ロータス 23B
エンジン O/H ヒューランド5速 ウォーブリーウェブホイール F4穴 R6穴
︎「ロータス23」は、ロータスの開発ナンバーをそのまま車名に使っている為、創業者コーリン・チャップマンが1948年にガールフレンドの家の裏庭で完成させた「オースチン・セブン」をベースとする「ロータス」と名付けられた”マーク1“から数えて「23」番目のモデルとなる。低く地を這う様なスリークな軽量FRP製ボディをもつ「ロータス23」のシャーシには、シングルシーターのミッドシップ・コンペティション・フォーミュラーの「ロータス22」に採用されたチューブラー・フレームが「グループ4」にカテゴライズされるスポーツ・コンペティションモデル用に2シーターとして拡幅し、モディファイされて使われている。足回りはフロントにダブルウィシュボーン式+コイル、リアはロワーウィシュボーン+パラレルラジアスアーム+アッパーIアーム+コイルで構成される4リンク式でスタビライザーを装備、ブレーキは4輪ディスクブレーキが採用されている。特徴的なデザインをもつエレクトロン・マグネシウム合金で鋳造された「ロータス12」から採用されるウォブリー・ウェーブホイールを装備した「ロータス23」は、1962年5月27日の「ニュルブルクリンク1000kmレース」に於いてジム・クラークのドライブでデビューを果たしている。1950年代の「ロータス11」のポジションに位置付けられる「23」は、1ℓ〜1.5ℓのフォード製、或いはクライマックス製をベースとするエンジンの搭載を想定していた。並いる強豪ひしめく中、ニュルブルクリンク・サーキットを9分48秒9(平均速度139.19km/h)というクラス最速タイムで予選を終えたクラークのワークス「ロータス23」は、総合でも7位のポジションを獲得、決勝直前に降り出した雨の中でレースに挑んだ。ルマン式スタートによりレースが幕を開けると、ブルース・マクラーレンがドライブする「アストンマーティンDBR1」に一度トップを奪われるがクラークの「23」は、22.8kmの長い一周を終えてメインスタンド前に戻ってきた時には2位のダン・ガーニーの「ポルシェ917WRS」以下を27秒も引き離しトップを快走、次のラップでは更に20秒のアドバンテージを稼いでいた。雨が弱まりコースが急速に乾き始めると大パワーのマシンがペースを取り戻しながら徐々にその差を詰めはじめる。独走を続けるクラークの「ロータス23」だったが、残念ながら12ラップ目で、搭載するフォード116Eブロックを用いた新しい1498ccツインカムエンジンの排気マニホールドのダメージによりリタイアを期してしまう。このレースにエントリーしていた997cc・OHVエンジンのケントユニットを搭載したもう一台の「ロータス23」は、1000ccクラスで見事に優勝を果たし、総合8位の結果を得ている。エントリーていた「フェラーリ330LM」や「アストンマーティンDBR1」「ポルシェ718RSK」等、錚々たるマシンが雨の中の短い時間だったとしても、僅か1.5ℓエンジン搭載のマシンに独走を許したのだからその衝撃は計り知れないものとなり「ロータス23」の実力を強く印象付けたレースとなった。このレースを足がかりにチャップマンは、性能指数賞や熱効率賞を狙って997cc・DOHCエンジンを搭載する「ロータス23」を仕立て、もう一台プライベート・チーム用の750cc・DOHCエンジン搭載車と一緒に、同じ年の「ル・マン24時間レース」に挑む。しかし、この2台の「ロータス23」はレース出場を拒否されてしまう。指摘されたのは「ロータス23」が採用する”ウォブリー・ウェーブホイール“で、フロント・ホイールのスタッドは4本、リア・ホイールは6本となることから、スペアはどちらか一方にしか使えないと主催者のフランス西部自動車クラブからのナショナリズムを含むクレームが投げかけられた。そこで2台とも急遽4本スタッド仕様に改造したところ、今度は、本来6本のスタッドが必要なリアホイールを4本スタッドとするのは安全が確保出来ないということを理由にして、結局レースへの出場は認められなかった。チャップマンは激怒してエントリーを断念、チーム・ロータスはこれ以降サルテサーキットに姿を見せる事は無かった。