに投入される。練習走行で平均速度124.11mphを記録し、いかなるライバルより速かったにもかかわらず、決勝レースでは小さなトラブルにより僅か85ラップでリタイアという結果に終わる。このプロトタイプをウィリアム・ライオンズ率いるジャガー経営陣は「Cタイプ」「Dタイプ」譲りのサラブレッドであると確信し、ロードモデルにモディファイし量産化する決定を下す。こうして1950年代のレースシーンで世界的に名声を得ていた「Cタイプ」「Dタイプ」の車名を引き継ぐかたちで、華々しくデビューしたニューモデルは「Eタイプ」と名付けられ19613月のジュネーブショーでデビューする。このショー会場において、既に500台もの注文を受けた「Eタイプ」のボディはマルコム・セイヤーによるもので、全長の半分近くもありそうなロング・ノーズと、その直後に置かれたショートデッキは、ジャガーらしく優雅で柔らかな曲線をもつ。低くスリークなボンネットの下には、ハイパワーエンジンを搭載。スミス/ルーカス製のメーター、スイッチ類が整然と並ぶインストルメント・パネルは、1960年代はじめから約14年間生産が続けられる。「Eタイプ」は、同時代のサルーン「マーク」や「マーク」と共にジャガー黄金期を築き上げ「シリーズ1.5」を挟んで「シリーズ〜Ⅲ」まで4つのシリーズが生産された。そして、フィクスド・ヘッド・クーペ(FHC)とオープン2シーター(OTS)2+2という3種のボディが用意され、最終的には13車種に及ぶバリエーションがラインナップされた。この「Eタイプ」の登場で150mphのモータリングが遂に実現可能になるとともに、それまで続いてきたジャガー製のスポーツカーらしく優雅で滑らかなボディを備えた「Eタイプ」は、後にMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパーマネント・コレクションにも加えられた最初の車にもなる。XKシリーズ歴代モデルの最大マーケットだった北米市場でも大きな人気を得る事となった「 Eタイプ」は、XKシリーズを敬愛していた北米市場ではXKとの関連性を強調する意味で「XK-E」や「XKE」とよばれ親しまれた。シリーズが進化していく中でメインマーケットとなる北米での排ガス規制の対応と、リクエストされる充実した装備を加えることによりパフォーマンスの低下が懸念されていく「Eタイプ」へのジャガーの回答が、シリーズ最終モデルにあたる「シリーズ」となっている。1971年のニューヨークショーで発表された「Eタイプ・シリーズ」は、シリーズを通して長いホイールベースとワイドなトレッドをもち、XKエンジンに替えてV12気筒エンジンを搭載している。「シリーズ」までは2シーターFHC2+2FHCOTSというボディ構成だったが「シリーズ」では、スタイリッシュな2シーターのFHCがラインナップから消滅する。残された2+2FHC2シーター・ロードスター(シリーズからOTSロードスターと車名を変更された)のホイールベースは共通となる。今回入荷した「Eタイプ・ロードスター・シリーズⅢ」は「Dタイプ」に端を発するチューブラーフレームとモノコックボディ構造を継承する「XKSS」を経て、FR・オープンモデルの流れに着目すれば「Eタイプ」ラインナップの中では本流ともいえるモデルとなる。大型化されたボディのフロント・エアインテークは、エンジンが大型化された事でラジエーターが拡大し、開口部が広くなり初めて格子グリルが採用された。広げられたトレッドに伴い僅かにフレアしたフェンダーが与えられ、そこにおさまるタイヤは、それまでより1インチ幅広の6Jのディスク・ホイールと組み合わされ、見慣れたワイヤーホイールはオプション扱いとなった。「シリーズⅢ」のスタイリングから受ける印象は、それまでの軽快なスポーツカーというイメージから、力強さが感じられる逞しさを備えたモノになった。今回入荷した「Eタイプ・ロードスター・シリーズ」に搭載されるエンジンは、水冷60°V12気筒SOHC24バルブで、ボア×ストローク90mm×70mmから5343ccの排気量を得る。