メルセデスベンツ560SL
ディーラー車
87.000km時 オートマチックトランスミッションオーバーホール、他記録整備明細資料揃ってる車両です。
コロナ禍で発表された7世代目となる最新型のR232型「SL」は、それまで続いた電動格納式メタルトップからソフトトップに回帰しながらも”メルセデスAMG“ブランドが冠され、それまでの”メルセデス“版は存在しない。ハイパワーなエンジンを搭載し、GT的要素とスポーツカー並の性能をもつR232型「SL」は”AMG“を名乗り、W198型とよばれた初代「SL」のポジションに回帰したと考えれば納得出来なくもない。1954年から現在まで続く「SL」の歴史の始まりは第二次世界大戦後、メルセデスベンツによる戦前に築きあげた数々の輝かしいサーキットでの戦績を再び取り戻したい、という思いがきっかけとなっている。その思いをカタチにして、完成したW194型プロトタイプは、ル・マン、カレラ・パナメリカーナ、ミッレミリアと各国の名だたるレースで次々に好成績をおさめる事に成功し注目を集める。このレーシング・プロトタイプの「300SL(W194)」をベースに開発されたロードモデルが、W198型のコードナンバーを持つ初代「300SL」となり1954年に発表された。マルチ・チューブラー・スペースフレーム構造や燃料噴射装置という「300SL」の速さの基本となるものは、航空機技術をクルマ用に転用したものだった。1951年にル・マンで優勝したジャガーの「Cタイプ」は、一足先に量産スポーツカーの「XK120」をベースに、車体フレームをラダー式から鋼管スペースフレーム式へと変更し軽量化、空力的なアルミボディを被せてレーシングカーに仕立て直すというボディ構造を採用していた。ダイムラー・ベンツの技術部長であったフリッツ・ナリンガーとルドルフ・ウーレンハウトがこれに着目し、発表されたばかりの自社の最高級車「300」のコンポーネンツを使って、マルチ・チューブラー・スペースフレーム構造のレーシングスポーツを造り出す事を思いつく。「300SL」は、市販車としては初の燃料噴射装置を備え、ドライサンプ式・直列6気筒SOHC・3ℓエンジンを45°傾けて低くノーズに搭載し、当時としては比類なき高性能を誇ったスーパースポーツだった。特異なフレーム構造による高くなってしまったサイドシルは、通常ドアの装着に不向きで、レーシング・モデルと同様に上方に開くドア形状をもつことから「ガル・ウィング」というニック・ネームが付けられた。フリードリッヒ・ガイガーによりデザインされたボディをもつ「300SL」は、発表された年にニューヨーク・オートショーでお披露目されると瞬く間に人気を得る。しかし、同時に、スカートの女性をパッセンジャーシートに招待出来ないサイドシルの高さや、下がらないサイドウィンドーはアメリカ市場での受けは今ひとつとなり1957年には通常タイプのヒンジドアをもつオープンモデルの「300SLロードスター」が追加される。そして「300SL」と併売する形で、同時に発表されたオープンモデル「190SL」は、当時スポーツカー人気の高まりをみせていたアメリカ市場では人気を博した。“ポントン”の愛称で親しまれ、日本では“ダルマベンツ”とよばれたW120/W121型セダンをベースとする「190SL」は、4000ドル以下とリーズナブルな事から25881台と売り上げを伸ばす事に成功する。しかし6820ドルと大変高額な「300SL」が1400台、そのオープンモデルとなる「300SLロードスター」をもってしても、それを少し上回る1858台に留まった。この販売台数が反映されるカタチで、1963年春のジュネーブショーでデビューした二世代目の「SL」が、W113型「230SL」となる。「190SL」と同様に、日本では“ハネベン”とよばれたW111型セダンをベースに開発され、当時のメルセデス・サルーンの特徴である縦型のヘッドライトと「300SL」のフロントグリル・デザインを継承し、中央の凹んだ独特な形状のハードトップとなる通称「パゴダルーフ」をセールスポイントとしていた。これらのデザインは、メルセデスベンツのデザイン部門に在籍するフランス人デザイナーのポール・ブラックによるもの。1965年には「250SL」がラインナップに加わり、1967年になると「280SL」にとってかわられた。その主因は多数を占めはじめたAT需要によるものとされている。 