サイズ
長 422.0 cm 幅 198.0 cm 高 107.0 cm
マルチェロ・ガンディーニは1938年8月26日にトリノで誕生する。第二次世界大戦中は、別荘のあるトリノの北部の村で疎開暮らしを強いられるが、戦後トリノに戻るとオーケストラの指揮者を務める父親の方針にしたがい、文科高等学校に進みピアノを専攻した。しかし、彼は幼少期から音楽より機械に関心を持ち、テクノロジーやエンジン、そしてデザインに情熱を傾けていた。大学進学を望む家族を振り切ってフリーランスのデザイナーとなったガンディーニは、家具や店舗、クルマまで手当たり次第に仕事を請け負った。デザイナーとして歩みはじめたガンディーニは、本格的に自動車デザインの仕事を志す気持ちが強くなるのを感じると、カロッツェリア・ベルトーネの門を叩いた。少しの時間が必要だったが、1965年9月にジョルジェット・ジウジアーロと入れ替わる形で、チーフ・デザイナーとしてベルトーネに迎えられた。弱冠27歳でベルトーネに籍を置いてからのガンディーニの活躍は、目を見張るモノがありヌッチョ・ベルトーネとカロッツェリアのスタッフに支えられながら、その才能を発揮した。まず先任のジウジアーロが残した、新しいミドエンジン・スーパースポーツのプロジェクトを引き継ぐと、僅か3ヶ月の間に大胆でモダンなアイメイクを施し、印象的な表情と見事なプロポーションに仕上げ「ミウラ」として発表する。発表と同時に一大センセーションを巻き起こし、1968年には「アルファロメオ ・カラボ」1970年には「ストラトス・ゼロ」と自動車デザインの新たな潮流を予感させるプロトタイプを立て続けに発表していく。漸く話題をよんだ「ミウラ」の生産が立ち上がったランボルギーニのサンタアガタの工場では、創業者フェルッチオ・ランボルギーニから会社の指揮を任されたパオロ・スタンツァーニが「ミウラ」の後継車開発という課題に向き合っていた。経営者とチーフエンジニアとして、彼は次のモデルこそがランボルギーニの未来を決めることになるため、今迄に無い新たなデザインと意表を突くエンジニアリング、圧倒的な性能のフラッグシップモデルを求めていた。スタンツァーニは確固たる意思をもって設計し、1971年ジュネーブショーでお披露目されたモデルが「ランボルギーニ・カウンタックLP500(LP112型)」となる。カロッツェリア・ベルトーネのガンディーニによりデザインされたウェッジシェイプによるボディデザインは「ミウラ」でさえ古典に見せる程、斬新なものとなり世界中を驚かせた。ミドシップレイアウトの特性を突き詰め、ドライバーの爪先が前車軸より前方に出る程、前進して座らせ通常の前ヒンジでは成立しないドアを、上方にシザース式で跳ね上げるのは「アルファロメオ
・カラボ」から継承されている。ガンディーニによる極端に低いフロントフードから始まるシャープなワンモーションのデザインとシザース式ドアは、これぞランボルギーニの“魂の結晶”ともいえるアイコンとなり、このモデル以降、全ての12気筒ミドエンジン・ランボルギーニに採用され、最新型の「レヴエルト」に至るまで「カウンタック」をそのコンセプトの核として産み出される事となる。1971年ジュネーブショーの話題をさらった「カウンタックLP500(LP112型)」のパワートレインはスタンツァーニの設計による会心の一作となっている。ジャンパオロ・ダラーラの元で「ミウラ」設計時に、横置きミドエンジン・レイアウトにデメリットを見出していたスタンツァーニは、ただ縦置きエンジンに改めるだけに留まらず、通常後方に置くクラッチ、ミッションを前方に配置、コックピット側で減速されたエンジンパワーをUターンしてエンジン下を通るドライブシャフトでファイナルに繋げ後輪を駆動する方式とした。この結果「ミウラ」より50mm短いホイールベースと約200mm短いコンパクトなボディを実現し、均等に近い前後重量配分とZ軸回りに重量物を集中させる事で、高い運動性を狙ったものとなっている。搭載されるエンジンは「ミウラ」にも採用されるボア×ストローク85mm×65mmから3929ccを得る60°V12気筒(L406型)では無く、ボア径は等しくストロークを73mmまで伸ばし4971ccとなるエンジンが試作された。目標とする出力/トルクは、450馬力/50kgmだったが、ベンチテストでは420馬力/48kgmにとどまった。