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117クーペXG
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メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
117クーペXG
ボディタイプ
外装色
グリーンメタリック
年式
1975.0 年型
走行距離
97200km
乗車定員
4.0 名
サイズ
長 431.0 cm 幅 160.0 cm 高 131.0 cm
エンジン形式
排気量
1817.0 cc
馬力
130
トルク
車検
ハンドル
駆動区分
輸入区分
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色

第二次世界大戦終了後、トラックやバスなど大型ディーゼル車両の生産で日本を代表する自動車会社だった「いすゞ自動車」は、1950年代はじめになると英国の「ヒルマン」のノックダウン生産をきっかけに、乗用車の生産にも乗り出し総合自動車メーカーを目指した。そしてトヨタ自動車、日産自動車とならび日本自動車業界の御三家といわれる程になった「いすゞ自動車」の社名は、公募によるもので伊勢神宮に沿って流れる「五十鈴川」が語源となっているといわれている。この時代の「いすゞ自動車」のエンブレムは「いすゞ」の文字を囲む縁のデザインが「五十鈴川」のさざなみをモチーフとなっている。「いすゞ117クーペ」が発表されたのは、19663月のジュネーブショーでの事だった。この時の車名は「ギア-いすゞ117スポルト」とされ、その名称からも想像されるとおり、デザインとコーチワークはイタリアのカロッツェリア・ギアの手で行われ「いすゞ自動車」は自社の製品を国際レベルに引き上げる事を目的として、ギアにボディデザインを依頼した。それを受けたギアは、カロッツェリア・ベルトーネから移籍してきたばかりの27歳のジョルジェット・ジウジアーロをデザイン担当とした。ジウジアーロはギア在籍時に、この「117スポルト」はじめ「デトマソ・マングスタ」「マセラティ・ギブリ」と僅か14ヶ月という在籍期間の中でボディデザインを完成させていった。好評をもって迎えられた「117スポルト」のデザインは、アラシアーノ・コンクール・デレガンスをはじめ多くのデザイン賞を受賞することで、そのボディの美しさを証明した。車名に用いられる「117」とは「いすゞ自動車」の社内開発コードナンバーとされている。この頃の、日本の自動車メーカー各社は、それぞれのブランドイメージを確立する為のモデルである、イメージリーダーカーの開発に注力していた。「いすゞ自動車」はこの「117スポルト」のフロントグリルに車名の由来となる五十鈴川のさざなみをモチーフとした自社のエンブレムを掲げ、フラッグシップモデルとすべく市販に向けて開発を進めていた。市販モデルとするにあたり居住性の確保や、安定した生産工程を考慮してのリデザインも考慮されたが「いすゞ自動車」とデザイナーのジウジアーロ双方が、意欲的に作業に取り組む事により、ジュネーブショーでデビューを果たしたオリジナルモデルの美しさは、保たれ継承される事となる。そして196610月の東京モーターショーで、車名を「117スポーツ」と変更された第2号プロトタイプモデルが出品されると、翌年の東京モーターショーでは、「日産510ブルーバード」や「マツダ・ルーチェ・ロータリークーペ」や「ファミリア・ロータリークーペ」とともに、量産プロトとして、第3号プロトタイプモデルを展示した。そして196810月、正式発表された市販モデルは、車名を「いすゞ117クーぺ」とされ、同年12月から販売開始となった。プロトタイプでは、フロントグリル中央にレイアウトされていた「いすゞ」のエンブレムは市販モデルでは「唐獅子」のエンブレムに変更され、これはボディデザインを担当したジウジアーロが日本から持ち帰った風呂敷の柄にあった「唐獅子」をそのままモチーフとしてデザインしたものとされている。「117クーペ」のマスコットとしてステアリングホイールセンターにも置かれ、生産終了まで採用されて続けた。