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エボルツィオーネⅡ
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メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
エボルツィオーネⅡ
ボディタイプ
外装色
ホワイト
年式
1993 年型
走行距離
45.000km
乗車定員
5 名
サイズ
長 390 cm 幅 177 cm 高 135 cm
エンジン形式
排気量
1995 cc
馬力
215
トルク
32.0
車検
ハンドル
駆動区分
4輪駆動
輸入区分
並行輸入
内装色
ベージュアルカンタラ
燃料区分
ガソリン
幌色

自らの名前を冠した技術主導型の自動車メーカーを創業したヴァンチェンツォ・ランチアは、1881824日に景勝地モンテローザの麓にあるフォベッロで誕生する。父親のジュゼッペはトリノでスープ缶工場を経営する資産家で、ヴィンチェンツォの姉マリアは詩人となり、兄のアルトゥーロは古典文学の研究者として活躍する文化的な家庭だった。末っ子のヴィンチェンツォは、数学の才能に恵まれ初等教育を終えるとトリノのジュゼッペ・ラグランジェ技術学校へ進学し、中学生時代に既に大学院レベルの複雑な問題を解いてみせたといわれている。少年時代を一家でトリノで暮らしたヴィンチェンツォは、新しい乗り物として脚光を浴びた自動車に興味をもち、地元のジョバンニ・チェイラーノが構える工房に出入りするようになる。ここで工具の扱いや機械の構造を技師のアリスティデ・ファッチオーリから学んだヴィンチェンツォは、17歳にしてトリノの腕の立つメカニックとして知られる様になる。ファッチオーリの設計でチェイラーノは自動車製造に乗り出し、189971日には地元の団体とともに結成された自動車会社に吸収され、それがフィアットとなる。ヴィンチェンツォもフィアットに移籍すると、検査主任兼テストドライバーの職が与えられ、そのドライビング技術を見込まれてレースにもワークスドライバーとして参加する様になる。レースでは常にアクセル全開で走るヴィンチェンツォは速さは見せるが、トラブルに見舞われなかなか結果には結びつかなかった。ヴィンチェンツォのレースは、クルマをより良くする為にその限界を知る事が目的となり、本来の他者と競う競技ではなく技術者としての限界走行テストの意味あいが強かった。それでもフィアットから数々レースに参加したヴィンチェンツォは、19007月のパドーバー・ビンチェンツア・トレビソ・パドーバー220kmレースに「フィアット6HPコルサ」でエントリーしクラス優勝を遂げた。レーシング・ドライバーとして活躍しながらも、常に自らの考えを具現化したクルマを創り上げる夢を持ち続けていたヴィンチェンツォは、19061129日に5万リラを資本金としてランチア社を設立し登記するが、会社としてのカタチは存在せず、フィアットのレーシングドライバーとして走り続けていた。ヴィンチェンツォは1907年の第二回タルガ・フローリオに「フィアット28/40HP」で参加し、2位でフィニッシュしファステストラップも獲得する快挙を成し遂げている。同じ年の9月にランチアの名前を冠したプロトタイプ1号車が完成し、搭載する2.54気筒サイドバルブのエンジンは、同時期の他車が10001200rpmあたりをエンジン回転数のリミットとする中で24馬力/1450rpmを発揮する抜きん出た存在となる。翌年19081月のトリノショーでランチアは、リムジンとダブルフェートンのボディ架装した2台の初のプロダクションモデル「12HP」と、直列6気筒エンジンを発表する。1919年にこの「12HP」は「アルファ=α」と正式に命名され、ランチアにより生産されるモデルの車名には以降ギリシャ文字が使われる様になる。6気筒エンジンは同じ年に「18HP」に搭載され、世界初の直列6気筒エンジン搭載モデルとして市販され、後に「ディアルファ」の車名でよばれる様になる。ランチアは「ベータ」「ガンマ」と4気筒の小・中型モデルや「35HPシータ」などのスポーティな高級車を毎年の様に矢継ぎ早に発表する。第一次世界大戦後の1919年にはランチアの象徴ともなる狭角V型エンジンの特許を取得し、航空機用エンジンを経て、この技術を使った22°狭角V8気筒エンジンを搭載したフラッグシップモデル「トリカッパ」を1921年に発表する。そして翌年1922年にはランチアの名を知らしめる、シャーシフレームとボディを一体化したモノコック構造のボディを実用化した「ラムダ」が誕生する。この「ラムダ」は、モノコック構造のボディにスライディングピラー式前輪懸架、軽合金エンジンブロックによる狭角V4気筒SOHCエンジン等、先進技術を満載し、当時の実用車の技術的進化を一気に10年も進めたともヴィンテージ期に於ける世界最高のツアラーとも評価される程の革新性を持っていた。