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GT-R Vスペック
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メーカー
ニッサン
ミッション
マニュアル
グレード
GT-R Vスペック
ボディタイプ
外装色
クリスタルホワイト
年式
1993.0 年型
走行距離
49.950km
乗車定員
4.0 名
サイズ
長 454.0 cm 幅 175.0 cm 高 125.0 cm
エンジン形式
排気量
2568.0 cc
馬力
280
トルク
36.0
車検
令和5年8月
ハンドル
駆動区分
4輪駆動
輸入区分
内装色
グレーツートン
燃料区分
ガソリン
幌色

1989821日に発売された8世代目となる日産スカイラインベースのGT-R(BNR32)は、搭載するエンジンで区分すれば、2世代目のGT-Rとして16年ぶりに復活したことになる。ショーデビューは同年、晴海から幕張に会場を移した東京モーターショー。このショーでは、初代ホンダNSX、初代マツダ・ロードスター(ユーノス・ロードスター)4世代目日産フェアレディZ(Z32)などがお披露目され、一日の入場者数16350人という記録も残す華やかなショーとなった。このR32GT-RはグループAカテゴリーによる、ツーリングカーレース制覇と「1990年にハンドリング世界一を目指す」という日産の「901運動(GT-Rの他に初代プリメーラやインフィニティQ45などの対象車種が存在した)」により、伊藤修令(いとう ながのり)主管がまとめたクルマ。「901運動」でGT-Rにおいては、ニュルブルクリンクのノルドシュライフェを8分台中盤で走行出来る事、ドイツのアウトバーンを200km/h以上でリラックスして巡航出来る事、ポルシェを首都高でアウトから抜ける事など数々の目標を掲げて開発に挑んだ。それまでスカイラインの開発をしていた桜井眞一郎がR32型以前の「7thスカイライン(R31)」開発中、突然の入院により桜井の後輩にあたる伊藤が後を引き継いだ。その結果、販売された7thスカイラインはスカイラインとしての完成度を酷評される事となる。スカイラインが作りたくてプリンスに入社した伊藤は、そのリベンジともう一度スカイラインの魅力を後世に伝えたい想いから、R32GT-Rを創り上げたといわれている。ベースとなるR32型スカイラインとの差は、より太めのタイヤをおさめる為、大型化された前後ブリスターフェンダーや、大型化された冷却装置を装備する事で、開口部の大きな専用フロントバンパー、高速での安定性を考慮した専用リアウイングなどに見ることが出来る。また重量配分にも気を配り、フロントフェンダーとボンネットはアルミ製とされた。インテリアにはエクセーヌ生地を使用した、秀逸なホールド性をもつモノフォルムの専用バケットシートとスポークまで革張りとなる専用ステアリングを備え、理想的なドライビングポジションが得られる設計が施されている。フロントに搭載されるRB26DETT型とよばれる、水冷直列6気筒DOHC24バルブエンジンは、ボア×ストローク86.0mm×73.7mmによる2568ccの排気量をもち、インタークーラー付きセラミック製ツインターボ(GT-Rニスモはメタル製ツインターボを採用)を装備する。これにより最高出力280馬力/6800rpm、最大トルク36.0kgm/4400rpmを発揮する。軽いチューニングで600馬力以上出せて、更なるハイパワーに耐えられる強靭な鋳鉄ブロックを備えている。組み合わされるトランスミッションは5MTのみとなる。駆動系には「アテーサE-TS」とよばれる、油圧多板クラッチの押し付け量を電子制御する事で、後輪駆動ベースとしながら走行条件に応じて前輪に駆動力を配分出来る4WDシステムを備える。これによりフロント:リアのトルク配分を0:10050:50まで電子制御する事が可能となり、これはポルシェ9594WDシステムに着想を得たオンデマンド4WDシステムとなる。足回りはスタビライザー付きの前後マルチリンク式となり、4WS機構の「スーパーHICAS」を装備する。これは7thスカイラインで採用された、HICASという30km/h以上の速度で後輪を油圧アクチュエーターにより同位相に操舵するシステムの進化版。同位相に操舵する寸前に一瞬だけ、逆位相に操舵して回頭性を上げたものがスーパーHICASといわれている。ブレーキは前後ドリルドベンチレーテッドディスクとなり、フロントキャリパーはアルミ製4ポット、リアは2ポットを備える。専用となる8J×16インチアルミ鍛造ホイールに、前後225/50VR16サイズのタイヤを装備する。全長×全幅×全高は4545mm×1755mm×1340mm、ホイールベースは2615mm。トレッドは前/後ともに1480mm、車両重量1430kg、燃料タンク容量は72となる。新車時販売価格はベース車となるGTS-tの倍に近い445万円となるが、そのエンジン音、加速、制動、コックピット環境、全てがスペシャルとなっていて、GT-Rでしか味わえない世界を持っている。R32GT-Rの総生産台数は43934台。パフォーマンスは、カーグラフィック誌の長期テスト車として使用していたGT-Rの実測値で0100km/h加速4.9秒、0400m加速13.2秒、01000m加速26.3秒となっている。これは目標としていた当時のポルシェ911ターボの0400m加速13.7秒を上回るタイムとなる。