ジャガーXJS V12
コンバーチブル
直近にて、総合点検、不具合箇所整備済車両となります。
︎1961年3月のジュネーブショーでデビューする「ジャガーEタイプ」は、公開されると同時に世界中のスポーツカー好きの心を虜にする存在となる。1950年代の「ル・マン24時間レース」を席巻したレーシングモデル「Dタイプ」のコンセプトを引き継ぎ、ジャガーの技術部長兼主任技師であったウィリアム・ヘインズによる”XKユニット“をスカットルから前方に伸びる角断面チューブラーフレームに載せ、その後方には当時としては先進的なモノコックボディを組み合わせていた。フェラーリ創業者のエンツオ・フェラーリをして「世界で最も美しいクルマ」と言わしめる程の魅力をもつ「Eタイプ」のボディ・デザインは、ブリストル・エアクラフトから移籍してきたマルコム・セイヤーによるもの。当時の最大輸出先となる北米の連邦安全基準に沿って、改良とエンジン排気量アップを施しながら、フィクスド・ヘッド・クーペ(FHC)とオープン・ツー・シーター(OTS)、2+2という3種のボディが用意され、最終的には13車種に及ぶバリエーションが展開された。シリーズ最終モデルとなる、1971年10月のニューヨーク・ショーで発表された「Eタイプ Sr.Ⅲ」のノーズには、”XKユニット“に換えてオールアルミ製の5343ccの排気量をもつV型12気筒・SOHCエンジンが搭載されていた。このエンジンは、元はレーシング・プロトタイプ用に1951年にC.W.L.ベイリーが設計していた8ℓ・V型12気筒DOHCエンジンの流れを汲むもので、試作を進めていたミドシップ・レーシングプロトタイプ「XJ13」に搭載する為に、1966年にウィリアム・ヘインズとC.W.L.ベイリーにより5ℓ化され、ルーカス製のインジェクションを片バンクごとに装備、最高出力500馬力を可能としていた。このエンジンをヘインズのもとで”XKユニット“の開発携わったウォルター・ハッサンと、1963年春にジャガーが吸収したコヴェントリー・クライマックスに在籍していた旧友でもあるハリー・マンディのコンビにより、ロードユースを考慮して耐久性、整備性を確保し、低くて細い「Eタイプ」のノーズに収める為にヘッドをSOHC化して5343ccの排気量に設計し直したエンジンとなる。二人は、本来DOHCヘッドを装備しレーシング・ユニットとして生まれたこのエンジンをSOHC化する為に、気筒あたり2、3、4バルブの異なるバルブ形式と、様々な燃焼室形状を試作する中で、コヴェントリー・クライマックスがもつ”フラットヘッド“のノウハウを用いて、2バルブ型式を採用する事となる。この”フラットヘッド“とは“ヘロン型”ともよばれるもので、シリンダーヘッドは平らな形状で、ピストン頂部に平底の凹みを形成し、これが燃焼室の役目をする型式となる。こうする事でシリンダー容積に対して相対的に非常に小さい表面積をもつ燃焼室形状となり、排ガスのコントロールと4500rpm以下での強力なトルクとパワーを確保するのに有利な型式となっている。また、このエンジンには従来のXKエンジンとは異なる、50kgも軽量な砂型鋳造のアルミ・シリンダーブロックが採用されている。60°のバンク角をもつV型12気筒の完全バランス・エンジンは、3プレーン式の鍛造鋼製クランクシャフトをもち、素晴らしくスムーズに高回転まで吹け上がる特性を与えられている。ゼニス・ストロンバーグ・キャブレターを4基装備し、北米の排ガス規制にも配慮してウィリアム・ライオンズがフェラーリとランボルギーニが独占していた特別なフィールドに挑んだエンジンとなる。この大型エンジンを搭載する為「Eタイプ Sr.Ⅲ」のボディには2+2用の長いホイールベースと拡幅されたトレッドが与えられ、大きくリファインされたものとなり、FHCモデルは1974年まで、その翌年までOTSモデルの生産が継続された。