フェラーリ DINO 246GT
︎イエローボディフルラッピング施工を行っております。
世界には名だたるスポーツモデルが綺羅星のごとく存在し、それぞれのモデルがそのヒストリー、ボディデザイン、エンジンのメカニズムやサウンドに惹きつけられたファンを魅了し、時代を彩りながら存在し続けている。それらのスポーツモデルの中でも、ひときわ強い魅力を放ち、その存在感を多くの自動車好きが認める一台として「ディーノ246GT」が挙げられる。フェラーリにより作られた「ディーノGT」の大きな特徴のひとつとなる抑揚に富んだ印象的なボディデザインは、カロッツェリア・ピニンファリーナに在籍したアルド・ブロヴァローネにより発案されている。ブロヴァローネは、1926年にトリノから75kmほど離れたヴィリアーノ・ビエレーゼで産まれ、1943年、17歳の時に戦争の影響を受けてドイツに移り住むが、終戦を迎えた1945年にイタリアに戻ると、会計や簿記の勉強の為に学校に通う様になる。しかしその勉強には全く馴染めずに、自分の大好きなデザインに関する様々な事を自己流で学び始める。終戦直後にデザインで食べていく事はイタリアでは望むべくも無く、1949年、23歳の時に実業家としてアルゼンチンで手広く事業を展開する従兄弟を頼りイタリアを後にする。従兄弟が広告代理店を開業したことで職を得たブロヴァローネは、そこで自動車会社で働く知人により”チシタリア“を創業したピエロ・ドゥジオを紹介され、自動車のボディデザイナーとしての道を歩み始める事となる。ピエロ・ドゥジオはイタリアからアルゼンチンに渡り“アウトアル=AUTOAR”という会社を興し、そこで国が軍を強化する目的でアメリカから購入したジープのエンジンを使ってクルマを作り始めていた。”チシタリア“のグランプリカーからの繋がりにより、そのシャーシの設計はポルシェ設計事務所に依頼されていた。アルゼンチンのサンフェルナンドにある”アウトアル“の工場では100人くらいの従業員が働き、アルゼンチン出身のグランプリドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオもその工場に出入りしていた。1949年12月から”アウトアル“で働き始めたブロヴァローネは、1952年4月まで勤務を続け、1951年にドゥジオの息子、カルロがイタリアで“チシタリア”を再興したのをきっかけにイタリアに戻ると、1952年からは”チシタリア“でデザインの仕事を担当する様になる。旧型の「チシタリア202」のシャーシを使ったモデルなどを製作するが、それが軌道に乗る事は無く翌年の1953年にはドゥジオの紹介でカロッツェリア・ピニンファリーナに入社し、9月からデザイナーとして働き始める。フィアットから移籍したデザイナーで「アルファロメオ ・ジュリエッタ」や「ランチア・フラミニア」を手掛けたフランチェスコ・サルモーネがチーフ・デザイナーを務めるピニンファリーナでは、サルモーネが描くスケッチを具体的な図案に起こす仕事を任されながら、ブロヴァローネは多くの学びを得てデザイナーとしての自信を深めつつあった。1954年のピニンファリーナによるデザインの「マセラティA6GCS」や、「ランチア・フラミニア」をストレッチした大統領専用車”プレジデンシャル“リムジンは、この二人の作業を経て製作されたモデルとなる。1960年頃にサルモーネがカロッツェリア・アレマーノに移籍し、ブロヴァローネは最初の作品として「フェラーリ400アメリカ・スーパーファストⅡ」を手掛ける。その後もフェラーリのデザインを数台担当したブロヴァローネは、チーフデザイナーとなり自身最高の作品と語る「ディーノGT」の起源ともなる「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」のスケッチを1965年に完成させる。デザインするにあたり1947年の「チシタリア202」のリアフェンダー前でキックアップするウェストラインを、キャビン後方にエンジンを搭載する「ディーノ」では、前後逆に使うイメージでデザインを構築し、黎明期のミッドシップモデルに指針をもたらしている。こうして1965年10月のパリサロンに実車として展示された「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」では、サイドビューや特徴的な湾曲したリアウィンドウがロードモデルに繋がる形状で再現され、エンジンフードに載るファンネルをカバーするバルジの形状は、縦置きエンジンを想定したものとされていた。