シャーシはランボルギーニ御用達のモデナのマルケージ社による鋼板溶接構造となるセミモノコック式となり、エンジン、リア・アクスルを支えるシャーシ後部は、6本の角断面鋼板をメインにクロスメンバーを組んだ頑強なスペースフレーム構造とした。試作5ℓエンジンは間に合わず、従来の4ℓエンジン(L406型)を採用し、間に合せで造ったギアボックスと組み合わせ搭載していた。ショー終了後も開発テストドライバーのボブ・ウォレスによりテスト走行が繰り返されたが、多くの問題が発覚した。最も重大なのはエンジンのクーリング不足によるオーバーヒート、そしてシャーシの剛性不足だった。オーバーヒート問題は、美しく仕上げられたボディのリアフェンダー上にインテークボックスが載せられ、デザインより機能が優先されラジエーターの大型化が図られた。シャーシは、生産性が落ちるのを覚悟でスタンツァーニにより丸断面鋼管によるスペースフレーム構造(マルケージ社製)とアルミボディが採用され、完璧なバードケージ構造となった。肝心の5ℓエンジンの開発は全く進まず、量産試作1号車は4ℓエンジン(L406型)を搭載し「ランボルギーニ・カウンタックLP400」として赤い塗装のボディをもち、2本のワイパーを装備して1972年のジュネーブショーに展示された。翌1973年のジュネーブショーでは、ワンアーム式ワイパーに改められ2灯式のパッシングライトをフロントグリルに装備した、グリーンに塗装されたボディをもつ試作2号車を展示。1974年のジュネーブショーにおいては、サイドウィンドウの開口部に変更を受けた量産型として、黄色いボディの「カウンタックLP400」がお披露目されている。特徴的なパワートレインレイアウトと衝撃的なボディデザインをもった「カウンタックLP400」は、1974年に23台、1975年に62台、1976年に36台、1977年に28台、量産試作車1台を含めて計150台が生産されている。1977年ジュネーブショーでランボルギーニは「LP400」の発展型として「LP400S」を発表する。「LP400S」の登場にあたっては、当時ランボルギーニと親しい関係にあったカナダの石油王ウォルター・ウルフがきっかけをつくる。ウルフは「カウンタックLP400」を発売と同時に購入するが、パワー不足を感じ、親しかったジャンパオロ・ダラーラにスペシャル・カウンタックの製作を依頼する。ここで引き出されてきたのがスタンツァーニがプロトタイプLP112用に試作した5ℓエンジン。このエンジンの存在を知っていたウルフによるリクエストで、ダラーラの手によりパワーアップのためにチューニングが施され、大きめなバルブのオーバーラップとリフト量を与え、ベンチテストで447馬力/7900rpm、50kgm/5500rpmというパワー/トルクを発揮した。このエンジンを搭載したウルフ・スペシャルの「カウンタックLP500S」は、ダラーラにより足回りも強化され、採用されたホイール・デザインは1974年のトリノ・ショーで発表されたプロトタイプ・モデル「ランボルギーニ・ブラボー」用のカンパニョーロ製8.5J×15インチホイールをフロントに、リアには同デザインの12J×15サイズが製作され、高性能扁平タイヤのピレリP7と組み合わされ採用された。エクステリアはワイドなタイヤを覆うべくアルミ製オーバーフェンダーを前後ホイールアーチに装備、リアエンドには大型ウィングが与えられた。このウルフ・スペシャル開発時のノウハウが「LP400S」の開発にも活かされ、エクステリアでは、フロントスポイラーとオーバーフェンダーが装備され、後方視界確保の為のペリスコープシステムが廃止されてフラットなルーフ形状をもつ。「LP400S」ではエンジン・スペックが353馬力と若干マイルドになり、加速感は少々スポイルされたがウルフ・スペシャルと同等の足回りにより、ドライバビリティとパフォーマンスは大幅にアップされている。「LP400S」は、1978年に16台、1979年に47台、1980年に64台、1981年に89台、1982年に21台の計237台が生産された。1982年ジュネーブショーに於いて「カウンタック」は3世代目となり、やっとスタンツァーニが想い描いていた5ℓエンジンが搭載された「LP500S」の登場となる。現実的には5ℓには少し足らない4.8ℓエンジン搭載となるが「カウンタック」登場時のプロトタイプLP112の事を想えば「LP500S」の車名も頷ける。