3つのシリーズで構成される「Eタイプ」シリーズは7万2584台が生産され、その83%が輸出されている。そのうちの約8割にあたる4万9032台が北米市場に渡っている。この「Eタイプ Sr.Ⅲ」が生産されていた時代、英国では深刻な経済停滞と高インフレにより労働運動の波が広がりを見せ始め、後にジャガーは高級車メーカーとしての生産クオリティに問題を抱える時代を迎える。創業時から会社の運営を担ってきた古参社員の引退が相次ぎ、創業主であるウィリアム・ライオンズは1972年に経営の座から退き、そこにオイルショックの追い討ちを受け、世界的に自動車の販売台数は停滞せざるを得なくなる冬の時代が到来する…︎この頃の米国では、広がりを見せる大気汚染と交通事故の急増を背景とする排ガス対策と自動車の安全性が声高に叫ばれ始め、年を重ねる毎に排ガス規制と安全規制が厳格化され、大排気量エンジンとオープンモデルは徐々にマーケットから締め出される事態を迎えていた。その中で、1971年にドイツのメルセデスベンツは、パゴタルーフを装備した瀟洒なイメージをもつW113型「SL」から”パンツァー・ヴァーゲン(装甲車)“とも異名をとる、オープンモデルでありながらも頑強なボディで安全性をアピールするR107型「SL」にモデルチェンジし、北米マーケットで人気を得る事に成功する。更にこのモデルをベースとする大型4シーター・クーペモデルC107型「SLC」を異例のスピードでデビューさせ、販売拡大に拍車をかけていた。ロングホイールベースにより長距離移動を快適にこなすグランドツアラーの「SLC」は、純粋なスポーツカーと高級サルーンの間に位置する新たなカテゴリーとして注目を集めた。これはメルセデスベンツがマーケットの要求をドイツ流の完璧さで応えた好例となり「Eタイプ」の後継モデルも、少なからずその影響を受ける事は避けられない状況に置かれる事を意味する。1966年から始まっていた「Eタイプ」の後継モデルの開発は1968年時点で、2+2クーペという大枠が決められ「Eタイプ」同様にマルコム・セイヤーにそのデザインは委ねられていた。安全基準の強化による北米市場の動向を鑑みオープンモデルは想定されず、高速域で有利な空力効果を得られる様、ルーフからボディ後端へ特徴的なフライングバットレスを用いたボディデザインが検討されていた。ところが1970年、そのボディデザインが完成する前にセイヤーが53歳で急逝。トライアンフから移籍したデザイナー、ダグ・ソープを中心とする社内デザインチームにより、セイヤーの構想は何とかまとめられ完成まで漕ぎつけた。1975年9月に発表されたこのモデルは「XJ-S」と命名されると翌月のロンドンモーターショーで正式にデビューを果たす。「Eタイプ」の後継車である「XJ-S」だったが、その忠実な新世代では無く純粋なスポーツカーと表現するよりラグジュアリー・クーペの印象をもつボディデザインは賛否両論を呼び、長い噂の末にコヴェントリーから送り出された新たなブリティッシュ・サラブレッドに対する関心の高さを示していた。フロアユニットは、1968年にデビューした「XJサルーン」のものをベースとし、ホイールベースは275mm短縮。大柄なボディに伸びやかなデザインが施されていた事から、車名の「XJ-S」の「S」は、「Sport」というより「Sporty」或いは「Specialty」と囁かれた。これは最大マーケットである北米市場で鎬を削る、メルセデスベンツに対する時代の感覚や流儀に沿ったジャガーの回答といえるもので、「Eタイプ Sr.Ⅲ」が採用していたV型12気筒エンジンを継承し搭載する事が、重要なファクターでありアドバンテージとなった。