フロントには4灯ヘッドライトが透明のカバーの中におさめられたノーズデザインが採用されていたが、ブロヴァローネのオリジナルスケッチでは、生産型に近い丸目2灯デザインとなっている。ランボルギーニが、ボディをもたないシャーシのみによる横置きV型12気筒エンジンをミッドマウントした「TP400」を、11月にトリノショーで公開するひと月前に発表された「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」は、レーシングモデルの「ディーノ206S」のシャーシ(ナンバーは0840)とパワートレインが用いられ、ピニンファリーナからフェラーリへ向けてのミッドシップ市販モデルの提案という意味と、スポーツモデルの新時代を表現することで大きな反響をもって迎えられた。アルド・ブロヴァローネは、この「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」を構想していた頃、他にも1990年代初めの「マクラーレンF1」ロードモデルの様にミッドシップで3人乗りのショーモデルの「フェラーリ365Pグイダチェントラーレ・トレ・ポスティ(=センターステアリングで3座席を意味する)」や「アルファロメオ ・ジュリア1600スポルト・スペチアーレ」のデザインも手掛けていた。ピニンファリーナ在籍中にブロヴァローネは「プジョー504」や「ランチア・ガンマ・クーペ」「フェラーリ412」、「アルファロメオ33」や「ランチア・テーマ」のステーションワゴンへのコンバート、そして「キャデラック・アランテ」等のデザインを担当し1988年1月に退職する。トレードマークの口髭と、物腰柔らかく親しみやすい風貌のブロヴァローネは、退職後もクラッシックモデルが集まるミーティングやショーに参加し、気さくに逸話を披露する姿が自動車誌に掲載される事もあった。頭脳明晰で根っからの自動車好きで、自身のデザインを追いかけ続けながら2020年に94歳で惜しくもその生涯を閉じる事となる。︎1965年のパリサロンで発表された「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」を経て、翌年1966年11月のトリノショーではブロヴァローネのサポートのもと、学校を出てすぐにピニンファリーナに入社した、若き日のレオナルド・フィオラバンティによりモディファイされた「ディーノⅡ」とよばれる二次プロトが発表される。生産型に近いフロントデザインが与えられたノーズ先端には、フェラーリロードモデルらしく楕円形のグリルを備え、マッシブだったフェンダーの盛り上がりは抑制されたラインに改められている。トランクフード上にはエレガントな4本のスリットがアクセントとして左右に刻まれ、このデザインは生産モデルへと引き継がれていく。ジアッロ・フライ(=イエロー)に塗られたボディは“GT”としてのキャビンスペース確保の為、グラスエリアを広げることに伴い車高は少し高められ、全長、ホイールベースを延長しながらバランスがとり直され、5本スポークの星形ホイールが初めて採用されたモデルとなる。リアウィンドウごと跳ね上がる大型のエンジンフードは継承され、その下のエンジンはいまだ縦置きのままとされていた。フェラーリから市販化への承認が下りると、デザインワークとプロトモデルの製作がピニンファリーナ主導で行われる中で、マラネロではメカニカルパートの開発が進行していた。1967年5月には生産型と同じウィリアム・ヴァカーリ製のクロームモリブデン鋼を使ったフレーム・シャーシをもち、エンジンが横置きに搭載された三次プロトがマラネロで発表される。このモデルを経て1967年11月のトリノショーでほぼ生産型となるプリプロダクションカーが発表され、翌年の6月から「206GT」の生産が始められる事となった。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの息子で、24歳の若さで夭逝したアルフレードの愛称「ディーノ」の名でよばれるV型6気筒エンジン。12気筒エンジンをメインに車種ラインナップを展開するフェラーリの中で、エンジニアを志望するアルフレードの生前の提唱を起源とするこのV型6気筒エンジンは、ランチアで史上初めてV6エンジンを具現化したエンジニア、ヴィットリオ・ヤーノの設計により1957年に1.5ℓ・F2用エンジンとして誕生する。