BMW 850 I
直近にて、総合点検、内装リフレッシュ施工、タイヤ交換を行っております。
1916年、航空機エンジンメーカーとして産声をあげたBMWが、初めての4輪車を世に送り出してから70年が過ぎた1989年9月、フランクフルトショーで発表したモデルが「850i(E31型)」となる。このショーにおいて、同時にデビューした注目のニューモデルは、フェラーリからは「ベイビー・テスタロッサ」と噂されていた8気筒モデル「348tb/ts」。さらにポルシェからは先にデビューを果たした「964カレラ4」に続いて、新時代のAT変速機「ティプトロニック」を装備した2輪駆動の「964カレラ2」。市販車に直接結びつかないがフェリー・ポルシェ博士の80歳の誕生日を祝って企画されたコンセプトモデル「パナメリカーナ」が登場し、いまだ自動車文化花盛りの彩り溢れるショーとなっていた。この頃のBMWは、3、5、7シリーズというラインナップに加え5シリーズをベースとし、かつての「CS(E9型)」の流れを汲むクーペ「6シリーズ(E24型)」をラインナップしていた。現在でも「世界で最も美しいクーペ」として知られ、フランス人デザイナーのポール・ブラックによるボディをもつこの「6シリーズ」の後継車として、BMWラインナップの頂点に位置するべく登場した「850i」は、BMW車として初めて「8」から始まる車名を与えられラグジュアリー・スポーツ・クーペとして開発が進められたモデルとなっている。ポール・ブラックの後任となるドイツ人デザイナーのクラウス・ルーテの監修で完成されたこのモデルは、そのボディデザインのみならず、足回りを含むボディ構造や、搭載されるエンジンまで「6シリーズ」から継承されるものは無く、同時にショーデビューした他の新型モデル同様、新たな時代を感じさせる一台となっている。1980年代後半のBMWニューモデルは、先にデビューした「Z1」の様に、BMWのシンボルともいえるキドニー・グリルのデザインを小型なものとし、ボディデザインの中に取り込む傾向が見られた。「850i」もバンパー一体型の低い位置にレイアウトされたキドニーグリルから始まる、オーソドックスな2ドアクーペスタイルのボディをもち、リトラクタブルヘッドランプを装備した薄いノーズとハイデッキを備える直線基調のスタイルとなっている。フロントフェイスのデザインモチーフは、直接的には1978年に発表されたジョルジェット・ジュジャーロのデザインにより、コーチビルダーのバウアーで生産された「M1」に行き着く。更にこのデザインの元を辿ると1972年7月に発表されたコンセプトカー「BMWターボ」が源流となる。この「BMWターボ」は、BMW自社のお膝元ミュンヘンでのオリンピック開催を記念して製作され、同年9月のパリサロンで正式デビューを飾る。ポール・ブラックによるエキサイティングなボディデザインは、ガルウィング式ドアやリアホイールアーチに取り付けられたスパッツ、そして深い輝きを放つスペクトラル・ダイヤモンド・レッドと呼ばれるグラデーションカラーが印象的な一台となる。「BMWターボ」は、エクステリア・デザインの繋がりだけでなく「M1」がもつ社内コードネームの「E26」との関連性を感じさせる「E25」のコードネームが付けられている。またコンセプトカーであってもエンジン屋BMWらしく「2002ターボ」用の直4ターボエンジンをミッドシップで横置きに搭載。このエンジンはFR用パワートレインの為、エンジン、クラッチ、トランスミッションが一直線にならぶジアコーサ方式での搭載では無く、デフがトランスミッション一体式とはならず、短いドライブシャフトを新設してエンジン背後に置かれている。この設計は「2002」用の量産コンポーネンツを極力流用する前提で、開発されている事を想像させる。この搭載方式により「BMWターボ」の全幅は、当時としては広めの1880mmとなっている。2400mmのホイールベースと鋼管スペースフレーム方式では無く、鋼板溶接構造のフロアセクションを持ち、量産前提で製作されたボディは980kgといわれている。