また、この車名はウルフ・スペシャルと同様な為「5000S」とよばれる事も多く、1983年に日本に最初に正規輸入されたモデルのリアエンブレムも「カウンタック5000S」となっていた。この「5000S」のエクステリア・デザインは、ほぼ「LP400S」と同様ながら、ホイール・デザインがそれまでの「ランボルギーニ・ブラボー」用の15インチからデザイン変更されO.Z製のシンプルなデザインとされている。「LP400S」の進化した足回りと、排気量アップによりトルクフルで安定したエンジン性能によりシリーズ中、最も扱いやすい「カウンタック」とされている。1982年に75台、1983年に114台、1984年に132台の計321台(323台とする説もある)が生産されている。今回入荷した1984年式「カウンタック5000S」が搭載するエンジンは、初代「カウンタックLP400」と同じジオット・ビッザリーニ設計のL406型とよばれる伝統のオールアルミ製の60°V型12気筒DOHC24バルブとなり、ボア×ストロークともに拡大された85.5mm×69mmから4754ccの排気量をもつ。このモデルからアメリカで初めて型式認証を受け正規輸入(38台)された「カウンタック5000S」は、ボッシュ製Kジェトロニック・インジェクションを備え9.2の圧縮比から最高出力375馬力/7000rpm、最大トルク41.8kgm/4500rpmを発揮する(ヨーロッパ仕様では「LP400S」のエンジンと同様にウェーバー製45DCOEツインチョーク・キャブレターを6基備え、同出力/トルクを発揮する)。「カウンタック」3世代の中で、最も低いエンジン回転数で最高出力と、排気量拡大により最も大きなトルクを発揮するエンジンで、信頼性が高く扱いやすいモデルと高く評価された。このエンジンは、新たにランボルギーニのジェネラル・マネージャーに就任したエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリにより造り上げられている。ジュリオ・アルフィエーリは、かつてマセラティに在籍した人物で「マセラティ・ボーラ/メラク」のエンジン開発にも携わり、エンジンの出力を重視するタイプの古い世代のエンジニアといわれている。組み合わされるトランスミッションは、クロスレシオの5MTとなりリア・ディファレンシャルにはLSDが装備される。︎足回りは前後ダブルウィッシュボーン式となるが、リンク部にゴムブッシュを使わないピロボール式が採用されている。前に1本、後に2本ずつのコニ製ショックアブソーバーを備え、前後ともにスタビライザーを装備する。ブレーキはサーボ付きとなり、前後ともベンチレーテッドディスクを装備、ATE製キャリパーと組み合わされる。「カウンタック5000S」から採用されたOZ製1ピースホイールは前8.5J×15インチ、後12J×15インチサイズとなり、前205/50VR15、後345/35VR15サイズのピレリP7が組み合わされている。このサイズのタイヤセットが採用された前世代の「LP400S」からは、ショックアブソーバーとコイルスプリングの取り付け位置が見直され、更にフロントスタビライザー径も太くされてウルフ・スペシャル製作時のノウハウが活かされた足回りとなっている。︎前衛的なエクステリアに比べると、比較的オーソドックスなインテリアが装備される。インテリアデザインは「LP400S」から変更され新たにraid製3スポークステアリングを装備する。角張ったメータークラスターはそのままだが、大径のスピードメーターとタコメーターを含む7つのメーターのレイアウトは変更を受けた。スピードメーターは320km/hまで刻まれ、7000rpmからイエロー、7500rpmからレッドゾーンとなる9000rpmまでのタコメーターはイェーガー製となっている。「カウンタックLP400」から採用されていた縦に数字の並ぶ、独特な距離計は、オーソドックスな横並び型とされ、スピードメーター内にレイアウトされている。各部スイッチ類、レバー類は普通の車と変わらず、奇をてらった感じは無い。ガラス面積が大きくとられた室内は温度が上昇しやすく、僅かに開くのはサイドウィンドウの一部となっている。ゲートの切られたシフトノブ前方、オーディオシステムの下のセンターコンソールにはデザイン変更を受けた空調調整装置がレイアウトされている。一体型のセミバケットシートは全体の角度とスライドが可能となるが、荷物の置き場は無い。