翌年1958年には2.4ℓ化され、最強のFR時代のフォーミュラー用エンジンとして「ディーノ246F1」に搭載されると、1958年にはマイク・ホーソーンに英国人初のワールドタイトルをもたらした。またレーシングスポーツモデル「196S」「246S」にもV型6気筒エンジンは搭載され、フェラーリのエンブレムを掲げてサーキットで活躍を続けていたが、1965年の「166P」のノーズには、初めて「Dino」のエンブレムが与えられている。彼の筆跡を元とするエンブレムは、後に発表されるV型6気筒エンジン搭載の生産モデルにも引き継がれ、独自のブランドとして生き続ける事となり、そこには父親エンツォの深い想いを感じずにはいられない。戦前から存在したV型8気筒や12気筒エンジンに対してV型6気筒エンジンの実用化が遅れたのは、振動を避ける為の等間隔着火を想定すると120°のバンク角が必要となる為だった。これを解決する為にヴィットリオ・ヤーノは、配下のフランチェスコ・ヴィルジリオとともに研究を進め、エンジンのバンク角を60°とコンパクトな設計とし、対向するピストンのクランクピンを共有する3ピン式とせず6ピン式を選択し、対向するピンを相互に60°ずらす事で等間隔着火を可能とし「ランチア・アウレリア」に搭載した。この理論を「ディーノV6」ユニットでは、65°のバンク角に応用し等間隔着火を可能としているところが、このエンジンの特徴となっている。レーシングモデルの為に開発されたこの「ディーノV6」ユニットは、1951年にスクーデリア・フェラーリに採用されたエンジニア、フランコ・ロッキによりロードモデルの為に作り直されている。レーシングモデルではセオリー通り縦置きで搭載されている「ディーノV6」ユニットは、ロードモデルの「ディーノGT」ではコーナーリング性能を高める目的から短めのホイールベースが採用され、”GT“としてのキャビンスペースも確保する為に横置きとされ、この搭載方法はこのモデル以降のスモール・フェラーリ・シリーズと呼ばれるモデル達に引き継がれていく。同じ横置きエンジンによるミッドシップモデルに「ランボルギーニ・ミウラ」が存在するが、このモデルのエンジンとトランスミッションは、エンジンブロックとミッションケースが一体鋳造されることでクランクシャフト中心が低く置かれた設計となっている。これに対して「ディーノGT」の場合、エンジンの斜め下にトランスミッションが配置される設計とされ、クラッチからの出力は3枚のスパーギアを介してミッションに送られ、後方のディファレンシャルへと伝えられる方式となる。この為、押し上げられて搭載されるエンジンのクランクシャフト中心はデフの出力点より230mm高くなり、地上からでは450mmとなる。「ミウラ」のクランクシャフトは地上から300mmの高さに置かれ、専用エンジンとしてミッションケースをエンジンブロックと一体で鋳造できた「ミウラ」に対し、レーシングモデル用エンジンから転用された「ディーノV6」ユニットの出自の違いによるもので、これも「ディーノGT」モデルの走行性能にかかわる大きな特徴となっている。︎1969年6月12日にフェラーリは、フィアット傘下のウェーバーの社主フランチェスコ・ベリカルディの仲介により、フィアットを率いるジャンニ・アニエッリの承認を受け、フィアットと正式に提携する事となる。この提携によりフェラーリ市販車部門は、7月からフィアットから出向してきたジュゼッペ・ドンドのコントロール下での稼働を開始する。これを機に、それまで生産されてきた「ディーノ206GT」は、デザインイメージを継承したまま「ディーノ246GT」へとマイナーチェンジが敢行される。フィアットとの提携直前の1969年3月のジュネーブショーに於いて、正式に車名を「ディーノ246GT」として発表された生産プロトタイプにより、2.4ℓに排気量アップされアルミ製から鋳鉄製へとマテリアル変更された新型エンジンの搭載や、60mm延長されたホイールベースと量産に有利なスチールボディを持つ事が明らかになり、フィアットによる量産管理が始められる事を伺わせた。「ディーノ206GT」のアルミ製エンジンはレーシングユニットをデチューンして搭載したもので、旧来的な素材と工法に着目すればヴィンテージ・フェラーリそのものとなり、”量産車用“というには憚られる部分もあり、フィアットは充分な信頼性、耐久性の確保に重きを置いていた。