フェラーリ512M
ディーラー車
︎フェラーリの12気筒エンジンを搭載するロードモデルとして、初めてミッドシップ方式でエンジンを搭載したモデルは「BB」の愛称でよばれる「365GT/4BB」だった。「BB」とは「Berlinetta Boxer」の頭文字とされ、ボディ形状の「Berlinetta=クーペボディ」と「Boxer=水平対抗エンジン」を表している。1968年10月のトリノ・ショーで発表されたカロッツェリア・ピニンファリーナによるコンセプト・モデル「P6」をベースとし、それはフェラーリ・フラッグシップモデルをミッドシップ化させる為の、ピニンファリーナからのプロポーザルだった。フロントエンジン・リアドライブに固執するエンツォ・フェラーリにより、ベルトーネのデザインで一世を風靡した「ランボルギーニ・ミウラ」のセンセーショナルなデビューを悔しい思いで目の当たりにしたピニンファリーナのデザイナー、レオナルド・フィオラバンティは、新時代のフェラーリ像を提示するために万感の思いで「P6」のデザインを完成させた。トリノショーに展示された「P6」を見てフィオラバンティと、後に「BB」開発を担うフェラーリのアンジェロ・ベレイ技師は「これはブリジット・バルドーじゃないか」と、新時代の美しさを讃えあった。1960年代の銀幕の大スターの頭文字「BB」が新型フェラーリ・フラッグシップの開発コードネームとされ、それが車名へと変化していった。正式にフェラーリから開発が認可されたが「デイトナ」の60°V型12気筒エンジンを、横置きでリア隔壁とリアタイヤの間に搭載する事を想定した「P6」のリアのフードが「高すぎてバランスが悪いので修正して欲しい」と、ボディスタイルに唯一エンツォからの注文が出た。その上でエンツォは、マラネロで設計に関わる2人の技師、アンジェロ・ベレイとジュリアーノ・デ・アンジェリスに、マウロ・フォルギエーリ技師が設計したF1用エンジンと同型の180°V型12気筒エンジンの採用をすすめ、レーシングフィールドのイメージをロードカーに活かす為のアドバイスを与えた。フェラーリではフォルギエーリ技師の設計による180°V型12気筒エンジンを、1964年の1.5ℓ・F1用にティーポ207型エンジンとして開発、1969年にはこれを2ℓ化しティーポ232型エンジンとし、ヒルクライム用のマシン「212E」に搭載していた。同じ年にレギュレーション変更が行われ3ℓ化されたF1には、ティーポ001型・180°V型12気筒エンジンが「312B」に搭載されていた。このF1マシンの車名は「3ℓ・12気筒のボクサー」を表すが、本来であれば「ボクサー」とは水平対抗エンジンを指し、向き合う左右のピストンがそれぞれにクランクピンを持ち、左右対称の動きをする事で振動が出にくくなる一方で、クランクシャフトが長くなってしまうという欠点をもつ。コンパクトなエンジンとして剛性を上げたいフェラーリは、向き合った左右のピストン同士のクランクピンを共有することでクランクシャフトを短く抑え、クランクケースの圧力の関係から高回転を狙える180°V型を採用している。また1969年には、フェラーリの株式の40%をフィアットが取得し、これを機にレーシングエンジンの通し番号はゼロリセットされるとともに、市販モデルのエンジン型式にはFが付くようになった。これにより「デイトナ」のエンジンはティーポ251型であるのに対し、新たにコックドベルトで駆動され、同じボア・ストロークをもち燃焼室など基本設計を継承しながら、バンク角を60°から180°に開いた「BB」のエンジンは、ティーポF102A型となっている。「365GT/4BB」は、エンツォの指示の元、ベレイとアンジェリス、そしてフィオラバンティにより1971年にトリノ・ショーで発表される。「P6」のボディデザインを彷彿とさせる「BB」のボディは、視覚的な美しさと機能を見事に両立させたデザインとされ、12気筒エンジンを縦置きでキャビンとリアタイヤの間に何とかおさめ、スポーツカーらしく2500mmという短めのホイールベースをもっている。「BB」に採用された新たなレイアウトは、エンジンの下にミッションを配置するという、マラネロの2人の技師による技術の結晶となり、熟成に手間どりながらも発表から2年後の1973年に販売が開始される。