搭載されるエンジンは1969年にETC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)を闘った「2002tik」用のクーゲルフィッシャー製インジェクションを備えた、M10型・2ℓ・SOHCターボエンジンとなり280馬力を発揮。0→100km/h加速6.6秒と最高速度250km/h以上が公表されていた。このプロトタイプのスタイリングを指揮したポール・ブラックは、60年代後半メルセデスベンツのコンセプトカー「C111」や、パゴタルーフで知られる「W113型SL」をデザイン、BMWでも「850i」の前身ともいえる「6シリーズ(E24型)」を手がけてきた。そのポール・ブラックが作り上げた「BMWターボ」のキドニーグリル一体型樹脂製バンパーは、そのまま「850i」用にモダナイズされ引用される事で、小型のキドニーグリルではあっても、ひと目でBMW車だと認知できるエレガントなノーズデザインとなっている。また採用されるリトラクタブルヘッドランプは、エリプソイド式となり、点灯時にポップアップしても天地に薄くCd値0.29を達成するボディの空力性能にも貢献したものとなる。また「6シリーズ」から大型化されたボディの剛性は30%アップされるとともに、一歩踏み込んだ安全設計が取り入れられている。衝突時、6km/h以下のクラッシュならばエネルギー吸収性の高いバンパーには、変形の痕跡が残らない。また、15km/hまでは復元性を保ちユニット交換も容易に出来る油圧式ダンパーも備えている。横からの衝突に対しては230mmの分厚いドアと、それと噛み合う形で室内への侵入を防ぐサイドシルがプロテクターの役目を果たす。極めて強固なアルミ/スチール混成の高張力フレームをもつ新設計のフロントシートも、衝突時には効力を発揮する。一脚あたりの単体重量33kgとなる「メルセデスベンツSL(R129型)」と同様にベルト一体式となるインテグラル・シートは、メモリー付きの電動調整機構を備えるが、乗員の姿勢に応じて自動的に腰回り2ポイント、肩1ポイントで、支える位置と角度を最適化する機構を備えている。このシートは、リアへの乗降性を高める為、電動ウォークイン機構を備え、サッシュレスのサイドウィンドウはドアノブに手をかけると、11mm上下に瞬時に作動する機構を装備する。これはスムーズなドアの開閉と風切り音防止に効果的な新たな装備として話題を呼んだ。更にポップアップ式ヘッドランプウォッシャーや、リアウィンドウに備わる電動サンシェードなど、数々の充実装備に対応して、リアトランクには2つの70アンペアバッテリーが収められている。現代では標準装備の範疇となるこれらの装備は、このモデルから始まったといえるくらい、ハイテクと一括りにされる電気仕掛けが多く装備されていた。それも頂点を究めるポジションに君臨する「850i」ならではというBMWの考えから実現したものとなる。︎「BMW850i」が搭載するエンジンは、1987年に発表された「750i(E32型)」に先に搭載されたM70型とよばれる、水冷60°V型12気筒SOHC24バルブとなる。ボア×ストローク84mm×75mmから4988ccを得る。8.8の圧縮比とボッシュDME(デジタル・モーター・エレクトロニクス)燃料噴射装置を装備し、最高出力300馬力/5200rpmと45.9kgm/3000rpmの最大トルクを発揮する。BMW初の市販車用V型12気筒エンジンは、性能、軽量・コンパクトなサイズ、低燃費、低排気ガスの4つの課題で最高水準を狙って開発されたものとなっている。時代に先駆けて電子制御スロットル、ドライブ・バイ・ワイヤーを装備し、シングル・チェーンにより駆動されるオールアルミ製のこのエンジンは、それぞれのバンクが独立したインジェクションで制御/燃料供給を行う方式が採用され、これにはBMWが長く航空機エンジンに携わってきた伝統が感じられる。シリンダーはポルシェと同様にニカシル・メッキが施され、摺動面がコーティングされたピストンと併せて摩擦を最小に留めている。このエンジンの高い静粛性は、剛性の高いブロック、強靭なコンロッド、クランクシャフトに加え、オイルポンプやロッカーカバーをアルミとプラスチックのサンドイッチ構造にして遮音、更にVバンク間のカバーにより、燃料噴射ポンプの音も遮られている。