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メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
ボディタイプ
外装色
レッド
年式
1991 年型
走行距離
40100km
乗車定員
4 名
サイズ
長 410 cm 幅 185 cm 高 130 cm
エンジン形式
排気量
3217 cc
馬力
325
トルク
44.0
車検
ハンドル
駆動区分
輸入区分
ディーラー
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色

1928年、アルゼンチンに生まれたアレッサンドロ・デ・トマソは幼少時代にはかなり恵まれた環境で育ち、母は遡ると建国時代に行き着くこの国の名家の出身となる。 父は23歳の若さで参議院議員に当選し、未来の大統領候補と言われるほどの人物。その生活は38歳の若さで父が亡くなることで変化を見せはじめる。6歳だったアレッサンドロは寮制の学校に送り出されると卒業後、実家に戻りブエノスアイレスにあるファミリー所有の大牧場で経営を学ぶ為に働くこととなる。彼はファミリーの財産を管理する代表管理人に指名されるが、アルゼンチンは国家的転機を迎えた時期で、軍出身のファン・ペロンが大統領に就任すると独裁者への道を歩み始めていた。ペロン政権を批判する新聞の発行に携わったアレッサンドロは、エルネスト"チェ"ゲバラと知り合うも、自家用機で隣国ウルグアイに脱出を図る。その後、アルゼンチンにはクーデターが起き、ペロンはスペインに亡命することになるが、アレッサンドロ自身は紆余曲折の末イタリアに辿り着く。その時の所持金は126ドル程しかなく、オルシ伯旗下のマセラティでメカニックとして働き始める。間もなくマセラティのワークスドライバーとして抜擢されると19571月、母国のブエノスアイレス1000kmレースに「マセラティ150S」で出走し総合4位を獲得する。マセラティでレースをすることで、後の妻となるアメリカ人のアマチュア・レーサーとして活躍するイザベル・ハスケルとも巡り合う。イザベルの父は、億万長者P.S.デュポンの顧問を務め、創生期のGMの取締役という経歴をもつエスタブシリッシュメントだった。19573月イザベルとアレッサンドロはフロリダのウエストパームビーチで結婚式を挙げる。ともに歩き出した2人となるが、妻となったイザベルの人脈と経済的メリットは、それからのアレッサンドロの人生のキーとなっていく。アレッサンドロは1957年と続く58年は、マセラティ兄弟が経営するOSCAに移籍しワークス・ドライバーを務める。その頃、クーパーによるミッドシップ・レーシングカーが登場し、アレッサンドロは旧態化したFRからミッドシップへの変更をことある毎にマセラティ兄弟に申し出るが、却下されたことから自身でクーパーF2のシャーシを購入し、レーサーからコンストラクターへの道に進路を修正する。フォーミュラーでミッドシップのノウハウを積み上げたアレッサンドロは、1962年に鋼板バックボーンフレームをもつ「エラン」をロータスがデビューさせると、その車体構造からヒントを得て、小径鋼管フレームから鋼板溶接製のバックボーン構造をもつミッドシップ市販モデル「ヴァレルンガ」を誕生させる。それは「ルネ・ボネ・ジェット」や「ATS2500GT」などと並ぶ史上初となるミッドシップ市販モデルの一翼を担う、アレッサンドロの先見性あふれるスポーツモデルとなった。その後「マングスタ」を経て「パンテーラ」を生産していた1973年、かつて自身が働いていたマセラティが、親会社シトロエンの経営難により資金繰りに行き詰まりを見せ始めていた。アレッサンドロは政治的な駆け引きの中で、マセラティ株の30%を買い取るとGEPI(イタリアの労働供給公社)との話し合いを経て、年々持ち株の比率を増やし続け1979年には80%を所有するまでになる。苦境に喘ぐイノチェンティをも傘下に収めることで、アレッサンドロはモノコックボディの大量生産が可能となる製造ラインを手中にすることとなった。