GT-Rは、開発目的のひとつとしていたレース活動においても多くの戦績を残した。はじめに1990年グループAカテゴリーで争われる、全日本ツーリングカー選手権にデビューした途端、シリーズを席巻し2929勝を果たし、93年までシリーズを4連覇するという偉業を成し遂げた。また、基本的には国内専用販売としながらもオーストラリアに100(オーストラリア仕様は出力は同じ、スピードメーターは260km/hまでとされ、僅かな仕様変更を施された)輸出され、そのオーストラリアで開催される「バサースト12時間耐久レース」に参戦し、1991年、92年と連続して総合優勝をしている(マツダRX-792年〜94年、同レースで連続クラス優勝となっている)。同じく1991年、ベルギーのスパ・フランコルシャンで行われる24時間耐久レースにおいても、日産ワークスから出場したグループAカテゴリーのGT-Rが総合優勝を勝ち取るなど、日本のみならず海外でもその性能の高さと、結果を残す事となった。更なる性能の向上を目指すR32GT-Rは制動性能の強化に着目した。頑強な鋳鉄ブロックのエンジンやハイテクメカによる1430kgにもなる車両重量(ベースとなるR32GTS-t1260kgだった)がブレーキシステムに負担をかけることで、パッド以外ノーマルを使用しなければならないN1レースにおいて、ブレーキトラブルが続出した事がきっかけとなった。一般道ではそこまで深刻な状況とはならないが、それでもノーマルパッドの耐フェード性は決して充分とはいえない状況ではあった。1990年にエボリューションモデルとして「GT-R NISMO」を500台限定で販売した後、19917月に「GT-R N1」が発売され、フロントブレーキローターに対策がされ、クラック防止の為ドリル孔のないモノを採用、パッドも変更を受けた。「GT-R N1」販売後の19918月からGT-Rは中期型となり、ドア内にサイドインパクトビームなど安全装備を充実させた事により50kg車重がかさんでしまう。そして19922月にギアボックスのシンクロやクラッチに改良を受け、後期型となったGT-Rをベースに発売されたのが「GT-R Vスペック」で、根本的なブレーキ対策が施されたモデルとなった。フロント4ポット、リアに2ポット対向ピストンという型式はオリジナルGT-Rと同じながら、そのキャリパーはブレンボ製の専用品となった。組み合わされるブレーキローターはフロントディスクは径296mm×厚さ32mmから径324mm×厚さ30mmとし、リアディスクは径297mm×厚さ18mmから径300mm×厚さ22mmとされ、ともに大径化された。それに伴いホイールも1インチ大きな、17インチのBBS製となり、タイヤサイズは225/50-17のブリジストン RE010Zが採用された。これらの装備変更にあわせて、サスペンションとアテーサE-TSの最適化が施されている。ブレーキ対策がなされた「GT-R Vスペック」は、カーグラフィック誌のフェードテストにおいてカーグラ流01000km/hを、いつもの倍の0.5Gの減速で20回繰り返して、その1回目から20回目まで安定して11kgのブレーキ踏力を記録し、対策の有効性が証明されている。「GT-R Vスペック」の生産台数は1453台、新車価格はノーマルGT-R71.5万円高となる526万円であった。また19942月に発売されるVスペック1303台が生産され、VスペックとVスペックの違いは、タイヤサイズのみとなる。それぞれのモデルが発売された時期に認可されていたタイヤ扁平率の違いにより、Vスペック のタイヤサイズは245/45-17となっている。GT-Rのエンジンは鋭利なレスポンスとリニアなトルクをドライバーに示し、強固なボディ剛性で、常に反力を失わないパワーステアリング特性をもち、そのドライバビリティは相当高いものとなる。また、ダンパーは終始フラットな味わいと、硬めながら運転を楽しみたい人にとっては、快適ともいえる乗り心地を提供し、日常の足に使っても全く不満を感じない。ユーティリティを犠牲にする事無く、開発当時の日本における最先端技術を惜しげもなく盛り込まれたハイテクモンスターである。当時ニュルブルクリンクのノルドシュライフェを、9分を切ってコンスタントに走れたのは、GT-Rとポルシェだけといわれていた。その上で国産車初となる820秒台というレコードタイムを樹立、この数字はGT-Rが持つ圧倒的なスタビリティの高さの賜物といえるもので「技術の日産」を物語る象徴であるとともに「901運動」の目標のひとつを達成する事となる。日常からニュルブルクリンクまで、その走りは常にドライバーの心を満たすものとなった。さらに輝かしいレースの数々の戦績のみならず、ゲームの世界においても「グランツーリスモ」というソフトのヒットにより、その性能とドライビングをバーチャル体験する人が増えるとともに、映画「ワイルドスピード」でその実力を世界が知ることとなる。「S20型エンジン」による「初代GT-R」から始まった伝説は、この「RB26DETT型エンジン」を搭載する「2世代目GT-R」により更なる進化とともに確実な物とし「VR38DETT型」を搭載する「3世代目GT-R」にその歴史の襷を繋げることになった。もはやGT-Rは世界のクルマ好きの心に響く味わいをもつ、日本を代表する一台といえる。その魅力は、どのモデルにおいても全く褪せる事無く、常に作り手の強い意志と当時の最高の技術が、たっぷりと感じられる一台となっている。