70年代に入ると最大のマーケットであった北米では、排ガス規制やFMVSS(連邦自動車安全基準)などにより、世界的にも増加傾向を見せるクルマの危険性や反社会性が議論され始めた頃だった。その時代背景の中で、1971年春に登場したのが3世代目「SL」となるR107型「350SL」だった。このR107型から型式が、それまでの「W」からでは無く「R」からはじまる事から、独立した「ロードスター」としての地位が社内的にも確立されると同時に、オープンボディでも頑強で大柄なボディとV8エンジン搭載により、それまでとは大きく方向転換が図られ、新世代の「SL」となった事が窺われる。それを裏付ける様に、このモデルから車名の「SL」は「Sport Leicht」から「Sport Luxury」と表現されるようになり、現代につながる「SL」の誕生といえるモデルとなっている。先代「SL」の特徴的な縦型ヘッドライトから1969年に発表されたコンセプトカー「C111-1」のイメージを取り入れた角目のヘッドライトが採用されたボディデザインは、イタリア人デザイナーのブルーノ・サッコによるもので、低いロングノーズとショートデッキスタイルをもち、太く傾斜の強いウィンドウシールドは高い剛性をもち、転覆時にはロールバーとしての役割を担っている。オプションのキャリア類をセット出来るクロームのアクセントがついた、先代W113型「SL」を想わせるパゴダ風ハードトップが備わり、それを外しても手動式ソフトトップがリア・リッドの下にスマートに収められる構造をもち、先代同様に「ハードトップ、フルオープン、キャンバストップ」という3つのボディ形態を楽しめるモデルとなっている。強固なスチール製モノコックボディやボックス構造のサイドシル、専用設計された強化型センタートンネルのおかげで、構造的には当時のメルセデス・サルーンと遜色無く、高い安全性が確保されたオープンモデルとなっている。テールランプは「汚れても視認性が確保される」という理由から凹凸付きとなり、燃料タンクも安全を考慮しリアアクスルの上に移され、頑丈なコックピットは前後に衝撃吸収エリアが設けられ、随所にメルセデスベンツの安全性へのこだわりが感じられる設計が施されている。日本仕様は1971年に「350SL」が導入され、1973年には「450SL」にグレードアップする。1980年のマイナーチェンジが施されると、新設計のアルミブロックが採用された3.8ℓ・V8エンジン搭載の「380SL」と「500SL」の時代を経て、1986年にはシリーズ最大排気量の5.6ℓ・V8エンジン搭載の「560SL」が導入される。1971年の登場から1989年までシリーズを通して最長のロングセラーとなり、8種類にのぼるエンジン・バリエーションを揃えながら、18年間で約24万台が生産され、その6割強がアメリカで販売された人気モデルとなっている。︎今回入荷した1989年型となるR107型の「560SL」は、1986年に北米・日本という排ガス規制の厳しい国向けに「500SL」の排気量を拡大し追加発表されたスペシャル・モデルとなる。また運転席にエアバックを備え、リアトランクリッドにスポイラーが装備されるディーラー最終限定モデル・50台のうちの一台となる、たいへん貴重なモデルともなっている。R107型「SL」は、リチャード・ギアの「アメリカン・ジゴロ」やエディ・マーフィーの「ビバリーヒルズ・コップ」など映画にも多く採用され、1980年代の豊かで華やかな生活の象徴としても扱われたモデルとなっている。︎「560SL」がフロントに搭載するエンジンは、オールアルミ製のM117型とよばれる水冷SOHC・V型8気筒となり、ボア×ストローク96.5mm×94.8mmから5547ccの排気量を得る。このエンジンは「500SL」に搭載される5ℓエンジンにストローク・アップを施したもので、ボッシュKEジェトロニック燃料噴射装置と9.0の圧縮比から最高出力235馬力/4750rpm、と最大トルク39.6kgm/3250rpmを発揮する。組み合わされるトランスミッションは、4段オートマチックが採用され「D」レンジのままでも、エンジンの旨味を惜しげもなく引き出してくれるものとなり、リア・デフにはLSDが備わる。メルセデスベンツらしくスタッガード式となるATセレクターの「2」のポジションの手前には「Bポジション」をもつ。これは1速ホールドのポジションで、トレーラーを引いて急坂を下る様な場合を想定したものとなっている。︎足回りはフロント・ダブルウィッシュボーン式+コイル+スタビライザー、リア・セミトレーリングアーム式+コイル+スタビライザーとなる。ブレーキは4輪ディスクブレーキが採用され、フロントにベンチレーテッドディスク、リアはソリッドディスクを備え、ABSを装備する。ホイールは、4輪ともに7J×15インチサイズとなり、205/65R15サイズのタイヤと組み合わされている。