アレッサンドロは「パンテーラ」などの製造経験により北米市場の重要性を理解していたので、マセラティ・ブランドを活かしたBMW3シリーズ並みのコンパクトモデルの開発を指示し、この新たなカテゴリーで開発されたのが、1981年に登場した「マセラティ・ビトゥルボ」である。搭載されるのは新開発の290°V6気筒SOHC18バルブ・エンジンでマセラティがパテントをもつ、SOHCながら気筒あたり3バルブのヘッドが採用されている。各バンクごとにIHI製ターボチャージャーを装備する「ツインターボ=ビトゥルボ」を車名とする、小型でハイパワーなラグジュアリー・クーペとなっている。小型のターボチャージャーを採用することでターボラグを抑えるとともに、市販車初となったツインターボ・エンジンは、アレッサンドロの発案によるもの。そして高貴なブランドイメージを後ろ盾に、そのキャラクターがマーケットに受け入れられ、1983年には生産台数が5000台を超えた。間もなく輸出仕様の2.5エンジン搭載モデルも加わり、ビトゥルボ・シリーズは、4ドア・セダン、オープン・モデルとボディバリエーションを増やし、明るいカラーを使ったレザーとウッドによるラグジュアリーな内装と、ゴールドのオーバル型アナログ時計がアイデンティティとなった。そして1988年のジュネーブショーで発表された「マセラティ・カリフ」は「マセラティ伝統の風の名前をもつ本格的なスポーツモデルの復活」とアナウンスされ、オープン・モデルの「スパイダーザガート」にハードトップを付けたマルチェロ・ガンディーニのデザインによるボディをもつモデルとなる。クラシカルなリアウィンドウの形状は、どこか馬車を想わせ、とても印象的なものとなっている。2400mmというビトゥルボ・シリーズ中、一番短いホイールベースが採用されることで、高い運動性能が期待出来、このモデルから本来のスポーツ色を強めていきたいというマセラティの意思が感じられるモデルとなる。車名の「カリフ」とは、夏季にアラビア半島に吹く風の呼び名で、搭載される2.8・ビトゥルボエンジンはシリーズ中、最強のエンジンとなりマニュアルトランスミッションのみの設定で、ABSやトラクションコントロールも装備されない。メーカー自身「硬派のロードアニマル」だと明言し、221台が生産された。「カリフ」が登場してから1年後の19891214日、本拠地モデナの本社でベールを脱いだのが「マセラティ・シャマル」となる。車名の「シャマル」とはトルコ・イラク・シリアを流れるチグリス・ユーフラテス川を中心としたメソポタミア平原に吹く季節風を表している。登場から10年間生産され続けたビトゥルボシリーズの中では「カリフ」に続く、ハイ・パフォーマンス・モデルであり、新開発となる3.290°V8気筒DOHC32バルブ・ツインターボエンジンが搭載されるトップモデルでもある。「カリフ」と同様に2400mmのショート・ホイールベースながら、新開発のリアサスペンションの採用により、大きく広げられたトレッドをもつ。エクステリア・デザインは「カリフ」と同様にマルチェロ・ガンディーニによるもので、ロールバー形状でBピラーからルーフに周るマットブラックのアクセントを特徴とし、それまでのピアランジェロ・アンドレアーニが担当した端正ともいえる「ビトゥルボ」のフォルムから一転、アグレッシブとも表現出来るスタイリングとなっている。ガンディーニ・デザインの象徴となる「カウンタック」のようなリアフェンダーアーチ形状や、フロントウィンドウ下のスポイラー、プロジェクタータイプのヘッドランプ・デザイン等、このモデル以降のビトゥルボ・シリーズにも影響を与えるデザインが随所に与えられている。「シャマル」に搭載されるエンジンは、それまで続いたビトゥルボ・シリーズの、V6気筒SOHC18バルブエンジンとは異なる、新開発のV8気筒DOHC32バルブとなっている。ボア×ストローク80mm×80mmのスクエアとなり、3217ccの排気量を得る。各バンク2本ずつ存在するカムシャフトは、長いコックドベルトによりクランクから両バンクの排気バルブ側のカムシャフトを回し、排気側カムの後端からチェーンにより吸気側カムシャフトを駆動する仕組みをもつ。