この「ラムダ」で、名声を得たランチアとヴィンチェンツォは、その後も「ディラムダ」「アルテナ」と独創的なハイクオリティモデルを発表し続けた。その中で1936年の「アプリリア」では、世界で初めて風洞テストにより空力を考慮したモノコックボディを導入し、トランスアクスルを組み合わせた実用サルーンとして発表した。しかし「アプリリア」発表直後にヴィンチェンツォは体調を崩し1937215日に56歳でこの世を後にする。ヴィンチェンツォの独創性とカリスマ性を引き継いだのは、この1937年にアルファロメオ からランチアに移籍してきた史上最高のエンジニアと呼ばれたヴィットリオ・ヤーノだった。会社はヴィンチェンツォの長男ジャンニが引き継ぎ、ヤーノは「アプリリア」の後継車として1950年にランチアの歴史的傑作「アウレリア」を創り上げる。世界初となるV6気筒エンジンを搭載し、トランスアクスル方式による駆動系をもち、全輪独立懸架による最新テクノロジーが採用され世界は再び驚愕させられる。「アウレリア」のバリエーションモデルにはB20クーペB24スパイダー/コンバーチブルが加わり、これらのモデルには世界で初めて「GT=グラントゥーリスモ」という言葉が使われた。ランチアはヤーノによる「アウレリアB20GT」が、ミッレミリアのGT部門やモンテカルロラリーで優勝を果たすと、これをベースとする4カム・V6ユニットを搭載するレーシングモデル「D20」を開発し、本格的にスポーツカーレースに進出する。僅か1年半の間に「D20」は、「D23」「D24」「D25」へと発展し、アルベルト・アスカリのドライブにより「タルガフローリオ」「ミッレ・ミリア」「カレラ・パナメリカーナ」と大きなレースで勝利を重ねる。そしてヤーノは革新的グランプリマシン「D50」を開発するが、エース・ドライバーのアスカリをモンツァのレースで亡くしてしまう。これを機にランチアはレース活動から全面撤退を決意すると「D50」とともにヤーノはフェラーリへと移籍する。長らくランチアのバックボーンとなっていた技術・品質至上主義と高コストの体質、そしてモータースポーツへの過大な投資から同社は財政破綻へと進み、1955年に建設やセメント業で成功をおさめた実業家、カルロ・ペゼンティに買収される。ペゼンティはランチアの伝統を尊重し、ヴィットリオ・ヤーノの後継者として、フィアットで「トポリーノ」の開発に携わり航空機設計の経験もあるアントニオ・フェッシアを招聘し、傑作「アウレリア」の後継車としてV6気筒エンジン搭載の高級モデル「フラミニア」や、フェッシア自身による発案による水平対向4気筒エンジン搭載のFWD中型モデル「フラヴィア」が開発される。1963年には、ランチアの象徴ともなる狭角V4エンジンを搭載したFWD小型モデル「フルヴィア」が発表され、依然としてコストよりテクノロジーとクオリティが重視されるランチアの伝統は引き継がれるが、経営状況の好転は望めなかった。その状況下で、アルベルト・アスカリを失ってしばらくはモータースポーツから遠ざかっていたランチアは、ランチアの広報責任者を父にもつ、チェザーレ・フィオリオ率いる”HFスクアドラ・コルセをワークスチームとして昇格させ「フルヴィア」による国際的なラリーへの参戦を開始し、196511月のツール・ド・コルスでは8位、翌年1月のモンテカルロ・ラリーでは23位を獲得する活躍を見せる。ここから使われる「HF」とはHigh Fidelityの略称で、オーディオ用語のHi-Fiが原音を忠実に再現することを意味する様に、ランチアの技術・品質至上主義とも重なり、同社の高性能モデルやスポーティなモデルに用いられる事となる。そして19691024日にランチアは、慢性的な経営不振を理由にフィアット・グループの傘下となる。以降フィアット車のコンポーネンツを流用しながらも、シックでスポーティに仕立てられ、同クラスのフィアット車より高級感のある実用車を発表していく事となる。1972年に発表された「ベータ」は、ダンテ・ジアコーザによる「フィアット128」のFWDレイアウトを継承し「フィアット124」に搭載される直列4気筒・DOHCエンジン(ランプレディ・ユニット)を搭載し、ランチア技術陣による設計で多くのボディバリエーションを展開する。フィアット傘下となってもラリー活動は継続され、1.6まで拡大された狭角V4エンジンを搭載した「フルヴィアHF」は、1970年からスタートした国際マニュファクチャラーズ選手権(IMC=1973年からWRCとなる)では3位を獲得、1972年にはサンドロ・ムナーリのドライブにより念願の初タイトルを獲得すると、ラリーの為に発案されたスペシャルモデル「ストラトス」の開発へと進んで行く。ラリーチームの監督チェザーレ・フィオリオ、エースドライバーのサンドロ・ムナーリ、そしてカロッツェリア・ベルトーネを率いるヌッチォ・ベルトーネの談笑の中から持ち上がった「ストラトス」開発の話は、フィオリオがルールブックでもあるレギュレーションを深く理解した上で設計が始まり、プロダクションモデルをベースとして仕立てられるラリーカーとは全く異なる次元でのラリー専用モデルとして完成する。