ホイールベース延長に伴い全長は85mm、全高は20mm延ばされボディは全体のデザインバランスを維持しながら、僅かなインテリアスペースの確保が図られている。「ディーノGT」のボディパネルは、シリーズを通して他のフェラーリ量産モデルと同様に、ボディ架装はスカリエッティが担当している。アルミからスチールへと素材変更されたボディパネルは「ディーノ246GT」が生産され始めた当初は、スカリエッティに於いて依然としてハンマーにより叩いて成形する方法が取られていた。しかしピニンファリーナに自動プレス機が導入されるとボディパネルはこの機械でプレス製作され、ここからスカリエッティに届けられボディが造られるようになる。これが軌道に乗り始めた1970年からはフィアットの目論み通り生産台数に安定感がもたらされる事となる。ボディパネルやエンジンの素材がアルミからスチールに変わった割には、完成した「246GT」の車両重量の増加は最小限に留められ、アルミ素材が多用されていた「206GT」は、そのイメージ程には軽く無かったとも想像出来る。ライバルと目される「ポルシェ911」は、1968年には170馬力を誇る高性能モデルの「911S」をラインナップに加え、排気量拡大の余地を残すエンジンを搭載しながら既に排ガス規制の本格的な導入の検討が始まった北米で利益を上げている事をフィアットは見逃さなかった。これに対向する為にも生産性の向上を目的とする材質の変更、排気量拡大や居住性の向上は必要なものとした上で、北米の規制に対応したモデルを仕立てて1970年から北米輸出が開始される事となる。︎今回入荷した1972年型の「ディーノ246GT」は、3種類のモデル・バリエーションをもつ「ディーノ246GT」の中でも最終型となる“ティーポE”とよばれるモデルとなる。エクステリアでは、フロントグリル手前迄の長さに短縮されたフロントバンパーや、太めのリアバンパーが採用され、交差式からパラレル式に改められたワイパーが特徴となる。インテリアでは、チョークレバーがシフトゲート横に移され、ダッシュボード上のエアアウトレットが、格子型からフラップ型に変更を受けている。メカニカルパートでは、新デザインのエンジンオイルサンプの採用とミッションのギア比の変更が行われるとともに、クラッチも刷新されている。1971年7月に発表されたこの”ティーポE“は、この年の末から生産が開始され1974年1月まで生産された、シリーズの中では最も長い期間生産された完成度の高いモデルとなっている。多くのノウハウにより熟成されたモデルであるとともに、パワーウィンドウやエアコン、レザーインテリア、カンパニョーロ製ホイールなどの注文装備が可能となったモデルでもある。発表1年後の1972年2月からはデタッチャブル・トップをもつオープンモデル「246GTS」の生産が始まり、シリーズ全体の30%以上を占める生産台数へと成長するモデルとなる。︎「ディーノ246GT」に搭載されるエンジンは、1950年代の「375F1」に搭載される”ランプレディ・ユニット“ともよばれる4.5ℓ・12気筒エンジンの設計を担当したアウレリオ・ランプレディにより再設計された、ティーポ135CS型とよばれる65°V型6気筒DOHC12バルブエンジンとなる。チェーン駆動によるこのエンジンはウェット・サンプ式となるが、中空カムシャフトや、ナトリウム封入バルブが採用されるなど高度な設計が施されている。ボア×ストロークは「206GT」用2ℓ・V6の135B型エンジンの86.0mm×57.0mmから拡大された92.5mm×60mmから、431cc増やされ2418ccの排気量を得る。ダウンドラフトのツインチョーク・ウェバー40DCNF/7型キャブレターを3基備え、9.0の圧縮比から最高出力195馬力/7600rpm、最大トルク23.0kgm/5500rpmを発揮する。このエンジンは「フィアット・ディーノ」にも搭載されたが、フィアット用では180馬力/6600rpmにデチューンされ、後の「ランチア・ストラトス」用ではパワーバンドが広げられ190馬力/7000rpmへと変更されている。アルミブロック製だった「206GT」用の135B型エンジンから、鋳鉄ブロック化されたこのエンジンは、乾燥重量134kgとなり僅か4kgの重量増にとどまる。