4バルブ化されたエンジン・ヘッドは、コンパクトな燃焼室を実現する為にバルブ挟み角は20°とされている。各バンクに備わるインタークーラー付き水油冷式ターボチャージャーはIHI製となり、ウェーバー・マレリIAW燃料噴射装置と7.5の圧縮比から、最高出力325馬力/6000rpmと最大トルク44.0kgm/3000rpmを発揮する。このエンジンの最大の特徴はビトゥルボ・シリーズのエンジンの中で、唯一のシングルプレーン式クランクシャフトが採用されている事。90°V8エンジンの場合、静粛性とスムーズな回転の為に通常は90°クランクとなるダブルプレーン式が使われるが、等間隔爆発と慣性吸排気によりパワーアップが狙え、カウンターウェイトを持たない事でレスポンス向上にもつながるシングルプレーン式が採用されている。この方式では、振動がダブルプレーン式に比べ劣るとされるが、フェラーリはじめランボルギーニもシングルプレーン式を敢えて採用していて、パワー重視の設計であるとともにレーシーなサウンドを響かせるエンジンとなる。このエンジンをベースとする、V8ユニットが搭載される「クワトロポルテ」や「3200GT」では、ダブルプレーン式のクランクシャフトに変更されているので「シャマル」に搭載されるエンジンは希少な純マセラティエンジンとなっている。組み合わされるトランスミッションはゲトラグ社製6速マニュアルミッションとなり、リアデフにはトルセン式とは異なるウォームギアを利用したLSDレンジャー・デフを装備する。パワー重視で開発された「シャマル」のエンジンだが、対応するディファレンシャルの供給事情により約50馬力デチューンされていたといわれている。「シャマル」発表の翌年、モックアップの段階で発表され、生産には至らなかったミッドシップ・プロトタイプモデル「マセラティ・シュバスコ」では同エンジンにより最高出力430馬力を発揮するとアナウンスされていた事から、パワーと耐久性に伸びしろを感じさせる設計が施されたエンジンといえるかもしれない。足回りはフロントはマクファーソン・ストラット+コイル、リアはセミトレーリングアーム+コイルとなる。リアのセミトレーリングアームはそれまでの鋼板プレス製から、新たに剛性確保と軽量化の為、円断面のスチールパイプによる溶接構造となり、立体的に組み上げられたもので一見マルチリンク式にも見えるものとなる。ショックアブソーバーはKONIと共同開発による減衰力を4段階に任意に切り替え出来るものが装備されている。ブレーキはフロント・ベンチレーテッドディスク、リア・ソリッドディスクが装備され、それぞれシングルポットのフローティングキャリパーと組み合わされている。アルミホイールはOZ7本スポーク・デザインとなりフロント・8J×16、リア・9J×16サイズで、前後それぞれ225/45ZR16245/45ZR16サイズのタイヤが組み合わされている。インテリアは、明るい色のレザーとウッドで人気のあった「ビトゥルボ」のデザインを引用しながらも、ブラックパネルとブラックレザーで覆われたスポーツイメージを強調したデザインとなっている。その中にアイデンティティであったゴールドのオーバル型アナログ時計が異彩を放つ形でダッシュボード中央にレイアウトされる。メータークラスターには大小7つのメーターが収まり、大径スピードメーターは300km/hまで刻まれ左側に、ブースト計を挟んで右側には8000rpmまで刻まれたタコメーターがレイアウトされ、メーター類は全てveglia製となる。シフトノブにはウッド製が採用され、黒一色のインテリアの中で、時計とならびアクセントとなっている。ハザードスイッチを中心とするボタン・スイッチ類が並べられた下方には、空調操作パネルがレイアウトされ、タッチ式スイッチが採用されている。大ぶりなバケットタイプのシートは太腿の裏が盛り上がる、独特の形状となり、バックレストは電動調整式が採用されている。リアに2名分のシートが装備されるが、オケージョナルシートとよぶべきレベルのもので荷物置き場としては便利な空間となる。この「シャマル」専用ともいえる黒一色のインテリアは、モデル末期になると他の「ビトゥルボ」モデルの様に、ウッドトリムが配されたり、明るめのグレーレザーが用いられた個体もデリバリーされるようになった。