伝統のオールアルミ製5.3ℓ・60°V型12気筒SOHCエンジンは、ルーカス製電子式燃料噴射装置を備え、最高出力285馬力/5750rpmと最大トルク40.7kgm/3500rpmを発揮、組み合わされる4速MTと、ボルグ・ワーナー製タイプ12型・3速ATも「Eタイプ Sr.Ⅲ」から継承されたものとなっている。排ガス規制によりアメリカ仕様では圧縮比を9.0から7.8に下げ、2次エア導入やEGR、触媒による排ガス対策を施した上でも250馬力を維持し、並のスポーティカーの水準を超えるハンドリングにジャガーの技術力が反映されていた。豪華なダッシュボードと極めて有効なエアコンディショナーによる快適なキャビンには、充分な広さのフロントシートと+2のリアシートを装備。フロアは厚いカーペットで覆われ、どこまでもスムーズに回るエンジンは如何なるスピード域に於いても最上のトルクと静粛性を発揮し、その出自を主張した。しかし、英国を覆う不況と労働運動の影響によりジャガーの生産クオリティは安定せず、その評判はなかなか上向く兆しを見せずにいた。暗いトンネルの先に光明が見えはじめたのは、弱冠43歳のジョン・イーガンがジャガーの会長に就任した1980年春の事だった。イーガンは就任直後に全重役夫人を呼び集め「今後一年間、貴女方の主人を私に預けていただきたい。これまでの様に毎週末を共に過ごせると思わず一年間頑張って頂ければ、貴女方の主人も、我が社の将来も私が保証する」と語った。イーガンはQC活動を徹底し、経営陣、技術者、労働者と直接話し合う場を設け、会席の機会には重役達が進んで労働者達に飲み物を注いで回った。これはホワイトカラーとブルーカラーが同席しない英国の習慣の中では、社会革命とも言うべき大胆な試みとなった。結果的に品質が改善され始めると販売台数は伸びを見せ、少しずつ経営は安定を取り戻す方向へと動き出した。 1981年度には従業員数10500人が在籍していたジャガーでは14000台の生産が行われたが、翌年には7600人まで削減された従業員数で22000台を生産し、賞賛されるべき生産性の向上も図られる様になった。︎これを契機にジャガーは、1981年7月に「XJ-S HE」を発表する。この車名に付けられた「HE」とは「High Efficiency=高効率」を意味し、それまで搭載されてきたエンジンのヘッドをスイスのエンジニア、マイケル・メイ発案による”ファイヤーボール式燃焼室“とする事で、高出力化と低燃費の両立を実現している。そのエンジンパフォーマンスは、最高出力295馬力/5500rpm、最大トルク44kgm/3250rpmまで向上し、燃費効率も20%改善され排ガスのクリーン化も図られている。このメイ・システムの鍵となるのは、スワール(火炎渦)を発生させる吸気バルブ周辺の形状で、希薄燃焼と12.5という高圧縮比を用いて出力と燃費の向上が実現されている。この「XJ-S HE」では、ボディデザインに変更は無いが、新デザインの15インチ径×6.5Jサイズのアルミホイールと、ボディサイドのコーチライン、インテリアにはウォールナット・パネルが新たに採用されている。続いて1975年の「Eタイプ Sr.Ⅲ」のOTS(オープン・ツー・シーター)以来のオープンモデル「XJ-SC 3.6カブリオレ」が1983年秋に発表され、このモデルには”XKユニット“に代わる新型の3.6ℓエンジンが搭載されていた。このエンジンはDOHCの4バルブヘッドと、アルミブロックを採用した軽量な6気筒エンジンで、”XJ6“の名前で呼ばれていた。更に1985年には「HE」仕様の12気筒エンジンを搭載した「XJ-SC HEカブリオレ」がラインナップに加えられている。安全対策と排ガス規制、そしてオイルショックによる低迷期を抜け、一時は絶滅寸前だったオープンモデルが再び流行の兆しを見せ始めた事をジャガーは見逃さなかった。