サイズ
長 391.0 cm 幅 163.0 cm 高 120.0 cm
希少クラシケ取得車両/オリジナルホイール有
1946年にフィアットの二代目社長に就任したビットリオ・バレッタは1966年に社長の座を退き、代わって創業者ジョバンニ・アニエッリの孫にあたるジャンニ(本名は祖父と同じジョバンニだが、区別する意味でニックネームの"ジャンニ"でよばれる)がその地位を引き継いだ。父親であるエドアルドを早くに亡くしたジャンニは、若い頃から自分がフィアットを背負って立つ事を自覚し、バレッタの下でその準備を進めていた。この年に登場したニューモデルが「フィアット124」で開発コードがそのまま車名に使われたフィアット最初のモデルとなる。「フィアット124」は3ボックスのオーソドックスな4ドア・セダンとステーションワゴンのボディをもち、フィアット車としては初の「ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したモデルでもある。その「フィアット124」シリーズに魅力的なスパイダーボディが加わったのは1966年のトリノショーだった。「フィアット124スポルト・スパイダー」の車名をもち、美しいボディデザインは、カロッツェリア・ピニンファリーナによるもので、同社に在籍していたトム・チャーダによるもの。27歳でピニンファリーナに移籍したトム・チャーダは「フェラーリ365GTカリフォルニアスパイダー」のデザインなどに関わるが、何といっても彼の代表作は34歳の時に、デザインディレクターだったジウジアーロの後任として再び戻ったカロッツェリア・ギアでの「デ・トマソ・パンテーラ」となるだろう。「124スポルト・スパイダー」は発表当初、搭載していた1.4ℓエンジンがフェラーリのエンジニアであったアウレリオ・ランプレディ設計のDOHCヘッドをもち、カムシャフトの駆動にコックド・ベルトを用いた、当時注目のエンジン(ランプレディ・ユニットとよばれる)だった。1965年に自社デザインによる「124スポルト・クーペ」を加え「フィアット124」シリーズは1970年代半ばまで生産されるが「フィアット124スパイダー」だけは北米での排ガス対策を施しながら1.6ℓ、1.8ℓとランプレディ・ユニットの排気量を拡大し、最終的には2ℓまで進化をしながら1980年代まで生産が続けられる事となる。1971年にフィアット傘下となった「アバルト」はフィアット・グループ内のスポーツモデルの開発/生産及びモータースポーツ活動を請け負う組織となった。その最初の仕事はラリーで活躍した「アウトビアンキA112」のロード・バージョンを開発する事。それに続いて1972年に「フィアット124スパイダー」をベースに、ヨーロッパラリー選手権(ERC)、世界ラリー選手権(WRC)への参戦を目的に「フィアットアバルト124ラリー」をFIAグループ4レギュレーションに沿って開発する事がアバルトの仕事となった。(フィアットアバルト124ラリーのアバルトでの開発ナンバーはSE026となる)。エンジンは「124スパイダー」と共通のボア・ストローク84.0mm×79.2mmから1756ccの排気量をもつ水冷直列4気筒DOHC8バルブとなる。アバルトによりカムシャフトのタイミングを見直され、吸気系をダウンドラフトのツインチョークウェバー44IDF型を2連装にして、更にエキゾーストマニホールドとデュアルのアバルトマフラーなどによりチューニングが行われた。9.8の圧縮比をもつストリートバージョンは128馬力/6200rpmと16.2kgm/5200rpmのトルクを発生する。(ノーマルは118馬力でコンペティションモデルは170馬力となっている)ピニンファリーナの製造ラインで生産されるモノコックボディは、ボンネットとトランクフードのFRP化やドアパネルとスカートのアルミ化、ラバーブロックによるバンパー、簡素なインテリアとリアシートも外され、徹底した軽量化によりベースモデルより50kg軽量となる。組み合わされるハードトップはFRP製でオープンボディとしては高い剛性を確保している。