ゼニス・ストロンバーグ社製175CDSE型キャブレター4基と、9.0の圧縮比から272馬力/5850rpmと、42.0kgm/3600rpmのトルクを発揮する。このエンジンは、当時、技術担当副社長だったW.M.ヘインズのもと、XKエンジンの開発に深く関与したウォルター・ハッサンと、1963年春にジャガー社が吸収したコヴェントリー・クライマックス社に在籍していたハリー・マンディにより製作されたエンジンとなる。このV12気筒エンジンは、元はレーシング・プロトタイプとしてヘインズとチーフ・デザイナーだったC.W.L.ベイリーが設計し、試作を進めていたレーシングプロトタイプの「XJ13」用に開発されたもので、DOHCヘッドと5の排気量をもち、ルーカス社製のインジェクションを片バンクごとに装備し500馬力を発生していた。それをハッサンと旧友でもあったマンディのコンビにより、ロードユースを考慮し耐久性、整備性、更に低くて細い「Eタイプ」のノーズに収める為にヘッドをSOHC化して5.3の排気量に仕立て直された。ゼニス・ストロンバーグ社製キャブレターを装備し、北米の排ガス規制にも配慮されたものとなり、ウィリアム・ライオンズはフェラーリとランボルギーニが独占していたV12市場に「Eタイプ」での挑戦を試みた、とも考えられるエンジン。本来DOHCヘッドを500馬力を発揮する実力をもつ、レーシング・エンジンとして生まれたこのエンジンは、SOHC化するにあたり、気筒あたり234バルブと異なるバルブ形式と、様々な燃焼室形状を試作する中で、コヴェントリー・クライマックス社がもつ“フラット”ヘッドのノウハウを用いて、2バルブとされた。このフラットヘッドとはヘロン型ともよばれるもので、シリンダーヘッドは平らな形状で、ピストン頂部に平底の凹みをもち、これが燃焼室の役目をする事で、ピストンにはバルブをクリアする為の加工が不要となる構造をもつ。シリンダー容積に対して相対的に非常に小さい表面積の燃焼室形状となり、排ガスのコントロールと4500rpm以下でのトルク、パワー特性ともに有利となる。また、このエンジンは従来のXKエンジンとは異なり、50kgも軽量な砂型鋳造のアルミ・シリンダーブロックが採用されている。V12気筒の完全バランス・エンジンは、3プレーン式の鍛造鋼製クランクシャフトをもち、素晴らしくスムーズに高回転まで吹け上がる性質を与えられている。このV12気筒エンジンは、新たに300万ポンドが投資されたコヴェントリー郊外の旧デイムラー工場で生産された。組み合わされるトランスミッションは、従来からのフルシンクロ4MTと、ボルグ・ワーナー製12型とよばれる3ATが用意されている。足回りは、フロントはダブルウィシュボーン式+トーションバー+スタビライザーとなり、アンチダイブ・ジオメトリーが採用されている。リアはロワーウィシュボーン+固定長ドライブシャフト+ツイン・ダンパーユニット/ツイン・コイルの独立懸架が採用される。ブレーキはフロントは大径化された284mm径のベンチレーテッド・ディスク、リアはインボード・ディスクが採用され、263mm径のディスクが装備される。「Eタイプ」はこのリア・デフのすぐ脇に重いブレーキディスクとキャリパーを配置するインボード・ブレーキとツイン・ダンパー/ツインコイルのリア・サスを採用することで、ハンドリングと快適性を両立し、ジャガー特有の「ネコ足」と表現される乗り心地を実現している。ホイールは6J×15インチサイズのディスクタイプが標準装備とされ、72スポークのワイヤーホイールはオプション扱いとなっている。組み合わされるタイヤはウェット性能と耐久性において、当時高い評価を得ていたダンロップ SPスポーツ E70VRタイヤが装備されている。インテリアは、ドライバー正面にはそれまでのウッドリムに替えて、細身のレザー巻き3スポークステアリングが備わり、それを通して大径のタコメーター、スピードメーターがレイアウトされている。ダッシュボードにはKIENZLE製の時計を中央に配置して5つの小径メーターが並ぶ。「シリーズ」以前の「Eタイプ」では、この時計の位置にライトスイッチやスターターが置かれていた。メーター類は変わらず、英国車らしく視認しやすいスミス製となっている。