純粋な2シーターモデルの「XJ-SCカブリオレ」は、オープンモデルといってもドライバー頭上のルーフパネルは2分割式の取り外し可能なタルガトップで、リアクォーター部は折り畳めるキャンバス製の幌を採用。2枚のルーフパネルは、室内からレバーを引くことでロックが解除出来、軽量なため容易に外してトランクに収納可能となり、リアクォーターの幌は+2シートが設置されていたリアスペースに収納出来た。フルオープンにした状態でもサイドの窓枠とBピラーを繋ぐロールオーバーバーの役目を果たす構造物が残り”コンバーチブル“や”ドロップヘッド・クーペ“というわけにはいかないが、その開放感は「XJ-S」に新たな魅力をもたらす事に成功している。そしてジョン・イーガン会長の「ワールドクラスのオープンモデルを創る」という指令を受け、開発された待望のフルオープンモデルが1988年3月のジュネーブショーでデビューした「XJ-Sコンバーチブル」となる。車名を”DHC(ドロップ・ヘッド・クーペ)“では無く”コンバーチブル“としたのは、ジャガーにとって当時生産量の55%を担っていた最大の輸出先である、北米マーケットで人気を得ていた「メルセデスベンツSL」に対抗するモデルとして開発された経緯が含まれている。1975年のデビューから考えるとやや旧態化が目立ち始めた「XJ-S」シリーズではあったが「コンバーチブル」モデルの追加はカンフル剤の役目を果たし、クラシカルな味わいを楽しめるグランドツアラーとして再評価されるとともに、時代の変化によりボディデザインの美しさも広く認識される様になった。開発にあたっては社内プロジェクトチームも結成されたが、オープンモデルに深い知見を持つドイツのカルマン社にソフトトップと、ボディ関連の組み立て機械の設計まで委託し、社外のノウハウを積極的に取り入れながら開発が進められた。フルオープン化に伴いトランスミッション・トンネル、前後バルクヘッド、リアフロア、インナーシルは強化され、ウィンドシールド・フレームを兼ねるAピラーにはスチールチューブをビルトインすることにより安全性も怠り無い設計となっている。結果的に全く新しく造られたボディパネルが108パーツ、既存のものでも変更を受けたボディパネルは48パーツにも及んだ。分厚い布が断熱材としてサンドイッチされた3層構造をもつソフトトップには、熱線入りのガラス製リアウィンドウが装備され、クーペモデルに引けを取らない高い耐候性を誇っている。このソフトトップには電動式が採用され、フロントウィンドウ後端の左右のレバーを外し、センターコンソールの開閉スイッチをオンにするだけで、リア・クォーターウィンドウが自動的に降りてゆき12秒あまりでフルオープンとなる。クーペモデルでは+2シートがあったリアのスペースを大型ラゲッジボックスとし、2シーターモデルとしているのは「XJ-SCカブリオレ」と同様で、オープン化に伴うフロア強化の為に、シート後方のフロア部分が高くされている事もその理由となる。見えない部分をメインとしてボディを補強することで、クーペモデルに比べ車体は約100kg重くなるが、それは車両重量全体から見れば5.5%に抑えられている。ソフトトップを閉じている状態での空気抵抗係数はクーペモデルの0.38に対して0.39と、こちらも最小限に留められ、搭載エンジンは12気筒エンジンのみとなりジャガーの誇るパーソナルカーの最高峰モデルに位置付けられている。︎今回入荷した1989年型「ジャガーXJ-Sコンバーチブル」に搭載されるエンジンは、水冷60°V型12気筒SOHC24バルブで、ボア×ストローク90.0mm×70.0mmから5343ccの排気量を得る。ルーカス製電子制御式燃料噴射装置と11.5の圧縮比から、最高出力275馬力/5250rpmと、最大トルク41.1kgm/2800rpmを発揮する(排ガス対策無しのヨーロッパ大陸仕様のエンジンでは、圧縮比は12.5とされ最高出力291馬力/5500rpmと最大トルク44kgm/3000rpmを発揮する)。