設計段階から全世界の排ガス基準をクリアする為、キャタライザーを装備するが、それの有無に関わらず出力、トルク特性に差は発生しない。驚くべきは軽量設計で吸気系、A/Cコンプレッサー、パワステポンプ、発電機を含んで240kgを達成。ちなみに同世代のジャガー製オールアルミ12気筒エンジンは337kgとなっている。組み合わされるトランスミッションは、日本仕様ではエンジン同様に「750i」と共通のZF製4段ATのみの設定となる。しかし「850i」にはシュトゥットガルトのゲトラグ社と共同開発した新型6段MTが設定されていた。1/2速がトリプルコーン、3/4速がダブルコーンとされたこのMTは、小型軽量(57kg)で、操作性も高いものに仕上がった。しかしギア比がワイドに分散し、せっかくの12気筒のパワーをうまく活かしきれてはいない様子だった。M70型・12気筒エンジンは、BMWの高い技術力でこのクラスの新たな基準を標榜すると、メルセデスベンツはM120型とよばれる新型6ℓ・V型12気筒エンジンを発表し対向。古くからV型12気筒エンジンをラインナップするジャガーは、伝統の12気筒エンジンを6ℓ化し対応、加えてフェラーリ迄もが70年代の「デイトナ」以来となるF116B型・5.5ℓ・V型12気筒エンジンを新開発し「456GT」に搭載しデビューさせた。各社エンジン開発に邁進した時代となった。BMW社製M70型・V型12気筒エンジンは、後にパウル・ロシェ率いるM社により5.6ℓに排気量アップが図られ、S70型に進化すると380馬力/55.6kgmを発揮、このエンジンを搭載するエボリューションモデル「850CSi」が1510台生産される。更にこのエンジンをベースにM社は、6ℓ・DOHC・48バルブ化を施したS70型を開発、627馬力/66.3kgmを発揮するエンジンは、ゴードン・マーレイ設計の「マクラーレンF1」に搭載された。いずれのエンジンも、M70型エンジンの基本設計の高さがあってこそと言えるだろう。︎「850i」の足回りは、フロント・ダブルピボットストラット+コイル+ダンパー+スタビライザー、リア・5リンクによるインテグラルアクスル+コイル+ダンパー+スタビライザーとなっている。リア・サスペンションに採用されるインテグラルアクスルとは、BMWによるマルチリンク式となる。1本のアッパーアームと、前後方向の位置決めを受け持つトレーリングアームを上下に繋ぐかたちで、インテグラルコントロールアームが加わる事で、ブレーキング時のダイブや、加速時のスクォットを打ち消す様に作用する。NVHの遮断は大容量のラバーブッシュを備えたサブフレームに担わせて、高度な操縦性と乗り心地の両立が図られている。それに加えてサイドフォースと荷重変化、姿勢変化に対応してラバーブッシュの受動的な変化を使った後輪ステア機構(同位相)を備える。ダンパーはボーゲ社と共同開発された電子制御式が採用されている。ブレーキはフロント・ベンチレーテッドディスク、リア・ソリッドディスクを装備、ABSを備える。ホイールは4輪ともに、7.5J×16インチ径のアルミホイールで、235/50ZR16サイズのタイヤが組み合わされている。インテリアは“フライトコックピット”とよばれるこの時代のBMW製らしくシンプルにまとめられ、センターコンソールがドライバー側に向けて角度が付けられてレイアウトされている。これにより囲まれ感のあるラグジュアリーな空間は、柔らかく弧を描くダッシュボード周りやドアアームレストのデザインと併せて、当時の多くの日本車がお手本とした。エアバックが装備された4本スポークをもつ385mm径のステアリングを通して、正面には大径のスピードメーターが備わり、その左側には重なる様にタコメーターが置かれている。パッセンジャーシート前方のグローブボックスは、上下に2分割式で開くタイプが採用され、上下に分かれたグローブボックスとなる。