組み合わされるトランスミッションは自社製の5速MTとなり、この1972年型“ティーポE”では、ギア比がそれまでの3.075/2.117/1.524/1.250/0.857から3.230/2.203/1.619/1.200/0.895へとローギアード化が図られている。しかしファイナルは4.440から4.062へと高められている為、オーバーオールレシオでの差は最小限となる。新設計のクラッチが採用され、ロッキングファクター40%の機械式LSDが装備される。 足回りは前後とも、ダブルウィッシュボーン式となり、KONI製ショックアブソーバーとコイルスプリングを装備しスタビライザーを備える。ブレーキはサーボ付きで、4輪ともにベンチレーテッドディスクを装備し、組み合わされるキャリパーはそれまでのガーリング製からAte製に変更されている。ホイールは、“ティーポL”とよばれる初期モデルでは「ディーノ206GT」と同様にセンターロック式とされていたが、後期モデルの“ティーポE”では、5本のスタッドボルトで固定される「Dino」の文字が刻まれたクロモドラ製の6.5J×14インチサイズの軽合金ホイールを4輪に装備する。組み合わされるタイヤは4輪ともに205/70VR14サイズのミシュランXWXとなっている。インテリアは、車両の大きさを考えれば広く感じられるものとなり、ホイールベースの延長と車高の僅かな変更が反映されたものとなる。ミッドシップモデルとしては斜め後方を含め、全方位に開けたルーミーな視界を得られるデザインは、ブロヴァローネによるプロトタイプモデル「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」から引き継がれている。36cm径のモモ製3スポークのレザー巻きステアリングを通して正面のメータークラスターには、Veglia製メーターが大小8個レイアウトされる。やや上向きとなるステアリングホイールと、近めに配置されたペダル類は典型的なこの時代のイタリアンスタイルのドライビングポジション要求する。1970年からの中期モデルの“ティーポM”以降ヘッドレストはシートに装備される様になり、バックレスト一体式となるシートはリクライニングは効かないタイプとなっている。また同様に空調コントロールレバーはギアレバー脇からダッシュボードに移設され、それによりグローブボックスが短くなっているのも”ティーポM“以降のモデルの特徴となる。フェラーリ・ロードモデルに共通の、ゲートが切られメッキを施したメタルプレートを根本にもつ5MTのシフトレバーがフロアコンソールに備わり、その横にはチョークレバーとシガー・ライターがレイアウトされている。手前にはアシュトレイ、パワーウィンドウスイッチ、その後方にはサイドブレーキレバーが置かれている。︎全長×全幅×全高は4235mm×1700mm×1135mm、ホイールベースは2340mm、トレッド前1425mm、後1430mm、車両重量1080kg(乾燥重量となり実質1200kgといわれている)。最小回転半径は6.1m、燃料タンク容量は70ℓとなっている。新車時ディーラー価格は900万円(1973年・西武自動車)。生産台数は「ディーノ246GT」は2487台、タルガ・トップモデルの「246GTS」は1274台となっている。︎メーカー公表性能値は0→400m加速15.4秒、0→1km加速26.8秒、最高速度235km/hとなる。カーグラフィック誌による実測データは、海外契約レポーターでモータージャーナリストのポール・フレールによる海外でのテストデータが掲載され、0→100km/h加速7.1秒、0→400m加速14.8秒、0→1000m加速27.0秒、最高速度233km/hとなっている。︎黄色地に深いブルーの文字でアルフレードによる書体を模した「Dino」のエンブレムをノーズに付けた「ディーノ246GT」のフォルムは、紛れもなく同世代のフェラーリロードモデルに繋がる柔なかアールを使ってデザインされている。エンジンがキャビン後方に搭載されている事により、薄くされた鼻先から低い車体に4つのタイヤを強調するように盛り上がったフェンダーをもつフォルムは、同じく「ディーノV6」ユニットを搭載するコンペティションモデル「206SP」とも深い繋がりを感じさせるデザインに感じられる。ウェストライン上に配置された、メッキの施された小さなドアノブで厚みのあるドアを開き、低いシートに腰を降ろすとフロントウィンドウ越しに左右の盛り上がったフロントフェンダーが目線の高さにに入る。