プロトタイプそのままの流麗なボディは、ボディ・パネルの基本となる大がかりなプレス作業は機械加工が施されるが、それ以降の工程は板金職人の手による生産方式となっていた。この生産初期のモデルは「ハンドメイド」モデルとよばれ2458台が生産された。搭載されるエンジンは、G161W型とよばれる水冷直列4気筒DOHCエンジンとなり1584ccの排気量をもっていた。10.3の圧縮比と2基のソレックス・キャブレターにより最高出力120馬力/6400rpmと最大トルク14.5kgm/5000rpmを発揮した。この高性能エンジンと美しいボディデザイン、豪華なインテリアで、高品質なグランドツーリングカーとしての地位を確固たるものとした。足回りは高性能モデルを中心に4輪独立懸架に移行され始めた時代であったが、フロントにダブルウィシュボーン式、リアはリーフ・リジット式と保守的な型式が採用されている。メーカー公表による最高速度は190km/hとされ、オプションのファイナルを組み込めば200km/hを可能としたが、新車価格が172万円と当時の水準では高額となり、誰もが所有出来るクルマでは無かった。197010月には、国産車として初めてとなる電子制御燃料噴射装置(ボッシュ製Dジェトロニック)を備えた「117クーペEC」と115馬力を発生するSUツイン・キャブレターを装備した1.8SOHCエンジン(G180SSF)搭載の「117クーペ1800」を追加発表する。翌年には、その普及版ともいえる100馬力を発生するシングル・キャブレター装備の1.8SOHCエンジンを搭載する「117クーペ1800N」がラインナップに加わる。この普及版といえども136万円という高価格車であることにかわりは無かった。19733月に「117クーペ」は、大がかりな内外装のマイナー・チェンジが施され、これを機に生産方式が見直される事となり「ハンドメイド」から機械加工を大幅に導入した量産体制となった。生産方式の見直しは、1971年に「いすゞ自動車」がGMと提携する事により、GMから資金と技術を援助された事がきっかけとなっている。搭載されるエンジンは、全車1.8化され、国産初のECGIとよばれる電子燃料噴射装置を備えたDOHCエンジンは、最高出力140馬力を発生し「117クーペXE」というトップグレードと組み合わされ、最廉価版の「117クーペXT」まで4グレードでの販売を展開した。このマイナーチェンジ時にテールライトのデザイン変更やバンパーの大型化、サイドリフレクターの追加などが行われたが、シリーズを通してジウジアーロによる基本デザインは、変更されることなく19815月まで13年間の長きにわたり生産され、86千台強が世に送り出された。次々にモデルチェンジを繰り返していた国産車の中にあって異例ともいえるロングセラーモデルとなっている。今回入荷した1975年式「117クーペXG」は、販売ラインナップの中では、トップグレードの「117クーペXE」に次ぐモデルで、1.8エンジンにはツインキャブレターが装備されるのが特徴となっている。搭載されるエンジンはG180W型とよばれる水冷直列4気筒DOHCとなり、ボア×ストローク84mm×82mmから1817ccの排気量を得る。サイドドラフト型SUキャブレターを2基備え、9.7の圧縮比から最高出力125馬力/6400rpm、最大トルク16.2kgm/5000rpmを発揮する。今回入荷した車両は、SUキャブレターからソレックス型キャブレターに換装されている。組み合わされるトランスミッションは4MTとなり、ファイナルレシオまで燃料噴射装置を装備する「117クーペXE」と共通となっている。足回りはフロント・ダブルウィシュボーン式+コイル+スタビライザー、リア・リーフリジット式となる。ブレーキはフロント・ソリッドディスク、リアはドラム式が装備される。14インチのホイールに、6.45H-14-4(165/80-14サイズ相当)サイズのタイヤが組み合わされている。今回入荷した車両には、6J×14インチサイズのカンパニョーロ製「106E」という大変貴重な1970年代のアフターマーケット用マグネシウム製ホイールが装備され、195/60R14サイズのタイヤと組み合わされている。インテリアは、3スポークのウッドリム製ステアリングが備わり、その奥にはドライバーに向けて左側に8千回転まで刻まれた大径のタコメーターと、その右側には220km/hまでのスピードメーターが並んでいる。