ラリーにデビューした「ストラトス」は、破竹の勢いで勝利を重ね1974年から3年連続WRCのメイクスチャンピオンを獲得し、その実力は衰える事は無かったがフィアットの政治的な意向により「フィアット131アバルト・ラリー」が登場すると第一線から退く事となる。突然変異的なモデルとして誕生した「ストラトス」だが、ランチアの技術・品質至上主義に照らし合わせれば、このモデルも紛れもなくランチアらしく存在し、ヴィンチェンツォの時代から継承される革新性と、モータースポーツとの強い繋がりをもつランチアを深く印象付けたモデルとなる。1976年ジュネーブショーで発表された上級中型車「ガンマ」は「フラヴィア」譲りの新開発の水平対向4気筒・SOHCエンジンを搭載したFWDで、ピニンファリーナによるファストバックスタイルをもつボディと、エルメネジルド・ゼニアによるインテリアが独創的なコンビネーションを表現した”ランチア“らしさ溢れるモデルとなった。翌年にはピニンファリーナのアルド・ブロヴァローネによる優雅なデザインの2ドア・クーペモデルが追加発表され「フラヴィア」以来の先進的な設計が感じられる操縦性と存在感をもつモデルとなる。フィアット傘下となり「ベータ」と「ガンマ」がラインナップされるランチアから19799月に発表された小型車「デルタ」は「フルヴィア」に続く1.31.5・直列4気筒SOHCエンジンを搭載した2ボックスのハッチバックとして開発されたモデルだった。横置きエンジンによるFWDレイアウトと、主要コンポーネンツは同じグループ内の「フィアット・リトモ」と共有するが、前後マクファーソン・ストラット式となる独立式サスペンションや、アルカンターラによる上質なインテリア、ファインチューニングによりパワーアップされたエンジンは随所にランチアらしさが表現されたものとなる。「デルタ」のボディデザインはイタルデザインのジョルジェット・ジュジャーロによるもので、1970年代を代表するシンプルな平面をシャープなエッジで縁取る幾何学的な面構成をもつ。中でもジュジャーロによるアウディのためのスタディモデルとして1978年に発表された「アッソ・ディ・ピッケ(イタリア語でスペードのエースを意味する)」のリア・ピラー部分や、水平のベルトラインに共通性が感じられる仕上がりとなっている。「デルタ」は、発表された翌年の1980年にヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、この年だけで43000台を販売するヒット作となる。翌年には、早くも累計生産台数10万台を突破し、1982年には「ベータ」に搭載される1.64気筒DOHCエンジンを搭載したランチア伝統の”GTモデル「デルタ1600GT」をラインナップに加えている。この年の4月のトリノショーでは、コンセプトモデルとして「デルタGT」にギャレット製T3型ターボチャージャーとトルクスプリット式センターデフを装備した4WDモデル「デルタ・ターボ4×4」が展示される。このモデルが後にコンペティションモデルとして1987年〜1992年迄、前人未到のWRCマニュファクチャラーズ・タイトル6連覇をランチアにもたらすモデルへと大きく発展を遂げる事は、この段階では想像する由もなかった。「ストラトス」に続くランチアからのWRC用ラリーモデルは「ベータ」の派生モデルとして誕生したミッドシップモデル「モンテカルロ」をベースとする「037ラリー」となる。ここからランチアのラリーカーの開発は、その開発コード「SE037」が示すようにアバルトに引き継がれ、チェザーレ・フィオリオに見出された天才エンジニア、クラウディオ・ロンバルディをチーフとしてこのモデル以降のランチアのラリーカーの開発が進められた。ロンバルディの元でアバルトのエンジニア、セルジオ・リモーネ主導で開発された「037ラリー」は、1981年フルタイム4WDの「アウディ・クワトロ」がデビューする事により勢力図が大きく変化をみせるWRCの中で、後輪駆動モデルとして最後のメイクスタイトルをランチアにもたらしている。オーソドックスなミッドシップ縦置きに直列4気筒エンジンを搭載し、ターボチャージャー全盛の中、ターボによるラグ(レスポンスの遅れ)の無いアバルト製スーパーチャージャーを搭載する「037ラリー」は、高い信頼性とドライバビリティを特徴とするモデルとなる。ランチアのブランド性とアバルトによる車両開発、そしてピニンファリーナによる空力を考慮した美しいボディデザインを併せ持つ1960年代のレーシングモデルのような印象的なモデルとなる。4WDで無ければ勝てないといわれる様になったWRCでは、ミッドシップ4WDモデル「プジョー205ターボ16」や「フォードRS200」の登場により、それは現実のものとなり4WD+ミッドシップである事が勝利の条件とされていた。