このレースでは主催者の思惑通り性能指数賞の1位は700cc・水平対向2気筒エンジン搭載で総合16位の「パナール・ルヴァッソール・ディナクーペ」が獲得、2位は「ルネ・ボネ・ジェットⅡ」と、どちらもフランス人、マルセル・ユベール設計のモデルによるフランスの自動車メーカーが占めた。しかし熱効率賞を総合11位に入った「エリート」が獲得することで、ロータスは一矢報いる結果を残している。「ロータス23」の国際レースでの活躍はこれ以降も続き、クレルモン=フェランでは、DOHCエンジン搭載のワークスカーが予選でフェラーリより前のスタートポジションを獲得、決勝ではギアボックストラブルに見舞われてしまうが、残った1台が2位でフィニッシュ。またモンレリー1000kmレースでは、997ccエンジン搭載のル・マン・カーが1ℓクラスで優勝という結果も残している。︎日本に於ける「ロータス23」の活躍は、1963年5月3日、4日に鈴鹿サーキットを舞台に行われた「第1回日本グランプリ自動車レース大会」での、あまりにもセンセーショナルな1、2、3フィニッシュに代表される。2日間で2回行われたレースにエントリーした3台の「ロータス23」は「アストンマーティンDB4GTザガート」や「フェラーリ250SWB」「ポルシェ356Bカレラ2」「ジャガーDタイプ」等の強豪ひしめく中、2回のレースとも表彰台を独占するという驚異の結果を残している。2回のレースとも勝利した”ゼッケン2番“の「ロータス23」をドライブしていたピーター・ウォーは、1938年イラン生まれのイギリス人で、1952年にイランの政変をきっかけに家族とともにイギリス渡り、ブランズハッチ・サーキットの近くで生活していた。レーサーを夢みるウォーは、1958年にロータスの門を叩きメカニック見習いとして職を得る。グラハム・ヒル用のワークス「セブン」が任務を完了すると、ウォーはチャップマンに掛け合い購入を決意し、この車両で念願のレースデビューを果たす。その後ロータスのセールスマネージャーとなったウォーは、1960年には「ロータス18」を購入しフォーミュラ・ジュニアにステップアップを果たし、12月に開催されたBRSCCボクシングデイ・FJトロフィーで優勝を飾る。1963年初頭に日本でのレースを打診されたウォーは、セールスマネージャーの職にあっても新車は顧客へのデリバリーが優先され、何とか手に入れられた中古の「ロータス23」でレースに臨んだ。搭載エンジンはロータス・ツインカムを希望していたが在庫が無く、代わりに5ベアリングのフォード116E・OHVを1650ccにコスワースがチューニングした非常にレアなプロトタイプ・エンジンとヒューランド・ギアボックスが貸与され、コスワースのエンジニア、ビル・ブラウンと共に来日を果たす。同じレースで表彰台を共にした「ロータス23」に乗るマイケル・ナイトの車両には1098cc・OHVコスワース・エンジン、アーサー・オーウェンの車両には1600ccのロータス・ツインカムが搭載され、いずれも車両は英国の名門“ジム・ラッセル・レーシング・スクール”の所有で、ナイトの父であるビル・ナイトが経営するウィンフィールド・レーシング・ドライバーズ・スクールを通じてレンタルされた車両となる。予選はウェットだったこともあり、ウォーはナイト、オーウェンより遅い5番手のグリットに留まるが、2回の決勝レースともスタートからウォーの「ロータス23」が独走を続け、ベストラップを記録して優勝を飾っている。極めて低いボディをもつ「ロータス23」が「フェラーリ」や「ポルシェ」を鮮やかに抜き去って、置き去りにしていく光景は黎明期にある日本のレースファンに強烈な印象を残している。ピーター・ウォーは1966年に、チェスハントからヘセルへロータスが移転する事をきっかけに、一度ロータスを退社し、ロンドンでスロットルカーを始めとするホビービジネスを始める。しかし1969年にチーム・ロータスにマネージャーとして復帰するが、1976年に再びチーム・ロータスを後にしてF1のウォルター・ウルフ・レーシングチーム、エマーソン・フィッティパルディF1チームを遍歴し、1981年にチーム・ロータスに再復帰する。