タコメーターから左側に小径の水温計、油圧計、燃料計、電圧計と並び、スピードメーターの右側には時計がレイアウトされている。メーター類が収まるダッシュボードには初期モデルでは台湾産の楠の化粧板が貼られていたが、この中期モデルでもウッドパネルが装備され、この小径メーター類がドライバー側に角度を付けられて向けられている光景は、プロトタイプ「117スポルト」登場時から継承されたものとなり、イタリア製の「GT」らしさが表現されている。センターコンソールは空調操作レバーから下にオーディオ、初期モデルではアシュトレイのあった位置に小物入れがあり、シフトレバーへと続く。シートは全席ヘッド・レストが備わり、そのデザインを含めて初期モデルと共通となっている。全長×全幅×全高は4310mm×1600mm×1320mm、ホイールベース2500mm、トレッド前1325mm、後1320mm、車両重量1115kgとなる。燃料タンク容量56、最小回転半径5.2mとなる。メーカー公表性能値は、最高速度190km/hとされている。197510月からの排ガス規制強化に伴い1976年式以降、全車種に酸化触媒コンバーターが装備され、軒並みそのエンジン・パフォーマンスに影響が現れてしまう。「117クーペ」は、そのエクステリア・インテリアからヨーロッパ製のクーペモデルそのものの印象をもつ、当時の国産車としては異例のモデルとなっている。ボディサイズはコンパクトでシルバーに輝くピラー類はどれも細く、ドライバーズシートからの視界は、全方向ともに開けたものとなっている。美しいボディスタイルとボディ強度を両立する為に、ピラー基部に厚手のパネルが採用されているのに加え、補強材などが加えられ「いすゞ自動車」のこだわりが感じられる。DOHCエンジン搭載であっても振動やノイズが少なく、アイドリングはとても静かに感じられる。ドライバーズシートに座ってステアリングからギアレバーに手を移すと、その位置関係はとても良好で、14速でHパターンとなるギアレバーは、各ポジションに小気味よくきまり、ほとんど手首の返しでチェンジが可能となっている。1速を選んで走り出すと、低中速でとても扱いやすくフラットなトルク感が味わえるエンジンは、このクルマの性格に即したものとなっている。4000rpmあたりからエンジン音は高まりはじめ、高回転域ではDOHCらしいレスポンスとサウンドの良さが感じられる。おしなべて乗り心地は良く、そのぶんコーナーでのロールは大きめとなる。座り心地の良い、しっかりとした造りのシートとなるが、ホールド感は少し物足りないかもしれない。ステアリングは同社製「ベレット」のラック・アンド・ピニオン式に対しボール・スクリュー式となっている為、切り始めにやや曖昧さが感じられるものとなる。コーナーでの挙動はアンダー傾向に躾けられているので、早く走るためには入り口での姿勢制御が重要となる。このクルマのキャラクターとしてはタイヤを軋ませてワインディングを攻めて楽しむより、その美しいボディで緩やかに流しながらDOHCエンジンのサウンドを楽しむ方が向いているのかもしれない。日本の自動車の黎明期に、いすゞ自動車がボディスタイリングの研究用としてカロッツェリア・ギアに製作を依頼し、ギア自らが特に快心の作としてジュネーブショーに展示した「ギア-いすゞ117スポルト」。そのボディデザインは当時流行の兆しを見せ始めたファストバックスタイルを用いて4人の為の居住空間を確保しながら、スポーツカーらしい軽快さをもつのが特徴となっている。ウェストラインは全高に対して低めとされ、ガラス面積は広く、ラジエーターグリルを全幅一杯に広げ、デュアルライトを配したデザインはジウジアーロによるものとされ、同時代の「フィアット・ディーノ・クーペ」との近似性も見る事が出来る。それでもクォーターウィンドウからリアウィンドウにかけてのラインからつながる、丸みをおびたトランクリッドとリアフェンダーからリアエンドにかけてのデザインは、オリジナリティが高く見せ場のひとつと言える。この後継車となる「ピアッツァ」へと続く「いすゞ自動車」のフラッグシップモデルは、その個性的なヨーロッパ車そのものと表現出来るボディデザインをもって、日本製のスポーツモデルとしては珍しく、多くのファンに愛された続けてきたモデルと言えるだろう…