等間隔爆発による完全バランスを実現した60°V型12気筒エンジンの振動は極めて少なく、どの回転域からアクセルを踏み込んでも分厚いトルクを発生する。生まれがレーシングエンジンという事を想像させるビックボアとショートストロークにより、高回転までマイルドに吹け上がり、静粛性が高く古さを意識させる事のないこのエンジンの設計は、数々の英国自動車メーカーで名を馳せてきた、ウォルター・ハッサンとハリー・マンディによるもの。組み合わされるトランスミッションはスムーズな変速に定評のある、GM製「ターボ・ハイドラマチック400」というトルコン式3速ATとなり、リア・ディファレンシャルにはLSDを装備する。足回りは、フロアユニットと同様ベースとなる「XJサルーン」と同じ型式が採用され、フロントにダブルウィッシュボーン式+コイル+スタビライザー、リアはロワーウィシュボーン+固定長ドライブシャフト+ツイン・ダンパーユニット/ツイン・コイルの独立懸架となり、サブフレームとラバーブッシュを介してボディに取り付けられている。4輪ディスクを装備するブレーキは、フロントには284mm径×24.2mmサイズのベンチレーテッドディスク、リアには264mm径×12.7mmサイズのソリッドディスクを採用。リアブレーキディスクは、リア・デフ脇にインボード式で配置することでバネ下重量低減を図り、快適な乗り心地と高い運動性を得ることに配慮されている。組み合わされるキャリパーは、フロント/リアにそれぞれガーリング製の4ポッド/2ポッドキャリパーが採用されATE製のABSを装備している。ホイールは4輪ともにBBS製のアルミ鍛造による15インチ径×6.5Jサイズのメッシュタイプとなり、235/60VR15サイズのタイヤと組み合わされている。︎インテリアは「XJ-S」登場時には1960年代からの「Eタイプ」の後継車ということから、設計年次の隔たりばかりに目を奪われ無国籍な印象を受けたが「HE」モデル登場時にダッシュボードにウォールナットパネルが効果的に採用される事でその評価を取り戻している。大径の2スポークステアリングを通してドライバー正面に置かれたメータークラスターには、右側に6500rpmからレッドゾーンをもつレブカウンターと、左側に260km/hまで刻まれたスピードメーターがレイアウトされる。その間にはドラム型の左側から水温、油圧、燃料、電圧の4つのメーターが並ぶ。太いセンタートンネルとは対照的に細くエレガントなクローム製のギア・セレクトレバーが、メーターレイアウトと同様に「XJ-S」登場時から継承されている。ダッシュボードと同じくウォールナットパネルに覆われるセンタートンネルに設られたアームレスト手前には、左右のパワーウィンドウ・スイッチに挟まれてソフトトップの開閉スイッチがレイアウトされる。平板に感じられるシートデザインとなるが、サイドサポート部分は厚みを増しホールド性は高い。シートを始めレザー部分にはコノリーレザーが多用され、ウォールナットパネルと静粛性に貢献する分厚いウィルトン・カーペットが採用されるキャビンは、この時代を代表する英国製ハイクラスモデルならではの極めて上質な快適さをもたらしている。クーペモデルでは+2シートが置かれていた後方スペースには、キーの付いたコンパートメントボックスが設置されている。︎全長×全幅×全高は、4765mm×1795mm×1260mmで、ホイールベースは2590mm、トレッド前1490mm、後1505mm、車両重量1840kgとなっている。燃料タンク容量は82ℓ、最小回転半径は5.5m、新車時販売価格は1385万円(1989年1月)となっている。