「BB」のエンジンリッドは、エンツォの注文通り低くスッキリとまとめられトンネルバック部分のエアフローを改善するためにルーフエンドにスポイラーが備わる。このフォルムを維持したまま、排ガス対策の為に5ℓ化されたティーポ F102B型・180°V型12気筒エンジンを搭載した「512BB」は、1976年トリノ・ショーで発表される。最高速度302km/hを標榜し、380馬力を誇っていた「365GT/4BB」から排気量をアップしたにもかかわらず360馬力を公表し、これに続くインジェクション化された最終進化モデルの「512BBi」では340馬力迄パワーダウンを余儀なくされてしまう。公表出力は落ちてもコンフォート性能と信頼性を向上させながら、F1マシンとの深いつながりをもつ「BB」は、シリーズを通してフェラーリ・フラッグシップとしての名声を維持し続け11年間にわたり生産された。1984年10月のパリ・サロンで「BB」の後継車となる、新たなフェラーリ・フラッグシップモデルが発表される。一足先にデビューしたコンペティティブな限定車「288GTO」とは対照的に、よりラグジュアリー色を強めGT寄りの成り立ちをもち、当時のスポーツカーの概念を根底から覆すボディデザインが与えられた、規格外ともいえる幅広のリアセクションと、大胆なサイドビューが印象的なモデルは「テスタロッサ」と命名される。「テスタロッサ」とは、1950年代に活躍したレーシングカーの名称で「テスタロッサ=赤いヘッド」の名前通り、搭載するエンジンのヘッドカバーが赤く塗られたモデルだった。新型「テスタロッサ」は、F1と同じくボディサイドにラジエーターが配置され、これはフィオラバンティが強く推したコンセプトでもあった。ラジエーターへと空気を導くサイドの大きな開口部に加えられた流麗なルーバーは、ピニンファリーナのデザイナー、ディエゴ・オッティナのデザインとされている。搭載されるエンジンは「512BBi」と同じボア・ストロークをもつ同排気量で、5ℓ・180°V型12気筒のティーポF113A型となり、車名の由来通りヘッドカバーは赤い結晶塗装が施されている。エンジン単体で20kgの軽量化を図りながらもヘッドは4バルブ化され、ボッシュKジェトロニック燃料噴射装置により390馬力を発揮する。インパクトの強い「テスタロッサ」のデザインを心配したセルジオ・ピニンファリーナであったが、時の経過とともにフェラーリ・フラッグシップとして安定した人気を誇った。1987年に創業40周年を迎えたフェラーリは、エンツォの指示により「288GTO」のコンセプトを更に進めたロード・ゴーイング・レーシングカーともいえる「F40」を発表する。この「288GTO」から「F40」へと続く限定車の流れは、通常生産されるラインナップ・モデルとは異なり、以降スペチアーレ・フェラーリとして、不定期に限定生産されるようになる。「F40」が発表された翌年の1988年8月にフェラーリは、創業者であるエンツォ・フェラーリを失う事となる。混沌とした重く暗い空気がしばらくフェラーリを覆い、暫し時が流れた。再びフェラーリに光が差し始めたのは、エンツォ亡き後のフェラーリを指揮する為に、ルカ・ディ・モンテゼーモロが新たに社長に就任した時だった。本名ルカ・コルデロ・ランツァ・マルケーゼ・ディ・モンテゼーモロという侯爵家の生まれとなるモンテゼーモロは、ボローニャで生まれ7歳の時に両親とローマに移り住むと、ローマ大学を出て国際弁護士を目指してニューヨークのコロンビア大学に留学する。ローマ大学時代にランチア・チームでラリーに出場し、自身のラジオ番組をもつ侯爵家出身のハンサムな学生は、エンツォの目にとまりマラネロを訪れる事を打診される。1973年コロンビア大学を卒業するとすぐに、マラネロに赴いたモンテゼーモロは、26歳の若さで低迷を続けていたスクーデリア・フェラーリを立て直す為に、チーム・マネージャーを任される。1977年迄の4年間、モンテゼーモロが在籍したスクーデリア・フェラーリの成績は、74年はタイトルを惜しくも逃し年間2位に留まる。翌75年にはニキ・ラウダがタイトルを久しぶりにフェラーリにもたらす大活躍を見せるが、76年になるとラウダの大事故により、1ポイント差で2位となってしまう。