チェザーレ・フィオリオ率いるランチア・ワークス・チームでは「037ラリー」の後継車としてアバルトの開発コード「SE038」をもつ4WD+ミッドシップモデルの「デルタS4」を投入しエースドライバーに若手フィンランド人、ヘンリ・トイボネンを起用する。車名の「デルタ」とは名ばかりで、ロードモデルの「デルタ」との共通点は2ボックスのフォルムと発表時にはテールランプとランチアグリルが同じデザインとされていたが、競技車両では空力と軽量化が優先されモディファイされてしまう。500馬力に迫るパワーを発揮する1.84気筒DOHCエンジンにスーパーチャージャーとターボチャージャーを装備し、およそ900kgの軽量ボディは、当時のF1を上回る0100km/h加速2秒台を可能とする究極のウェポンと呼ばれるまでの進化を見せる。WRCでの争いは激しさを増し、開発競争の目まぐるしさと同時に速くなり過ぎたラリーカーを危惧する意見も囁かれる中で「デルタS4」のデビュー戦でRACラリーを制し、翌年1986年の開幕戦モンテカルロでも勝利を獲得したトイボネンは、第5戦ツール・ド・コルスでコースアウトし、ドライブしていた「S4」は炎上、還らぬ人となってしまう。これ以外にも数多くの重大事故の発生によりFIAは、改造範囲の広い「グループB」マシンによるWRCをこの年で終了し、翌年からはプロダクションモデルに近い「グループA」で競う事を決定、これにより「デルタS4」はWRCでのタイトルを獲得すること無く表舞台を後にする。ここでランチアは素早い反応を見せ、1982年に発表したコンセプトモデル「デルタ・ターボ4×4」のノウハウを活かして、フィアット製24気筒DOHCエンジンにギャレット製T3ターボを装備したプロトタイプの開発をアバルトに依頼する。アバルトのエンジニア、ヴィットリオ・ロベルティ主導により、ミキ・ビアシオンのドライブで極秘裏に走行テストが繰り返されるが全くペースが上がらず、アバルトのチーフテスター、ジョルジョ・ピアンタによる走行テストが昼夜を問わず続けられチューニングの方向性が見極められた。フルタイム4WDとなるその駆動系には、シュタイア・プフ(現マグナシュタイア)製の遊星ギア式センターデフにビスカスカップリングを組み合わせ、リアデフにはトルセンLSDを搭載し、前後トルク配分56:44をもつ開発コード「SE043」をもつプロトタイプは「デルタHF4WD」として完成する。1987年、初めての「グループA」マシンによるWRC初戦のモンテカルロラリーを制覇した「デルタHF4WD」は、この年の年間メイクスタイトルを獲得し「037ラリー」以来のWRCメイクスチャンピオン・マシンに輝く。またロードモデルとして販売された「デルタHF4WD」は、ヘッドライトを専用の大小丸目4燈デザインとし、インテリアにはレカロ製シートを装備し、ミッソーニの色鮮やかな生地とアルカンターラが採用される。搭載される2・直列4気筒DOHCターボエンジンは、165馬力と26.0kgm(オーバーブースト時は29.0kgm)のトルクを発揮し、ホモロゲーション取得の為に年間5298台が生産されている。ディフェンディング・チャンピオンとして更なるポテンシャルアップの為に1988年のWRC用として改良が加えられ登場したのが「デルタHFインテグラーレ」となる。車名の「インテグラーレ」とはイタリア語で無欠の完全なという意味のワードとなる。最大の変更点はブリスターフェンダーが装備されたエクステリアデザインで、これによりサイズアップされたタイヤが装備可能となった。また冷却効率アップの目的でライト周り、バンパー周辺、及びボンネットには熱気抜き用の穴やスリットが加えられている。ターボチャージャーのブーストアップによりパワーアップが図られると共に、ブレーキのサイズアップも図られている。3台用意されたテストカーよりエルヴァ島でテスト走行を重ねた後、12月終盤のモンテカルロラリーの難所チュリニ峠でもテストが重ねられ、開発コード「SE044」をもつ「デルタHFインテグラーレ」は、1988年の第3戦ポルトガルラリーでデビューし優勝を飾る。ロードモデルの「デルタHFインテグラーレ」は「デルタHF4WD」と同じパワートレインが採用され、ターボチャージャーのブーストを0.9(オーバーブースト時)から、1.0に高められ185馬力と31.0kgmのトルクを発揮し9841台が生産されている。パワーアップに伴い15インチ化されたホイールやトレッドの拡大、ダンパーとスプリングの強化、フロントブレーキディスクの拡大も実施されている。1988年も圧倒的な勝利を収めたランチアは、開発の手を緩める事無く性能アップを目指し、搭載するエンジンのヘッドを16バルブ化した「デルタHFインテグラーレ16V」を開発する。パワーユニットは16バルブ化される事に伴い、燃料噴射装置のセッティング変更とインジェクターの大型化、ターボチャージャーのブースト圧は1.2まで高められ、インタークーラーの容量拡大が図られている。