︎足回りはフロントはダブルウィッシュボーン+コイル+スタビライザー、リアはベースとなる「124スパイダー」がトレーリングアーム式のリジットアクスルなのに対し、マクファーソンストラット+コイルの独立懸架にブラッシュアップされている。4輪ディスクブレーキを装備し、ストリート仕様では13インチ×5.5Jのクロモドラ製マグネシウムホイール(アバルトとクロモドラの刻印付きのクロモドラCD30型)が付く。タイサイズは4輪とも185/70-13サイズとなっている。︎ダッシュボードのメーター周りは「124スパイダー」が木目調パネルだったのに対し「アバルト124ラリー」では艶消しアルミ製パネルとなる。室内にはロールオーバーバーが付き、アバルト製3スポークステアリングが備わり、中央のホーンボタンにチェッカーフラッグにアバルトエンブレムをあしらったモノが付く。またオプションでラリー用の本格バケットシートも選択可能だった。全長×全幅×全高は3915mm×1630mm×1240mm、ホイールベースは2280mm、トレッドは前後ともに1415mm、車両重量938kgとなっている。当初グループ4のホモロゲーション取得の為、500台+aが生産されたが、その後人気が高まり+500台を追加生産したことにより総生産台数は1013台となる。︎メーカー公表性能値は0→100km加速7.5秒、最高速度190km/hとなっている。「アバルト124ラリー」は1972年のERCでコンストラクター2位(1位はランチア社でフルヴィアによる)、翌年から新たに開催されるWRCにおいてポリッシュ・ラリーで優勝した他、各イベントで上位に食い込むが、73〜75年まで連続コンストラクター2位を維持した。(73年はアルピーヌ、74、75年は再びランチアがストラトスで1位となった)また、1977年に幕を閉じたタルガ・フローリオでは1974年に1601〜2000ccのグランドツーリングカークラスを席巻、クラス優勝と3〜5位という大活躍を果たし、その性能の高さを見せつけた。「アバルト124ラリー」は巡航時、心地よいエグゾースト・ノートを含む騒音に包まれるが、それは防音対策を省いた軽量化によるもの。旧式となったウォーム&ローラー式のステアリングシステムはダイレクトに反応を返して、手応えのあるステアフィールを生み出す。当時のオープンボディとしては高い剛性を誇り、コーナー進入時も殆どボディはロールしないで、力強くコーナーを脱出することが出来る。独立懸架となったリア・アクスルのトラクションも充分に機能し、急なコーナーでもドライ路面なら素早く楽に抜けられる。エンジンの高い柔軟性もアピールポイントとなり、高めのギアでも2000rpmからリニアに吹け上がり、そこからレッドラインの6200rpmまで躊躇なく吹け上がっていく。エンジンは4気筒らしいシンプルで小気味良いサウンドをもちラリーカーに求められる要素を兼ね備えたものとなっている。このクルマの走る姿は、ピニンファリーナの生み出したフェラーリ275、330、365GTに類似して、とても華麗で美しいものとなる。フロントフェンダーから伸びたラインが、ドア後端部で跳ね上がりリアフェンダーに続くラインは見事だ。テールランプ上方のフレアもクロームバンパーを剥ぎ取ったおかげで新しい次元の魅力を生み出しているように見える。2016年3月のジュネーブショーで再び類似した車名をもつ「アバルト124スパイダー」がデビューする。マツダ・ロードスター(ND型)をベースとしながらもアバルト・デザインセンターのルーベン・ワインバーグによりデザインされた新世代の「アバルト124スパイダー」は、「アバルト124ラリー」のデザインイメージを上手く落とし込まれたエクステリアデザインをもち、アバルト製1.4ℓターボ・エンジンを搭載し広島のマツダで生産された。初代とは全く異なる背景で作られた車となるが、時代を超えてそのドライビングプレジャーは継承され、2016年のオートモビルカウンシルでの日本デビュー時には「アバルト124ラリー」と並べて展示され、現代に続く蠍のエンブレムを継ぐものとなっている。