1982年にロータス創業者コーリン・チャップマンが急逝するとピーター・ウォーはF1のチーム・ロータスを指揮し、ロータスは1985年にはアイルトン・セナと契約を交わして1989年にはホンダ製ターボ・エンジンを獲得するなどの実績を残した。︎今回入荷した1964年型の「ロータス23B」は「第1回日本グランプリ」が開催された1963年に「ロータス23」から進化を遂げたモデルとなっている。主な変更点は、複雑なリンケージを必要としたシフトレバーを車体中央からドライバーの右側に移設、ラジエーターとオイルクーラーは一体化され、ラジエーターの下部にオイルクーラーが装備されるようになった。また搭載エンジンのラインナップに新たに加えた、高性能な1.6ℓ・ロータスツインカムをスタンダードとし、その増大したパワーに対応してチューブラーフレームが強化されている。フォード製116Eエンジンの鋳鉄ブロックをベースとしロータス製アルミ・ツインカムヘッドをもつ、この水冷直列4気筒DOHC8バルブのドライサンプ・エンジンは、ボア×ストロークを83.5mm×72.75mmとし1594ccの排気量を得る。ツインチョーク・ウェーバー40DCOEを2基装備し、最高出力140馬力/6500rpmを発揮する。組み合わされるトランスミッションはフォルクスワーゲン・ビートルのミッション・ケースを使ったヒューランド製ノン・シンクロ5段MTとなっている。︎全長×全幅×全高は、3560mm×1510mm×685mm(全高は、ロールバーを含めても全高は約820mm)、ホイールベースは2286mm、トレッド前1310mm、後1270mm、車両重量454kg(乾燥重量)となっている。︎軽量なFRP製のボディカウルは、インストゥルメントパネル前方はフロント下部を支点に大きく上方へ開く。ドア後部からのリアカウルはリア下部を支点に上方へ開き、ドアは下部をヒンジに外側へ開く構造をもつ。全てのボディパネルをオープンにすると「ロータス22」からモディファイされたチューブラー・フレームの構造が確認出来るとともに、レースでのメンテナンス性が考慮された各パートへのアクセス性の良さを窺わせる。シングルシーターのフォーミュラーなら肩までカウルで覆われるのに対し「ロータス23B」では2シーターとなる為、コックピットの開口部は広くとられ、低く寝そべったドライビングポジションをもつ。ストレートアームで握るステアリングを握り、その右手を下ろした場所にシフトノブがレイアウトされている。ペダル類は右フロントタイヤのタイヤハウスにより、中央寄りに大きくオフセットしているので、ドライバーの上体は正面を向きながら両足は極端に左向きの独特な姿勢を要求される。”チェスハント“の地名が刻まれる製造プレートが付けられたダッシュボードの裏面も、軽め孔の開けられた重要な構造パネルとなり、3スポークのステアリングを通して正面には大径のレブカウンターが置かれ、左側に水温計、右側には油圧計、油温計とレイアウトされている。1966年までチェスハントの工場で生産された「ロータス23B」を含む「ロータス23」シリーズは131台が生産され、主にプライベート・オーナーにむけてデリバリーされている。「ロータス23」が開発された頃のロータスは、軽量設計と空力にこだわったプロダクション・モデル「エリート」と革新のスポーツモデル「エラン」の生産が行われ、1963年にはF1初の”モノコックフレーム“をもつ「Type25」とジム・クラークにより初めてのタイトルを獲得、ロータスの名前が急速に世に知れ渡る時期であるとともにスポーツカー・メーカーというより遥かにレーシングカー・コンストラクターのイメージが強い。軽量設計の「ロータス23」のその軽いノーズがもたらすステアリングレスポンスの鋭さは、フォーミュラーカーそのものを彷彿とさせるものがある。鋭い切れ味を見せながらもステアリングのギアレシオは速すぎず、ナーバスな傾向を示さないのがロータスらしく、それはエンジン搭載位置に関わらずロータス生産モデルの特徴となっている。「ロータス23」は、エンジンパワーだけに頼ること無く、如何なる場面に於いても軽さと空力はアドバンテージを生み、ジャイアントキリングをもたらすチャップマンならではの魔法とも言える独自の思想がたっぷりと込められた1台となっている。