︎メーカー公表性能値は0→100km/h加速8.0秒、最高速度235km/hとなっている。サー・ジョン・レオポルド・イーガン(1986年に叙勲)は、1939年11月7日にコヴェントリーで誕生する。父親は、かつて英国に存在した代表的な自動車会社ルーツグループの販売店を営み、コヴェントリー近郊のごく普通の環境で育ったイーガンは休日には実家の商売を手伝う事もあった。ロンドン大学のインペリアルカレッジで石油工学を修めたイーガンは、中東のシェル石油に勤務し、ここからGMのパーツ部門であったACデルコを経て、ユニパーツ部門を立ち上げ年商7000万ポンドを計上するまでに育てあげた。1971年、ブリティッシュレイランド(BL)に参加してパーツ部門の取締役から、マッシーファーガソン社に移籍し、そこのパーツ部門の取締役となる。イーガンは、BL時代にジャガーの創業者ウィリアム・ライオンズと出逢い、サー・ウィリアムズを師と仰ぐ様になり、定期的にウィリアムズを訪ねては議論を重ねる時間をもつ。1980年にジャガーの会長に就任すると、品質の改善と信頼性の回復に努め、最重要マーケットとなる北米での販売を押し上げた。次の目標としてイーガンはジャガーの伝統であったレースへの復帰を目指し、英国レース界の重鎮ジャッキー・スチュワートの仲立ちによりTWRのトム・ウォーキンショーと手を結ぶ。1982年からETCC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)に、TWRによりレーシングカーに仕立てられた「ジャガーXJ-S」を自らドライブし、レーシングドライバーとしても参戦するウォーキンショーは1984年にタイトルを獲得する。翌年1985年からはWEC(世界耐久選手権)へ、グループCカー「ジャガーXJR-6」で参戦を果たしたTWRは「ル・マン」制覇を目指す。そして「XJ-Sコンバーチブル」が発表された1988年になると「ジャガーXJR-9」が常勝ポルシェを破り、ジャガーに31年ぶりの「ル・マン」制覇をもたらす事となる。この「XJR-9」に搭載されていた7ℓ・V型12気筒エンジンは「XJ-Sコンバーチブル」にも搭載されている5.3ℓ・V型12気筒エンジンをベースとするもので、期せずしてこのエンジンは再びレーシングフィールドへと舞い戻り勝利を得た事になる。目標を達成したイーガンではあったが、1987年の”ブラックマンデー“を発端とする世界的な株安と景気の後退により、ジャガーは再び経営不振に見舞われる事となる。その結果、1990年にフォードの傘下となるジャガーに対し、イーガンは親会社のフォード出身者が経営トップとしてジャガーを率いるべきと判断し、会長職を退任し引退を決意する事となる。︎ジャガーにとって重要なポジションに位置付けられるスポーツカー「Eタイプ」をデザインしたマルコム・セイヤー発案による「XJ-S」は、当初クーペモデルのみの設定で世に送り出された。発表以来10年以上の時を経て、追加発表されたフルオープンモデルの「XJ-Sコンバーチブル」は、それまでのイメージから全く外れる事無く、ソフトトップをそのボディデザインに自然と馴染ませた佇まいをもつ。V型12気筒エンジンを納める伸びやかなフロントフードに呼応する様に、ソフトトップ後方へとなだらかに降りるトランクリッドの先には、デビュー以来継承される特徴的な三角形をした小型のテールランプをもち、極めてエレガントなスタイルを見せている。クルマを取り巻く環境は登場時とは大きく様変わりし、周りを走るクルマ達の装いも大きく変化を見せる中で、品質向上と信頼性を高めながら高い性能を維持し生きながらえてきた「XJ-S」。そして「Eタイプ Sr.Ⅲ」以来のフルオープンモデルとなる「XJ-Sコンバーチブル」では、再び風と戯れながら12気筒エンジンの滑らかな味わいを楽しむひと時を、多くのクルマ好きに向けて提案することとなった。