視界は全方向に開け、特にリアクォーターの窓の切り方はミッドシップモデルとしては異例とも言える程の良好な視界をもたらし、優れたデザイナーの見事な仕事ぶりを実感する事となる。キーを捻りエンジンを始動させると、グラスファイバー製のフロアやリア・バルクヘッドを通してエキゾーストノートと同じくらいの音量でチェーンドライブのエンジン音がキャビンに響く。重めのクラッチを踏んで丸いシフトノブで左手前のゲートへチェンジレバーを移動し、1速を選んでクラッチをゆっくりとエンゲージしてみる。思ったより豊かな低速トルクにより、あっけなく動き出す事が出来るが、特に走りはじめには2速ギアには入りにくく、ギアオイルを温める事が必要とされる。そこで2速を飛ばして3速を選びスピードを流れに任せながらエンジンとギアオイルの温まるのを待つことにする。オイルが温まり2速がスムーズに使える様になり、エンジン回転数を上げられる様になると心地よいサウンドがキャビンに広がり始める。「ディーノ246GT」エンジンサウンドは、人間の耳につく低音域を抑え気味にして中高音域を抽出して柔らかく聞かせる様にチューニングが施され、その音質はミュージックと呼ぶに相応しいものに感じられる。「ディーノV6」ユニットの特性は低回転域からトルクを発生させるフレキシブルなもので、アクセルにシンクロした鋭いレスポンスと高回転域の伸びをもち、そのサウンドとあわせて、まさに”名機“とよばれるエンジンとなる。乗り心地はタウンスピードを含めて、低速から高速まで快適に感じられるものとなり、乗員が重心付近に座っているというポジショニングによるところもあるが、スピードを増すにつれ安定感を帯び、更に快適さを増して乗員を疲れさせる事を最小限に抑えた”GT“らしさを見せる。全体的にローギアードな5段ギアボックスは長めのシフトレバーとフェラーリ製ロードモデルならではのシフトゲートをもつ為、シフトレバーの動きは大きくなり、素早いチェンジには慣れが必要となる。フル加速では同時代の「ポルシェ・カレラ」に惜しくも一歩譲っても、エンジン回転が4500rpmから上にいくにしたがいマフラーとエンジンのサウンドがシンクロし始めると、エンジンは回転の上げ足を速め、素晴らしいサウンドで周囲を魅了する。この「ディーノV6」ユニットのサウンドは、ボディデザインと並んで多くのファンをもち高い評価を得ている。またステアリング・ホイールに添えた手を僅かに動かすだけで素直な反応を示すハンドリング特性は、そのまま保舵力が重くなることも無く、思い通りにコーナーをクリアしていける高い旋回性能を披露する。この軽快感とコーナーリング時の良好なバランスは、同世代のフェラーリ・ロードモデルではなかなか得られず、2速あるいは3速のフルパワーをかけてコーナーリングしても、前後タイヤは絶妙にグリップし、純粋にニュートラルステアを保とうとする。「ディーノ246GT」のコーナーリングは極めて高次元のものとなり、自信を持ってワインディングを楽しむ事を可能とし、ミッドシップ黎明期にこれだけバランスの取れた挙動に仕上げていた事に、驚きと感動を覚える瞬間となる。「ディーノGT」が開発された時代は、今よりはるかにコンペティションモデルとロードスポーツモデルが近しい関係にあり、それ故に搭載される「ディーノV6」ユニットにも、そのベースとなったコンペティションモデルのイメージが色濃く反映されたものとなる。それはドライバーがステアリングを握るコックピットから見える世界にも表現され、フロントスクリーンを通して大きく盛り上がったフェンダー越しに見える景色こそは、コンペティションシーンで「206S」を操るレーシングドライバーが目にした世界ともシンクロしたものとなる。この大きく盛り上がった丸いフロントフェンダー越しに前方が見渡せる世界は、エンジンがフロントからリアへ移った1960年代迄のコンペティションモデルならではとなり、当時の技術を結集して作られたモデルの特権とも感じられる。「ディーノ246GT」は、そこに置かれているだけでもクルマ好きは心穏やかでは居られなくなる美しさをもち、走らせれば今でも当時のコンペティションモデルとの強い結びつきを想像させるバランスの良いコーナーリングを見せ、素晴らしいサウンドを響かせる。誕生から半世紀以上が経過しても、ヒストリー、デザイン、そしてメカニズム全てを備えて、今なお輝き続けるモデルと言えるのかもしれない…