この結果エンジンは200馬力と31.0kgmのトルクを発揮し、ホイールは1インチ幅広くされタイヤもサイズアップされている。ボディ回りは16バルブヘッドをクリアする為に大きく膨らみ、拡大されたエアアウトレットもつボンネットフードが特徴となる。インテリアではスピードメーター、レブカウンター共に針の停止位置が水平とされ、レザー張りのシートも選択出来るようになった。これまでフロントに多く配分されていたトルク配分は、このモデル以降は47:53とリアに多くのトルクを配分する事で、アンダーステア傾向を弱めるセッティングに改められ15560台が生産されている。1989年の終盤戦となる、第11戦サンレモラリーでデビューウィンを飾った「デルタHFインテグラーレ16V」は、この時だけの赤い特別なボディカラーを纏って地元イタリアに強いインパクトを残した。しかしこのシーズンには新たなライバルとして日本車が台頭し、1000湖ラリー、RACラリーでは三菱「ギャランVR4」が、オーストラリアラリーではトヨタ「セリカGT-FOUR」が勝利し、ランチアは前年までの独走状態とは言えない中での年間タイトル獲得となった。1990年シーズンも「デルタHFインテグラーレ16V」で闘うランチア・ワークスチームは、前年を上回る接戦を強いられ僅か6ポイント差でメイクスタイトルは死守するが、ドライバーズタイトルはトヨタのカルロス・サインツに奪われてしまう。高機能・高性能を誇る日本車は雪崩を打つようにWRCに参戦し、開発力の速さとモデルチェンジによる確実なポテンシャル・アップを続け、対抗するランチアは基本シャーシは1970年代、エンジンは1960年代のものを使い続けながらアバルトによる知見とアイデアによる進化で対抗出来ていたのは、まさにマジックと表現出来るものとなる。翌年1991年の開幕戦モンテカルロラリーは、ランチアが得意とし1986年から連勝を続けてきたがトヨタが勝利を飾り、厳しい闘いを強いられる展開となる中で終盤サンレモラリーで勝利を挙げ、奇跡ともいえる年間メイクスタイトル5連勝を飾る。そしてこの年の9月フランクフルトショーで発表されたのが「デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」となる。「デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」の車名にある「エヴォルツィオーネ」とはイタリア語で進化発展を意味し、その言葉通りにシリーズを通して最も大きなモディファイが施されている。メインとなるボディの改良はサイドシル内に隔壁を設け、捩れ剛性を大幅に向上させるとともに、Cピラーにメンバーを追加するなどボディの強化は様々な箇所に及び、タワーバーが標準装備されることで高いボディ剛性が確保されている。それまで取り付け式だったブリスターフェンダーは、ボディと一体のプレス式となり大きく拡幅され、フロントフェンダー後方には排熱孔を備え、リア・ゲートにはスポイラーが装備される。拡幅されたフェンダーを活かして前後のトレッドは「16V」比でフロント54mm/リア60mmも広げられ、車両全幅は70mm広い1770mmとなる。燃料給油口はレーシーなクイックフィラータイプに変更され、後方両側に1本ずつ出されていたマフラーは片側一本出しに変更されている。足回りは、軽量高剛性のサスペンションアームや容量を増やされたブッシュ、スプリング、ダンパーが装備されている。ブレーキディスクはフロントが281mm×26mmのベンチレーテッド式、リアは251mm×10mmのソリッド・ディスクへと容量アップされるとともに、フロント・キャリパーはブレンボ製アルミ対向4ポッド(異径ピストンを装備し、径はそれぞれ44mm38mm)タイプが採用され、リア・キャリパーはルーカス製50mm径のシングルピストン式となりボッシュ製のABSを装備する。ホイールは幅が0.5インチ拡幅され、ワークスラリーカーと共通のデザインをもつスピードライン製となり、スタッドボルトも4本から5本へと変更を受けている。組み合わされるタイヤサイズは維持したまま、速度規格が「VR」から「ZR」へとグレードアップが図られている。搭載されるエンジンは排気系、タービン、制御系の見直しが行われ、10馬力アップの210馬力と、トルクは「16V」と同じ31.0kgmを維持している。ヘッドライトはプロジェクタータイプが採用され小径4灯式となり、その周辺を含めフロントエリアは徹底したクーリング対策の為、多くのエアインテークをもつデザインとされている。インテリアはインパネのメーター類のデザインが変更され、ステアリングはMOMO製の3スポークに、シートはレカロ製のアルカンターラ張りとなり6650台が生産されている。このモデルが発表された年の1218日にランチアはワークスラリー活動の中止を発表し、翌年1992年にWRCにデビューする「エヴォルツィオーネ」は、セミ・ワークスチームのジョリー・クラブにより参戦する事となる。