広くない足元に配された小さめなペダル類は踏力を必要とするものとなっている。全長×全幅×全高は4140mm×2000mm×1070mm、ホイールベースは2450mm、トレッド前1492mm、後1605mm、車両重量1510kg。燃料タンク容量は左右60ℓずつで計120ℓ。新車時価格2750万円(1983年)となっている。メーカー公表性能値0→100km/h加速5.6秒、最高速度287km/hとなっている。「カウンタックLP400」登場時から前世代の「LP400S」まで300km/hとされていた最高速度は「カウンタック5000S」ではより現実的な性能値に改められた。これは「カウンタックLP400」登場時からのライバルともいえる「フェラーリ365BB」が302km/hとしていた最高速度を1981年に登場した後継車「512BBi」では、280km/hとした事も影響している。この時代、公表性能値では、フェラーリを凌いで「カウンタック5000S」は、世界最速の一台であった。「カウンタック5000S」のボディサイド、ドアからリアフェンダーにあるNACAダクトの奥に位置する、シザース式ドア・オープン用のボタンを押し軽く上方に引き上げると、ドアは油圧ストラットにより軽く開きはじめる。幅広いサイドシルに腰を下ろす感じで、その内側にあるシートに身体を下ろしてから、足を前方のペダルルームに納める。この動作を自然に流れるように出来るようになるには、少し慣れが必要となる。ドライバーズシートにおさまったところで左腕を伸ばしてドア内張の凹んだ部分を掴んで引き下げ、ドアを閉める。ステアリングは引き出す事が出来るので、シートのポジションを合わせると理想的なドライビングポジションを取ることが出来る。ほぼ平面に見える巨大なウィンドウシールドの先のノーズは、全く見えないが、キャビンの幅に余裕のあるせいか、窮屈な感じとはならない。視界は進行方向は問題無く、リアはルームミラーを通して最小限確保される。但しドア側面の下方と、斜め後方はバックミラーに頼るしかない。キーを捻りエンジンを始動させると背後から12気筒のサウンドがキャビンに侵入してくる。重めのクラッチを踏んで、固いシフトレバーをゲートに沿って左手前側に位置する1速に送り、アクセルで少しエンジン回転数を上げてクラッチをエンゲージすると、思ったよりスムーズに「カウンタック」は動き出す。レーシングエンジンに近い、ドライでメカニカルなランボルギーニのV12エンジンのサウンドは、フェラーリとは明らかに趣きが異なる。4.8ℓエンジンということで低速トルクも厚く2000rpmも回っていれば、ボディを軽々と加速させる事が可能となる。100km/hでのエンジン回転数は、5速で2600rpmに過ぎず、キャビンでのサウンドも低く抑えられ、普通に会話が出来る。3000rpmを超えると徐々に4カムV12エンジンは目覚め始め、4000rpmから力強さを見せ始めキーンというジェット機の離陸時を彷彿とさせるサウンドを発し、素晴らしい勢いでスピードを上げていく。5000rpmを超えると回転上昇は勢いを増しパワーの炸裂感が感じられる。2速、3速を使った「カウンタック」でのワインディングロードは、ロールが極端に少なくステアリングはクイックとはならないが、気持ちよく向きを変え始め、非常に安定した走行感が感じられる。慣れてくるとフェラーリより、ボディがコンパクトに感じられる程、速いスピードでコーナーをクリア出来、より振り回しやすい印象となる。ミドシップ・レイアウトによる慣性モーメントの少なさを実感出来る瞬間と言えるかもしれない。キャビン後方で回るエンジンは、レーシングエンジンの様にシャープでスムーズに感じられ、走らせる事に夢中になってしまう類のもで、濃厚なドライビングプレジャーを感じさせるものとなっている。「カウンタック」はガンディーニによる時を経てもいまだに先鋭的なスタイリングと、スタンツァーニによる独創的なパワートレイン・レイアウトによる高い走行性能をもつ自動界の文化遺産ともいえる存在となる。この、唯一無二の存在感は70年代を象徴するだけに留まらずガソリンエンジン史に於いてもタイムレスな魅力を発散し続けていると言えるだろう。まさに車名となるイタリア・ピエモンテ地方の方言で「感嘆」を表す「Countach」そのものと言えるインパクトを見るものに与え続ける一台となっている。