しかし77年には再びラウダがチャンピオンを取り返し、優れたマネージメントにより強いフェラーリを復活に導いた。その後、フェラーリを離れたモンテゼーモロは、国際PR担当役員を務め、フィアットの出版子会社イテディ(ITEDI)やヴェルモット酒メーカー、チンザノ・インターナショナル社の社長業をこなし、アメリカズ・カップに関わり、サッカー・ワールドカップ・イタリア大会事務局長を務める。数々の遍歴を辿りフェラーリとも関わってきたモンテゼーモロは、フィアット会長のジャンニ・アニエッリの要請により1991年にエンツォ亡き後のフェラーリ会長に44歳で就任する。モンテゼーモロ就任後の新体制下で、最初に発表されたモデルが「512TR」となる。車名は「5ℓ・12気筒のテスタロッサ」を意味し、それまで8年間生産されてきた「テスタロッサ」の約30%の構成部品を新たに作り直し、高度にリファインが施されたモデルとなっている。このモデルを皮切りにフェラーリ・ロードモデルの品質と信頼性は大きく前進し、新たなテクノロジーの導入も図られ更なる進化を遂げていく事となる。「512TR」に搭載されるF113D型エンジンは、同排気量から圧縮比を高めアップデートされたエンジンマネージメントシステムにより428馬力にパワーアップされ、レスポンスとドライバビリティ、信頼性が高められるとともに、シャーシ及び足回り、ブレーキを含め多くの部分のブラッシュアップが図られる。モンテゼーモロは、創業者エンツォ・フェラーリ時代に築かれた生産体制を引き継ぎ、伝統を守りながら、新たなテクノロジーの導入を惜しまずに新たなフェラーリ像を見せようとしていた。翌年の1992年には、フロントに新開発V12エンジン・F116B型を搭載したFR・2+2モデル「456GT」をラインナップに加えると、1994年5月には「348」のエボリューションモデルとして、5バルブ化されたV8エンジン・ F129B型を搭載した「F355」が登場する。モンテゼーモロ体制下での新型モデルやアップデートが施されたモデルの発表が続き、ラインナップの刷新が図られるフェラーリは、1994年秋のパリサロンで「BB」に端を発するミッドシップ方式を採用してきたフェラーリ・フラッグシップモデルの約20年間の集大成モデルとして「F512M」を発表する。「F512M」の車名は「フェラーリ」を表す「F」と「5ℓ、12気筒エンジン」の「512」そしてイタリア語で「改良」を意味する「Modificata」の頭文字「M」が組み合わされている。多岐にわたるブラッシュアップにより、高い完成度をもつ「512TR」が「テスタロッサ」の最終モデルと思われていたが、洗練された乗り味と高いパフォーマンスで性能差が少なくなった「F355」に対して、更なる性能アップと「テスタロッサ」デビュー時から引き継がれたエクステリアのアップデートがメインとなっている。「F512M」では、それまで引き継がれたリトラクタブル方式のヘッドライトが廃止され、固定式で照射能力の高いヘラ製・エリプソイド式ヘッドライトが採用された。また、丸型4灯式デザインに戻されたテールランプ、「F355」と同じくオーバル型となったフロント・グリルが用いられる事で、同時期のフェラーリ生産車とイメージが統一される様になった。更に、空力や軽量化への配慮により、フロントエアダムに開けられたエア・インテークはブレーキへ、ボンネット上のNACAダクトは空調の為とされ、足回りを中心に進められた軽量化は、新デザインのホイールの採用にまで及んでいる。「テスタロッサ」のスクエアなイメージから、大きなRを用いたラウンドしたイメージに変更されたエクステリアは、引き続きピニンファリーナによるものとなる。フィオラバンティの後継者となるロレンツォ・ラマチョッティが中心となりリニューアルされたボディデザインは、後に発表される「F50」や「550マラネロ」にも引き継がれるデザインとされ、デザイン・トレンドの移行を感じさせるものとなっている。キャビン部分を除く全てのボディ外板は、それまで通りアルミ製となり、エンジンフード部分はボディ同色とされた。︎「F512M」に搭載されるエンジンは、F113G型とよばれる水冷180°V型12気筒DOHC48バルブとなり、ボア×ストローク82.0mm×78.0mmから4943ccを得るのは「512BB」から引き継がれ「テスタロッサ」とも共通となる。