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ツーリングスパイダー
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メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
ツーリングスパイダー
ボディタイプ
外装色
ホワイト
年式
1960.0 年型
走行距離
44300マイル
乗車定員
2.0 名
サイズ
長 443.0 cm 幅 160.0 cm 高 137.0 cm
エンジン形式
排気量
1972.0 cc
馬力
115
トルク
車検
ハンドル
駆動区分
輸入区分
中古並行輸入
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色
ブラック

第二次世界大戦前のアルファロメオは、現在のフェラーリの様な、プレミアムスポーツカーメーカーとして存在し、レース活動をメインとしながら少量生産する市販車の販売を行っていた。大戦前にグランプリカーや高級市販車を設計していたヴィットリオ・ヤーノは新型マシンの不振の責任をとって既にアルファロメオを去り、その弟子ともいえるジョアッキーノ・コロンボはスクーデリア・フェラーリに加入していた。大戦中は1943214日と814日、翌年441022日の3回にわたる連合軍の執拗な爆撃により、工場は壊滅的とよべる打撃を受けていた。大戦終了後、技術部長のオラツィオ・サッタ・プリーガは、敗戦後の接収を免れた「アルフェッタ」の性能を強化、改善しグランプリ・レースに復帰すると、1950年にジュゼッペ・ファリーナが初代ワールドチャンピオンを獲得する活躍を見せた。それ以前の1948年には7割に相当する施設を復興させたアルファロメオは、社名をそれまでの「イタリア・ニコラ・ロメオ技師株式会社」から「アルファロメオ株式会社」に改称するとともに経営方針も変更し、量産車メーカーへと大きく方向転換を図った。この方針に基づき19505月に登場したのが戦後のアルファロメオ黄金期の先駆けとなる「アルファロメオ 1900」だった。設計は「アルフェッタ」を勝利に導いたオラツィオ・サッタ・プリーガで、195010月のパリサロンでデビューを果たす。この時の人々の反応は様々で、戦前からの伝統に敬意を払う人にとっては時を同じくしてグランプリ・レースから撤退したアルファロメオの堕落とも映った。それでも冷静に見れば「アルファロメオ 1900」には、戦前のアルファロメオの技術が活かされツインカム・エンジンやフルシンクロ・ギアボックスが搭載され、当時の実用サルーンとしては望み得ないクオリティとパフォーマンスを備えていた。実用サルーンの「フィアット1900」の5割増しの価格で発売されると同時に予想を超える大ヒットとなった。戦前の輝かしい「8C」「6C」の活躍を知る、古くからの愛好家にとっては「1900」の4気筒では物足りなく思えるかもしれないが、モノコックボディにより車重1100kgと軽めの仕上がりにより80馬力のパワーで150km/hを超える最高速度を達成し、この時代としては充分に高性能といえるパフォーマンスをみせた。人気を博した「1900」には様々なバリエーションを加えながら、1953年になると1884ccから1975ccにエンジン排気量をアップし、ツイン・キャブレターを備えた115馬力を発揮するエンジンを搭載した高性能モデル「TI Super」が発表され、このモデルは当時もっとも速く、もっとも優れた2サルーンと評価された。1954年には、ショートホイールベースの少量生産スペシャルともいえる「1900C(Sprint)」が発表され、カロッツェリア・トゥーリングによるクーペボディを架装した「Super Sprint」ではトップスピードは190km/hに達し「1900」シリーズのトップモデルとなった。「1900」シリーズは1958年迄カタログに残り、17243台のベルリーナと、1796台のスプリントが生産され、アルファロメオ始まって以来の生産台数を記録する。戦前では400台に満たない年間生産台数だった事を考えれば、大きな躍進を遂げた事になる。この生産台数を上回るのは1954年に登場する1.3エンジンを搭載するジュリエッタ・シリーズとなる。「ジュリエッタ」では、もはや「1900」のように少量生産時代のアルファロメオを感じさせる面影は残していないが、爆発的なヒットを遂げ、本格生産が始まった1955年には約3000台がラインオフする。アルファロメオは「1900」と「ジュリエッタ」で17万台以上にのぼる生産台数を誇り、この成功で自信を深めた。この「1900」の成功を受けて、1957年秋のトリノショーでデビューしたのが「アルファロメオ 2000」となり、衰えぬ人気の「1900」からエンジン、サスペンションは流用され、モノコック・ボディを根本的に新設計したモデルとなっている。ホイールベースは延長されるとともに全幅も拡げられ、コラムシフト式MTが採用されることで大人6人がゆったりと乗れるベルリーナボディとなる。翌年1958年にこの「2000」シリーズに加わったのがホイールベースを短縮し2+2のキャビンをもつ「2000トゥーリングスパイダー」となっている。「1900Super Sprint」以来、アルファロメオと密接な関係にある、1926年創業のミラノのカロッツェリア・トゥーリングによるオープン・ボディをもつ。フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニにより設立されたカロッツェリア・トゥーリングは、息子のカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニに引き継がれ、多くのメーカーの依頼を受け、特許権をもつスーパーレッジェーラ方式を用いてスポーツモデルのボディの架装を行っていた。「2000トゥーリングスパイダー」のボディも、同年代の「アストンマーティンDB4」や「マセラティ3500GT」に通じるボディデザインが採用されている。「アルファロメオ2000シリーズ」は、ベルリーナよりスパイダーの方が多く生産され、1962年からは2600ccの直列6気筒DOHCエンジン搭載の「2600スパイダー」に進化する。両車のボディ・フォルムは、ほぼ共通ながら、ボンネットのエアスクープ形状が2000ccモデルでは2つあるのに対して、2600ccモデルは中央に1つとされている。また、フロントグリル中央に上下に長めのアルファロメオの楯がレイアウトされる為、フロントバンパーが左右にわかれる2000ccモデルに対して、2600ccモデルは一本バンパーが採用され、やや小型の楯を備えたフロントマスクとなっている。「2000トゥーリングスパイダー」が搭載するエンジンは、水冷直列4気筒DOHC8バルブとなり、ボア×ストローク84.5mm×88.0mm1975ccの排気量をもつ。「アルファロメオ1900」に端を発するこのエンジンは、デビュー当時、ボアは82.6mmでストロークは共通、チェーン駆動のツインカムによる吸排気バルブの挟み角も共通の90°となっている。2基のソレックス製40Pツインチョークキャブレターを備え、圧縮比8.0から115馬力/5700rpm16.0kgm/3700rpmのトルクを発揮する。組み合わされるギアボックスは、5速フルシンクロが採用されたフロアシフト式MTとなっている。足回りは、フロント・ダブルウィッシュボーン+コイルスプリングによる独立式、リア・トレーリングアーム+コイルスプリングによるリジット式が採用されている。ブレーキはフロントにガーリング製ディスク、リアはドラム式となりバキューム・サーボを装備する。タイヤサイズは165-400サイズとなりミシュランXラジアルタイヤが備わる。インテリアは、コラムシフト式となるベルリーナに対し、フロア式の5MTを備える。メーターナセルには4つのメーターが備わり、大径のスピードメーターを中央左に、その右には大径のレブカウンターがレイアウトされる。アクセルペダルは吊り下げ式となるが、ブレーキとクラッチペダルはオルガン式となる。ヘッドレストを持たない低めのシートは、オープン時の爽快感を想像させるものとなっている。ボディ全長に対して小振りなドアとなるが、2+2のキャビンを持つ事から「ジュリエッタ・スパイダー」や「ジュリア・スパイダー」に比べゆったりとした雰囲気を備えている。全長×全幅×全高は4500mm×1660mm×1240mm、ホイールベース2500mm、トレッド前1400mm、後1370mm、車両重量1180kgとなっている。「2000トゥーリングスパイダー」の生産台数は、3443台で「2000ベルリーナ」の2814台を上回る。メーカー公表性能値は、060mph加速12.0秒、SSクォーターマイル加速18.1秒、最高速度175km/hとなっている。ボディの大きさは、例えば「スパイダー・デュエット」に比べそれほど大きくは感じられない。広さにゆとりをもつキャビンに入りドライバーズシートに腰を下ろすと、大径で細身の3スポーク・ステアリングは、メータークラスターに近くレイアウトされ、メーターバイザーから斜めに突き出したルームミラーが、印象的なデザインとなる。低めのウェストラインや、シートバックにより肩から上が剥き出しとなるドライビングポジションは開放感に溢れている。オープンボディでありながらも、しっかりと感じられるモノコックボディは、車重が1000kgを超える上級モデルだけに乗り心地にもゆとりが感じられるものとなる。ウォーム・アンド・ローラー式のステアリングも軽く滑らかで路面の状況を的確に伝えてくれるので操作しやすくなっている。アルファロメオのツインカム4気筒らしいスポーティなサウンドと、本格高級ブランドだった時代の名残りを感じさせる「2000トゥーリングスパイダー」は、丸目のヘッドライトから続く丸い峰をもつフロントフェンダーから、小型のドアの後ろで僅かにゆるやかにキックアップするウェストラインをもつ。フィン状に切り立ったテールに続くリアフェンダーと丸みをもってなだらかに落ちるリア・トランクリッドを見ていると一回り小さな「フェラーリ250カブリオレ」にも見えてくる。フェラーリはピニンファリーナのデザインとなるが、どちらも1950年代の柔和なデザインを感じさせるのが特徴といえるだろう。レースによる技術と先進のメカニズムを市販車にフィードバックする事に長ける、戦後のアルファロメオは、年間219571台を市場に送り出す1980年のピークに向け成長を続けることになる。1910年の創業時から1952年迄に「走るアート」とも称えられた高級車「6C2500」を最後に送り出すまでのアルファロメオ は、たった12868台しか生産していなかった。レースに勝つ事だけを目標に人の心を掴む技術も身につけながら、量産メーカーとしての成長を新たな目標として作り出した「1900」がきっかけとなって歩みはじめたアルファロメオが、発表した「2000トゥーリングスパイダー」は、アルファロメオ が育んできた名声に相応しい高性能や、時代をリードするスタイリングを備えたモデルを求める声に応えたモデルとなっている。