小径メーターの下方にはトグルスイッチが並んでいたが「シリーズ1.5」の後期モデルからはタンブラー式のスイッチに変更され、左ハンドルモデルに限りエアコンがオプションで設定されている。ヘッドレストを備えたシートは、クッションの厚い新設計のものとなり座り心地が向上した事で、長距離走行でのドライバーへの負担を軽減するものとなる。ホイールベースが延長された「シリーズⅢ」では、少し大きくなったドアによりソフトトップを立てていても乗降性は向上している。フロント・ウィンドウが天地に浅めで立っている為、オープン時の開放感はとても大きく感じられ、オープンモデルに付き物のスタイリッシュなFRP製ハードトップは、オプションで設定されていた。シートの後ろのスペースには、新たに蓋つきのコンパートメント・ボックスが備わり、手荷物の置き場に困る事は無い。トランクルームは浅めでカーペットの下には燃料タンクとスペア・タイヤが装備されている。全長×全幅×全高は、4683mm×1678mm×1226mm、ホイールベースは2667mm、トレッド前1378mm、後1352mm、車両重量1461kgとなっている。最小回転半径は5.46mで、燃料タンク容量は82、生産台数はRHDモデル1871/LHDモデル6119台となる。メーカー公表性能値は、060mph加速6.4秒、SS1/4マイル加速14.5秒、最高速度150mph(241km/h)となり、ほぼXKエンジンを搭載していた「Eタイプ シリーズ」と同等の性能を維持している。Eタイプ・ロードスター・シリーズ」のシートに腰を下ろすとポジションの低さが感じられ、足をまっすぐ投げ出した位置にペダル類がレイアウトされているのに気づく。これは古典的な英国製スポーツカーのドライビングポジションとも言えるもで、ウィンドスクリーン越しに見える視界は開けていて、長いボンネット上の中央に位置するバルジと、フェンダーのクロームラインにより車両感覚は掴みやすい。イグニッションキーを捻りV12気筒エンジンが始動すると、6気筒エンジンとはあきらかに異なる特別な世界が開ける。エンジンは驚くほど低回転で静かにアイドリングを続けながらも、ブリッピングを行っただけで軽く吹け上がり、心地よい響きはドライバーの気持ちも盛り上げる。重めのクラッチを踏んで、しっかりとしたタッチのシフトで1速を選んで走り出すと、6気筒のXKエンジンは低回転域から大きめのトルクを発揮していたが、このV12気筒エンジンは更に柔軟性に富んだトルクにより、走り出しを含め低速での市街地走行も容易にこなす。そこからスロットルを開けていくと、パワーカーブの頂点が何処にあるのかわからない程、スムーズで力強く吹け上がっていく。6気筒搭載モデルに比べ、200kg以上重くなった車両重量を全く感じさせない強烈な加速感は、他の「Eタイプ」では味わう事の出来ない、凄まじさをも含んだものとなる。「シリーズ」から採用されたパワーステアリングは、6気筒モデルより2まわりも太めのタイヤの存在を感じさせない程、軽く操作出来るが路面からのフィードバックもあまり感じられない為、操作には気をつかう必要がある。また強烈な加速に対応して容量がアップされたブレーキに不安は感じられず、充分に信頼出来るものとなっている。ホイールベース、トレッドとも広げられ、装備が充実した「シリーズⅢ」では、それまでのモデルに比べると固められた足回りと言えなくもないが、乗り心地は従来モデルと同様にジャガー製らしいといえる範疇にあり、長距離移動も楽にこなせる。そしてV12気筒エンジンのサウンドは、軽くきめ細かいハイ・トーンの音質をもちボリュームは大きくないが、ドライバーの耳に心地良く響く。オープン2シーターの「Eタイプ・ロードスター・シリーズ」は、ジャガー・レーシングモデルから引き継がれるスポーツ性と、英国のトラディショナルなスポーツカーがもつ味わいに加え、最大マーケットだった北米の嗜向を加えたラグジュアリーな面も併せ持つ。195060年代のモータースポーツでのジャガーの輝かしい技術力を感じられ、桁外れともいえるトルクとしなやかなボディラインを備えた「Eタイプ」の最終モデルは、大人の感覚を刺激するスポーツカーと言えるのかもしれない。