燃料噴射装置は「512TR」と共通のボッシュ・モトロニックM2.7が採用されるが、圧縮比は10.0から10.4へと高められ、最高出力440馬力/6750rpmと最大トルク51.0kgm/5500rpmを発揮する。それぞれ「512TR」に比べ12馬力と0.9kgmアップされている。ニカシルメッキが施されるピストン・シリンダーに、新たにマーレ社製アルミ鍛造ピストンや、チタン鍛造製コンロッドが組み合わされ、軽量クランクシャフトが採用される事で、更なるレスポンスの向上と連続高回転時の信頼性を高める事に成功している。コンロッドとクランシャフトだけで7.5kgの軽量化が施され、不等ピッチのバルブスプリングの採用は10000rpmを超えるエンジン回転の追従限界を可能にするものとなる。また、各バンク毎に6-3-1と収束するステンレス製エキゾーストシステムは低排圧型が採用され、これもレスポンス向上に大きく貢献している。組み合わされるトランスミッションは自社製5速MTが採用され「BB」開発時から続くベレイ、アンジェリス技師達が考案した、エンジン直下のレイアウトが継承されている。パワー増強に伴いシンクロの強化、リバース・ギアの低速化、リンケージのボール・ベアリング支持化が図られ、扱いやすさを配慮したものとなっている。︎足回りは前後ダブルウィッシュボーン式となり、前後ともにスタビライザーを備える。ショックアブソーバーは「512TR」同様、ビルシュタイン製のアルミ製となるアウタースリーブが採用され、リアには左右それぞれ2本づつレイアウトされている。更にアルミ製ハブキャリアや、ステアリング・ナックルによりバネ下重量軽減に配慮される。ブレーキは前後共にドリルド・ベンチレーテッド・ディスクが採用され、それぞれに4ピストンのブレンボ製アルミ・モノブロックキャリパーが組み合わされている。「F512M」では、ブレーキシステムに新たにボッシュ製4センサー4チャンネルのABSが採用されている。ホイールは新デザインのスピードライン製2ピース軽量ホイールが採用され、フロント・8J×18インチ、リア・10.5J×18インチサイズとなる。組み合わされるタイヤはフロント・235/40ZR18、リア・295/35ZR18サイズとなっている。︎インテリアは「512TR」と共通とされ、365mm径の3スポーク、皮巻きステアリングが備わる。その先にはメータークラスターが備わり左側に320km/hまでのスピードメーター、右側に10000rpmまでのタコメーターが備わる。その間に小径の上に油圧、下に水温計がレイアウトされ、ダッシュボード中央部の下側には時計、燃料計、油圧計の3つのメーターが備わり、レタリングは全てオレンジ色が採用されメーター類はVegria製となっている。3つのペダル類は滑り止めと軽量化を狙った、ドリルホールの開けられたアルミ製となる。センターコンソールにはフェラーリ・ロードモデル伝統のメタル製シフトゲートが備わり、そこから伸びるシフトレバーはアルミ製の丸型ノブが付いている。シートはクッションの厚い大振りなバケットタイプとなりコノリーレザーが採用されているがオプションでタイトな、スウェードと本革の表面をもつカーボン製の軽量なバケットタイプのシートも選ぶ事が可能となった。ドライバーズシートのドア側には、サイドブレーキ・レバーが備わりフライオフ式が採用され、その脇にはシルバーメタリックの前後のフードオープナーが備わる。シート背後にはバックなどを置けるスペースが確保されている。︎全長×全幅×全高は4480mm×1976mm×1135mmとなり、ホイールベースは2550mm、トレッド前1532mm、後1644mm、車両重量1455kgとなっている。最小回転半径6.3mで、燃料タンク容量は55ℓ×2で110ℓ、新車時価格2380万円となる。生産台数は、2年間の生産期間で僅か478台の、とても貴重なモデルとなっている。︎メーカー公表性能値は、0→100km/h加速4.7秒、0→400m加速12.7秒、0→1km加速22.7秒で、最高速度は315km/hとなっている。これは「512TR」に対して、それぞれ0.1秒、0.1秒、0.2秒、1.2km/hのアドバンテージをもつことになる。