あわせてボディカラーも発表当初は赤と黒しか設定されず、後半には白や紺色の個体が生産されるようになった。全長×全高×全幅は、4100mm×1850mm×1300mm、ホイールベースは2400mm、トレッド前1512mm、後1550mm、車両重量1430kg。燃料タンク容量は80、最小回転半径は5.6m、生産台数は369台となり、新車時価格1380万円となっている。メーカー公表性能値は、0100km/h加速5.3秒、01km加速24.9秒、最高速度260km/h以上となり、カーグラフィック誌による実測値は、雨の中での測定値として0100km/h加速7.4秒、0400m加速14.9秒、01km加速26.4秒と掲載されている。ドアを開けて「シャマル」のシートに腰を下ろすと、見た目よりは柔らかく身体をホールドしてくれるが、太腿の裏が盛り上がった独特の座り心地を覚える。ステアリングコラムにキーを差し込みエンジンをスタートさせると、V6系の「ビトゥルボ」とは明らかに異なる滑らかな連続したビートでアイドリングが始まる。握りやすいウッドのシフトノブで左前方の1速を選びクラッチをゆっくりリリースすると「シャマル」は滑らかに走り出し、低速トルクも充分に感じられるものとなる。エンジンレスポンスも良好で、本格的にターボが効果を表す3000rpm以下でも走りやすい。この感覚はV6系ビトゥルボ・モデルの「ギブリ」等とは全く異なり、400cc大きな排気量が効いているのか、ターボチャージャーの加圧具合に違いがあるのか、いずれにしても想像以上に扱いやすい印象となる。3000rpmを超えるとターボが効き出すのがわかるが、何処かでハッキリと段差を感じるタイプではなく、回転の上昇に伴いリニアに強烈なトルクで速度を上げていける。その時のサウンドもV8エンジンならではの印象的なものとなる。エクステリアから想像される乗り心地の荒さは微塵も感じられず、短いホイールベースも有効に作用し、高い剛性を感じられるモノコックボディに対して、ショックアブソーバーが動く事によりショックを上手に吸収し、滑らかなライドフィーリングを味わう事となる。またコーナリングもV6系とは異なり、重たいハズのノーズはアンダーを感じさせる事無くよりニュートラルに、ステアリングを操作した分だけ素直にコーナーに入って行く。そして出口では、強力なトルクによって安定した脱出加速が楽しめるが、短いホイールベースである事も決して忘れず油断せずにアクセルを開けることをお勧めする。こういう走り方も充分に楽しむことが出来る「シャマル」は、もう一方では直進安定性が高く洗練された乗り味を示しGTとしての資質も高い。少ない生産台数と合わせて、ここに来て海外でもそのキャラクターと存在感は見直されつつあるモデルとなっている。アグレッシブなルックスと短いホイールベースでイメージされる性格より、実はマセラティらしく遥かに大人寄りのスポーツカーと言えるのかもしれない。「シャマル」が誕生した1980年代の後半には「ランボルギーニ・ディアブロ」はじめ、モンスター級のスーパースポーツが各社から発表され、ポルシェが「959」を、フェラーリは「288GTO」をデビューさせた時期だった。新たにスーパースポーツを産み出す程の余力の無かったマセラティは、当時の持てる技術と使える部品をフルに活用して造りあげたのが「シャマル」となる。他のスーパースポーツに見劣りしないガンディーニによる迫力あるエクステリアには、そういう理由が含まれる。走らせると感じられる洗練されたGT感こそ、黄金期のマセラティを再現したような、マセラティの本来あるべき姿が再現されていると言えるのかもしれない。揺るぎない安定感と有り余るトルクからの自在なスピードの調節が可能となり、ドライバーは疲れを最小限のままに遠くまでドライブすることが出来る。考えてみれば現在ラインナップされているマセラティ各車がもつキャラクターに非常に近いともいえる。偶然にも最新のマセラティ各車のトップグレード「トロフェオ」には、現代における最新の「ビトゥルボ=ツインターボ」エンジンが搭載されている事を考えると、アレッサンドロの先見性を思い出さずにはいられない