これまで同様「SE050」のアバルトの開発コード与えられ、カーボンファイバーやチタニウム、インコネルなど軽量なパーツが積極的に採用されロードモデルの1350kgから1100kgまで軽量化が図られた「エヴォルツィオーネ」はアバルトによる開発中は「デルトーナ(大きなデルタを意味するイタリア語)」の愛称で呼ばれ、開幕戦のモンテカルロでデビューウィンを飾る。続くポルトガルラリーでも勝利を重ね、7戦目の1000湖ラリーでメイクスタイトルを決めると、前人未到の6年連続WRCメイクスタイトル獲得の記録をランチアにもたらす。そしてこの年をもってランチアはWRCから完全に手を退き、1980年からメインスポンサーとして存在していたマルティニ&ロッシもまた、その活動に終止符を打つ事となる。翌年1993年の開幕戦からは、アップデートが図られないままの「エヴォルツィオーネ」は、プライベート・チームとしてジョリー・クラブから、レプソル・オイルとイタリアのスポーツくじのブランド・トティップカラーに塗られたボディで参戦。この年はトヨタは熟成の進む「セリカGT-FOUR」、三菱は「ランサー・エボリューション」を、スバルは「レガシィ」から「インプレッサWRX」へとスイッチし、フォードは「エスコートRSコスワース」による、いずれもワークスチーム体制で参戦し、それまでランチアが獲得し続けてきた年間メイクスタイトルの獲得を目指して鎬を削る事となる。19936月に、既にWRCのワークスラリー活動を終了していたランチアは、ホモロゲーションモデルとしての役目を終了していた「エヴォルツィオーネ」の更なる進化モデル「デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」を発表する。1986年の「デルタHF4WD」から始まる4WD「デルタ」シリーズの最終モデルであり集大成となる「エヴォルツィオーネ」は、エクステリアの変更は最小限に留まる。フロントフェンダー後方に設けられた排熱孔がダミーでは無く通気する様に開口され、赤外線カット・ガラスが採用されるフロントウィンドウのサイドからルーフへと伸びるモールがボディ同色とされている。この「エヴォルツィオーネⅡ」は、1925年アルトゥーロ・マッジョーラにより創業したカロッツェリア・マッジョーラで委託生産されている。マッジョーラは、創業開始時にはマルテッレリア・マッジョーラの社名が使われ、マルテッレリアの語源となるマルテッロとはイタリア語でハンマーを意味し、金属加工の工房を連想させるようにフィアットやランチアのスペシャルボディを手掛けていた。第二次世界大戦後にはチシタリアやアバルトのボディの供給も請け負い、トリノのモンカリエリに移転してからは「マセラティ・ミストラル」や「デ・トマゾ・マングスタ」の車体の製造も担っている。1985年にアルトゥーロから息子ブルーノに引き継がれ1993年からは、フィアットからトリノ北郊のキヴァッソにある旧ランチアの工場を取得し「エヴォルツィオーネ」はそこで制作され1224台が送り出されている。また数多くの限定モデルが生産されたのもこのモデルの特徴で、特別色のジアッロ・ジネストラ(イタリア語で黄色を表すジアッロとジネストラは魔女が乗る箒の原料とされる植物エニシダを意味する)で塗られたボディをもつ「ジアッラ」、ブルーメタリックのボディに黄色いピンストライプをボディサイドにもつ「ブルーラゴス」、パールホワイトのボディにシルバーラインをもつ「ビアンコペルラ(イタリア語で白真珠を意味する)」、High-Fidelityの名称を持つイタリアのクラブの為に製作された濃紺のボディに「フルヴィアHF」に倣った黄色×青のストライプをボディ上面中央にもつ「クラブHi-Fi」、日本専用モデルでロッソ・マスターで塗られた「コレツィオーネ」、そのヨーロッパ仕様でパールレッド(ロッソ・アマラント)のボディをもつ「ディーラーズ・コレクション」等が存在する。WRCラリーにエントリーする為のベースモデルであり、ホモロゲーションモデルとして短期間に大きな進化を遂げたこのシリーズは、ランチアのロードモデルとして革新性とモータースポーツとの強い繋がりをもち、そこに4万台以上が生産されたこのシリーズの最終モデルとして、高い完成度を加えたのが「デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」となる。今回入荷した1993年型「ランチア・デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」が搭載するエンジンは、フェラーリのV12気筒エンジンを設計したアウレリオ・ランプレディ設計によるコックド・ベルトにより駆動するフィアット製4気筒エンジン、通称ランプレディ・ユニットをベースとするのは「デルタHF4WD」以降、共通となる。