クロームのドアノブを引いてキャビンに身体を収めると、たっぷりとしたシートとウォールナットのパネルがドライバーを迎えてくれる。電動調整式となるシートを操作して理想的なドライビングポジションを確認し、細身のイグニッションキーを捻ると、長めのクランキングを経てV型12気筒エンジンに火が入り静かにアイドリングが始まる。繊細なセレクターレバーを「D」レンジに移動し、ゆっくりと重めのアクセルを踏み込むと滑る様に大柄のボディは走り出す。長大なボンネットと低い車高から、混み合った街中では些か気を使わされるが、5.3ℓの12気筒と3速ATのコンビネーションは、常に必要にして充分なトルクを発生し車体のボリュームを感じさせる事無く、僅かにノーズを持ち上げながらあくまでも滑らかにスピードを上げてゆく。キックダウンを促す事無く周囲の流れをリードする余裕のある滑らかな加速を味わう事が出来る。オープンモデルであっても過大なスカットルシェイクや、不快な振動を感じさせず、効果的な補強によるボディ剛性の高さは印象的なものとなる。大径ステアリングの操作感は軽めで、ポルシェやメルセデスベンツの様なソリッド感あふれる手応えは求めるべくも無いが、軽くクイックなパワーステアリングはナチュラルな操縦感覚をもち、人工的なメカニズムを意識させないところがドイツ車とは大きく異なりジャガーらしさとなる。重量級のボディでしなやかな足回りであってもワインディングロードに於いては、そのボディサイズを持て余す事なくハイペースを維持する事が可能で、強力なブレーキも充分信頼に足るものとなる。幌を上げフルオープンにすると、キャビンはそれまでとは一変し明るさに包まれるとともに、ドライバーも開放的な気分を味わう事となる。日差しを浴びながら風を受けて走る爽快感は格別で、贅沢さと洗練された足回りをもつ「XJ-Sコンバーチブル」のオープンライドは、ライトウェイトモデルとはひと味違う、適度にソフトなサスペンションによる重量感のある乗り心地が、極めて上質な快適さをもたらす。ジャガー製サルーンの乗り心地の良さは定評のあるところとなるが、それを少し固めた「XJ-Sコンバーチブル」の足回りは、たっぷりとしたストロークと高いスタビリティにより、慣れるに従って正確なステアリングフィールを堪能することが可能となる。フルオープン時の視界は素晴らしく、畳まれた幌ごしの後方視界もしっかりと確保されている。この世で最も贅沢なオープンエア・モータリングが味わえる一台となり、キャビンへの風の巻き込みも少なく抑えられている。一方でグランドトゥアラーとしての「XJ-S」を味わうにはトップを閉じた方がより高速で快適に距離を稼ぐ事が出来るかもしれない。スピードを上げてもトップがバタつく事は皆無で、キャビンはほとんどクーペ並みの快適さが保たれる。滑らかなV型12気筒エンジンの芳醇な味わいと、プレミアムパーソナルカーとしてライドフィールは、元を辿れば「XJ13」用に開発されたレーシングエンジンと、1960年代当時の「XJサルーン」のショートホイールベースシャーシに、コンペティションモデルさながらのツインコイル独立懸架とインボードブレーキが組み合わされた、とてもジャガーらしさを感じさせる成り立ちをもつ。そのメカニズムを競う為では無く、ひたすら上質なライドフィールにチューニングされた唯一無二の贅沢なモデルとなっている。フォード傘下となった1990年以降もマイナーチェンジを経て、6気筒エンジン搭載モデルを加えながら、21年間生産され続けた「XJ-S」は、深淵にしてエレガンス溢れる操縦感覚をもち、とりわけ「XJ-Sコンバーチブル」に於いては、その存在感は一向に薄れる事無く、孤高の洗練度を漂わせながらこれからも輝き続ける一台となるだろう…