シートベルト迄一体化されたインテグラルシートは、全ての可動部分に電動式が採用されているのに加え、ステアリングのリーチ/チルト調節まで全て電動式となるので、小柄な女性から大男まで、あらゆる体型のドライバーが、ベストのドライビングポジションを得られる様、細かい調整が可能となっている。リア・シートは完全な+2シートなので、ヘッドクリアランスはじめ明らかにスペースが不足気味となる。クォーターウィンドウも電動式となり、サイドウィンドウと同様完全に下まで下ろす事が可能となる。「850i」にはABSのセンサーを使ったASC(オートマチック・スタビリティ・コントロール)が備わる。40km/h以上での走行中において、リアタイヤの空転を感知すると、自動でスロットルと点火時期の制御が行われ、走行ラインを保持する様に作用する。もしドライバーが、自身の責任においてダイナミックに走行したい場合は、コンソール上に設置されたASCのスイッチをキャンセルする必要がある。︎全長×全幅×全高は4780mm×1855mm×1340mmとなり、ホイールベース2684mm、トレッド前1554mm、後1562mm、車両重量1840kg。燃料タンク容量は90ℓ、最小回転半径は5.75m、新車時価格は1450万円(1991年)となっている。生産台数は30609台。︎メーカー公表性能値は0→100km/h加速7.4秒、0→1km加速27.0秒、最高速度250km/h(リミッター作動による)。カーグラフィック誌による実測テストでは、0→100km/h加速6.3秒、0→400m加速14.2秒、0→1km加速26.2秒、最高速度251km/hを記録(1991年)している。特徴的なリトラクタブルヘッドランプを装備し、低いノーズと比較的高めのトランクリッドをもつ「850i」のフォルムは、ウェッジの効いた直線的なラインで作られている。当時は大柄に見えたボディも、現代のBMWのハイクラス・モデルのマッシブな存在感と比べると、とてもシンプルなハードトップ・クーペスタイルで、清潔感を感じさせるデザインとなっている。ドアノブに手をかけると瞬時にサッシュレスウィンドウが反応し、乗り込んでドアを閉めれば再び機密性が保持された空間となる。キーを捻りエンジンを始動させれば、当時、世界初の試みとしてスロットルをモーターで駆動するバイ・ワイヤー式が採用されているが、全く自然にアクセルの動きに対して、エンジンは反応を返してくれる。静かできめ細かなエンジンの回転感は12気筒エンジンならではと言える特別なものとなっている。低回転域から素晴らしくスムーズでトルクフルなエンジン特性により、1.8トンを超えるボディの重さを忘れさせてくれるが、タウンスピードではやや足回りの硬さを意識させられる。ATを介した加速感には300馬力/45.9kgmのスペックを連想させるダイレクトな興奮は感じられない。如何なる時もジェントルで滑らかに吹け上がるエンジンは、知らぬ間にハイスピードへと誘ってくれる。高速域での安定性は期待以上で、速度を増す程に見事な乗り味を感じさせる。ワインディングロードで少しペースを上げてみると、ほとんどロールを感じさせないままスルリとコーナーをこなしていくところは、ラグジュアリーなだけでは無くBMWらしいスポーティな味わいを垣間見せる。フロントにV型12気筒を積んでいるとはいえ、その搭載位置はかなり後寄りで、前後重量配分はほぼ50:50となるので、軽いとはいえないボディでもバランスの良いコーナリングが可能となる。それでも2速の守備範囲内で山道を攻めるよりは、ハイウェイを高速ツーリングする事で本領が発揮されるタイプのクーペモデルとなる。当時の先端技術を駆使して快適な乗り味を達成している「850i」では、あまりにもバランスの取れすぎた仕上がりこそが弱点ともいえる程、完成度の高い仕上がりを見せる。むさぼる様に回転を高める直列6気筒より数段上品な12気筒エンジンから、BMW製エンジンがもつ官能性を感じる為には、より深くスロットルを踏み込み、このエンジンが持つ超弩級の動的資質の頂点近くまで迫る必要がありそうだ。そうするよりもラグジュアリーなその雰囲気と、性能の余裕に身を任せてクルージングする贅沢を味わうところにBMWのスローガンとして語られる「駆け抜ける喜び」を感じられるモデルと言えるのかもしれない…