1966年に「フィアット124」に搭載される1.4DOHCエンジンとして誕生したこのランプレディ・ユニットは、頑強で高い耐久性をもつのが特徴となり、この「エヴォルツィオーネ」に搭載されるにあたりカムカバーは専用の赤い結晶塗装が施されている。直列4気筒DOHC16バルブ・ターボ・エンジンは、ボア×ストローク84.0mm×90.0mmから1995ccを得て、圧縮比は8.0とされている。振動低減と滑らかな回転感を得る為にバランサーシャフトを備え、ギャレット・エアリサーチ製T03型タービンを装備し、ターボチャージャーの過給圧は1.0と変わらず、燃料供給と点火系を総合制御するウェバー・マレリIAWP8型へと進化している。これによりイグニッションはディストリビューターレスのツインコイル式で、燃料噴射装置はシーケンシャル式となり、三元触媒を標準装備しながら最高出力215馬力/5750rpmと、最大トルク32.0kgm/2500rpmを発揮する。冷却系もこの「エヴォルツィオーネ」では見直しが図られラジエーターはアルミ製に変更されている。今回入荷した車両にはインテークパイプが、シリコン製のパーツでアップグレードされるカスタマイズが施されている。組み合わされるトランスミッションはZF5MTとなり加速重視の低めのギア比を与えられラリーの為に生まれたモデルという事を感じさせる。シュタイア・プフ製の遊星ギア式センターデフを装備して前後輪の回転差に対応し、同時に前後輪どちらかの空転により駆動力を失うのを防ぐ目的でLSDとしてビスカスカップリングを組み合わせたトランスファーをギアボックス後方に装備。多重の中空軸を用いてフロントドライブシャフトとトランスファー入力シャフトを同軸に配置しスペース効率に配慮した設計が施され、これに加えトルセン式LSDをリアデフに採用するフルタイム4WDによる駆動方式をもつ。前後トルク配分は47:53となりリア寄りの駆動トルクとされ、アンダーステアを低減するとともに大幅に広げられた前後トレッドを活かした高いコーナリング性能を発揮する。足回りは、フロント、リア共にマクファーソン・ストラット式+コイルスプリング+スタビライザーとなる。ブレーキはフロントにベンチレーテッドディスク+ブレンボ製アルミ4ポッドキャリパー、リアにディスク+ルーカス製キャリパーが組み合わされ、ボッシュ製Gセンサー付き4チャンネル6センシングのABSを装備している。この足回りの型式と、ブレーキのサイズは「エヴォルツィオーネ」と共通となっている。装備されるホイールは「エヴォルツィオーネ」から1インチアップされたスピードライン製の、同じデザインのホイールが採用され、サイズは16×7.5Jサイズとなる。組み合わされるタイヤは205/45ZR16サイズとなり、扁平率と速度規格が変更されている。インテリアは「エヴォルツィオーネ」から大きく変更されたのは、レカロ製のバケットタイプのシートが採用された事。ショルダーサポートの付いた、より本格的なこのバケット・シートは、軽量なアルカンターラ表皮が使われる事で、しっかりとしたサポートと見た目の豪華さを感じさせるランチアらしい仕上がりを見せる。インパネに目を移すと大径のスピードメーターとタコメーターが左右にレイアウトされ、その間に4つの小径メーターとインジケーターが並ぶ配置とデザインは「エヴォルツィオーネ」から継承されたものとなる。メータークラスターの右側にも油圧、油温の2つのメーターが装備され、黄色いレタリングが採用されるメーター類は、とても視認性の高いVeglia製で「16V」迄のシックなデザインから、モダンな方向へと趣きを変えている。ステアリングホイールは「エヴォルツィオーネ」と同じMOMO製となるが、よりスポーティなコルセが採用され、ホーンボタン周りに「エヴォルツィオーネ」から採用されたシルバーのクイックフィラーキャップのデザインが反映されたリングが装着されている。これまでオプション扱いだったエアコンは「エヴォルツィオーネ」では標準装備とされている。フロントシートと同様アルカンターラ張りとなるリアシートは分割可倒式となり、多くのハッチバックモデルと同様にトランクエリアとつなげ、ラゲッジスペースを拡大する事が可能となる。しかしトランクルームにはリアデフ搭載により、行き場を失ったスペアタイヤが立てかけられて固定されている為、大きな容量は得られない。今回入荷した車両にはワークスラリーカーにも採用されていたディープコーンタイプのMOMO2スポークステアリングが装備され、有利なドライビングポジションでのドライビングを可能としている。またシフトノブ始めその周辺も限定モデルと同じ当時の貴重なパーツでカスタマイズが施されたものとなっている。全長×全幅×全高は、3900mm×1770mm×1365mmで、ホイールベースは2480mm、トレッド前1502mm、後1500mm、車両重量は1340kgとなっている。燃料タンク容量は57、最小回転半径は5.2m、前後重量配分は63.3:36.7、新車時販売価格は545万円(199311)となる。「エヴォルツィオーネ」の生産台数は限定モデルを含めて2481台となっている。