︎「フェラーリF512M」の佇まいは「テスタロッサ」登場時ほど、大きなボディと感じさせることは今は無く、それでも近づいて行くと低い車高に対して、リア部分は想像以上に幅広に感じられる。ちょうどドア部分でノーズから始まるフロント部分と、広がったテールエンドからリアホイールアーチのあたりで一度盛り上がりサイドのエアインテークから低く収束するリア部分が交錯するデザインは、強いインパクトがある。サイドには、流れるように複数のフィンが、レイアウトされ、カロッツェリア・ピニンファリーナの見事な手腕は、止まっているだけでもダイナミックさを感じさせる。ドアを開けるためのノブは、キーホールがある位置のエアインテーク部分に存在する。ドアを開けると、ドライバーズシートは幅広のサイドシルの内側にあり、そのサイドシルを跨いでドライバーズシートに腰を下ろせば、ステアリングのポジションはじめ、ドライビングポジションが、日本人の体型にも馴染むように見直されているのがわかる。キーを捻りエンジンを目覚めさせると、思いの外、静かにアイドリングが始まる。クラッチを踏んでゲートの切られたアルミ製シフトレバーで、左列手前に位置する1速を選び、慎重にクラッチをエンゲージすると比較的容易に発進出来る。ノン・パワーのステアリングは動いている限り、この手のクルマとしては操舵力はそれ程重く感じない。5ℓ・180°V型12気筒エンジンは、低中速域のトルクも豊かで扱いやすいので、速度を上げずに11.5ℓのエンジンオイル、9.5ℓのギアオイルはじめメカ部分を温め、各部の動きに滑らかさを感じ始めたら少しずつ回転数を上げてみる。エンジン回転数を上げる程に回転の軽さを実感出来る12気筒エンジンは、その回転感と滑らかさは他では味わえない特筆すべきものとなる。フェラーリの真髄は何と言ってもこの12気筒エンジンにある。12本のシリンダーがトーンを合わせつつピークに達する時の響き渡る絶妙なサウンドは健在で、天上の音楽に等しく、そのレスポンスと併せて磨きがかけられている事が容易に想像出来る。また泉のように湧き出るパワーはドライブする者の心を捕えて放さないが、同時に稀有な柔軟性も他に求め得ない物となっている。同時代の「F355」に比べるとボディが大きく扱いにくい印象となるが、足回りをはじめ、コンフォート性能の熟成が進んだ「F512M」はドライバビリティが高く、ハンドリングを含め日常使いにも困る事は無い。むしろ低回転域での豊かなトルクや12気筒エンジンならではのフィーリング、芳醇なエンジンサウンドは他には替え難い、大きなアドバンテージとなっている。唯一惜しまれるとすれば、常に必要な1速から2速へのシフトワークが、クランクしなくてはいけない5速MTだという事と、1速、2速にダブルコーン・シンクロを備える「F355」とは異なり、ギア・チェンジにもスムーズさを欠くところかもしれない。サスペンションの動きをはじめ、他の部分がリファインされている事でスムーズに感じられるが故の、僅かなアラと言えるものなのかもしれない。「テスタロッサ」の進化型である「F512M」は、更にそれ以前の「BB」から受け継がれるエンジン・トランスミッション構造をもつ、ミッドシップ方式を採用したフェラーリ・フラッグシップの最終進化型であり、カロッツェリアが競い合った時代を想わせる、ピニンファリーナによる時代に左右されない魅力的なボディをもつ。その上、創業者自身のアイデアと思想、また70〜80年代に遡ればF1チャンピオンシップを獲得した、輝かしい歴史的背景をも内包したフェラーリならではの12気筒エンジンが搭載されたモデルでもある。創業者エンツォが築きあげたレーシングモデルと生産モデルの近しい関係を引き継ぐだけでは無く、次の世代のモンテゼーモロによる新たなテクノロジーが注がれ、2世代にわたるカリスマの思想が込められたモデルともなっている。この進化と継承により、現代のフェラーリのブランド力が確実なものとされ、それこそが他のスポーツカーメーカーとは異なるフェラーリの大きな魅力となっている。レーシングフィールドに最も近い立ち位置で、常に最新のテクノロジーを競い合いながら生産され続けたフェラーリの代表モデルで、フェラーリに必要な要素を全て備えた、最もフェラーリらしいモデルが「テスタロッサ」であり、その完成型が「F512M」となっている。