メーカー公表性能値は、0100km/h加速5.7秒、01km加速26.1秒、最高速度220km/hとなり、この数値は「インテグラーレ16V」「エヴォルツィオーネ」「エヴォルツィオーネ」ともに同じ数値となっている。カーグラフィック誌による「エヴォルツィオーネ」を使用した19931月号の実測テストでは、0100km/h加速7秒、0400m加速15.2秒、01km加速28.2秒、最高速度は205.6km/hを記録している。デザイナーのジュジャーロによるデザインのキーワードがエレガンススポーティネスだった事を物語る様に「デルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネ」のフォルムに残るウェストラインから上のボディラインは、同世代のハッチバックモデルに比べシャープなラインで構成され、そこにデザイナーの思いが表現されているのが感じられる。これに対してラリーで闘う中で進化を遂げた広いトレッドを強調する大型のブリスターフェンダーが見せる迫力の下半身は、一台のボディの中で見事なコントラストを成し見た者に強い印象を残す。WRCでの活躍をリアルタイムで知る者はもちろん、そうではない人にも訴えかける個性に溢れたフォルムは、このモデルならではの存在感を見せている。ドアを開きキャビンを見渡すと多用される高級感溢れるアルカンターラの生地が天井にまで及び、コンペティションマシンのベースモデルというより、やっぱり”ランチア“らしさを強く感じられる質感に仕上げられている。リアのドアを開くと本来のフェンダーが残され、どれだけブリスターフェンダーが膨らみを持つのか、ここに進化の証を見ることが出来る。シートに腰を下ろしてステアリングに手を伸ばしドライビングポジションを確認すれば、ペダル類が近くステアリングが遠いイタリアンポジションとなるところを、カスタマイズされたディープコーンのMOMO2スポーク・ステアリングが見事に緩和してくれる。キーを捻りエンジンをスタートすると思いのほか静かにアイドリングが開始され、スロットルを少し煽ってみるとバランスシャフトが組み込まれたエンジンはスムーズに回転を上下させてみせる。ギアレバーを1速のポジションに送りクラッチをエンゲージすると、やや唐突なつながりをみせながらも、充分な低速トルクにより走り出す事が可能となる。動き出してしまえば扱いはとても楽なものと感じられ混雑した道路環境の中を、そのペースに合わせて走る事はとても容易にこなせる。シリーズ最終モデルとなることからギアの動きやステアリング、またブレーキのフィーリングもスムーズで、ストロークする足回りは滑らかな動きに感じられるもので、乗り心地は悪く無い。流して走らせている限り、ホモロゲーションモデルを走らせている感覚は希薄ともいえる。それでもアクセルを踏み込み、低めのギア比をもつターボユニットの回転を上げていくと3000rpmあたりからターボの存在を感じさせるトルクの盛り上がりを見せ始め、4000rpm以上になるとコンパクトなボディを豪快に加速させていく。ここから6000rpm迄の回転域にレブカウンターの針を置く限り、ステアリングや足回りと併せて本来のポテンシャルを発揮しながら、その出自を感じさせる走りが存分に楽しめる。無闇に固められていない足回りがしっかりとストロークしながら路面を捉え続け、ジンワリとリニアに効くブレーキによりスピードを制限しながら正確なステアリングでコーナーに飛び込んでいく。出口が見えたらアクセルを開けていけばターボパワーと4WDのトラクションにより強い脱出加速が味わえる。この繰り返しとなるワインディングロードでの走行が今でもこれほど楽しめるのは、進化の過程で熟成された足回りのキャパシティがエンジンパワーを僅かに上回り、あらゆる面でのバランスが取れていることによる。これをエンジンパワーを上げて高次元で再現したのがコンペティションマシンであり、人の感性に逆らわず漸次的過渡特性を重視したチューニングにこだわるヨーロッパの自動車メーカーらしい仕上がりを見せる。それを電子制御技術に頼る事なく、アナログ感覚でテストを繰り返しながら、事細かく仕上げる事に長けた”アバルト“が担っていた事も重要なポイントとなる。シリーズ最終モデルとしての集大成でもある「エヴォルツィオーネⅡ」は、WRCでの日本車の台頭にも抵抗を見せたアナログのノウハウが活かせた最後の世代の貴重なモデルという事が出来る。デジタル化が当たり前となった時代を背景としながら「エヴォルツィオーネ」を走らせていると本質的な魅力は全く色褪せる事なく、時を忘れてどんな速度域に於いても走る楽しさを存分に感じさせてくれるものとなる。「デルタ・インテグラーレ・エヴォルツィオーネ」は「ストラトス」や「037ラリー」と同じ様にチャンピオンマシンとしての輝きをこれからもけして失う事は無く”ランチア“という自動車史に大いなる貢献を果たした類稀なるメーカーが輝いていた時代を後世に伝え続けて行く事となる。