インテリアは、大径で細身のウッドとレザーによるコンビのステアリングが備わり、その奥には中央に一際大きな260km/h迄のスピードメーターがレイアウトされ、VDO製の3眼タイプのメーターが収められたナセルが置かれる。包み込まれるような安心感をもたらす大柄なシートも含め、人が触れる部分のしっかりとした造りは、理論に基づいた黄金期のメルセデスベンツならではの世界といえるものとなっている。スイッチ類はドライビンググローブをしていても扱いやすく、機能主義でまとめられたコックピットとなる。運転席、助手席のサンバイザーにはバニティミラーが備わり、ライトが点灯するギミックが採用されている。またオープンモデルであってもメルセデスベンツらしく安全性にもしっかりと配慮され、万が一の時に備えステアリング・エアバックに加えて、シートベルトテンショナーシステムを装備する。センターコンソールに張られたウッドパネルは最上級モデルの「Sクラス・セダン」と同様にラグジュアリーな雰囲気に仕上げられ、ゆったりとした気分で走らせたくなるリラックス出来るインテリアを演出している。「560SL」は、しっかりとしたドアの建て付けや、軋み音の出ないハードトップなどにより、屋根が外れるクルマに乗っていることを忘れてしまう程、他のオープンモデルとのボディの違いが際立つモデルとなっている。造りの良いハードトップの下には、手動式のソフト・トップをきちんと納めるリッドが備わり、オープン状態で出かけても急な天候の変化に困る事は無い。全長×全幅×全高は4390mm×1790mm×1300mm、ホイールベース2455mm、トレッド前1460mm、後1450mmで、車幅が広げられているのにトレッドは先代のW113型より特にリアで狭められているが、これはアンダーステア軽減の為といわれている。車輌重量1620kg、燃料タンク容量90ℓ、最小回転半径4.9m、新車時価格は1292万円(1989年)となっている。R107型「SL」は23万7287台が生産され、そのうち「560SL」の生産台数は、49376台を占める。︎R107型「560SL」のメーカー公表性能値は0→100km/h加速8.0秒、最高速度220km/hとなっている。ヨーロッパでは同時期に「500SL」が販売され、5ℓエンジンにもかかわらず触媒レスにより「560SL」よりハイパワーとなる最高出力240馬力/最大トルク41.0kgmを発揮し、最高速度225km/hとされていた。R107型「SL」はオープンモデルであっても、純粋なスポーツカーでは無い。ゆったりと快適にドライブ出来て、望めばそれなりにスポーティに走れてワインディングも楽しめるクルーザーといえるだろう。特にV8エンジン搭載モデルはその傾向が強く、アメリカでの人気はそれを裏付けるものとなっている。重く感じられるドアを開いてドライバーズシートに腰を下ろせば包まれるようにしっかりと身体をホールドしてくれるシートと、ふんだんに使われるウッドパネルが贅沢な空間を演出してくれる。スターターを回しエンジンが始動すると、安定したアイドリングが始まる。スタッガード式となるシフトセレクターを動かして「D」レンジを選びスロットルを少し踏み込めば滑らかにクルマは動き出す。径の大きめなステアリングからのインフォメーションは豊富で、しっとりとクルマのノーズをリードすることが可能となり、その滑らかさはライドフィールにもつながる。低速からトルクが感じられるエンジンは、踏み込んでもAMGモデルのような咆哮を発する事は無くジェントルに回り、3000rpmあたりからハミングの様なサウンドを聴かせる。先代のW113型「SL」のような端正な佇まいに比べ、華やかな印象をもつR107型「SL」では、ソフトで重厚な乗り味と併せて、メルセデスベンツ最上級モデルとしての快適性を感じる事が出来る。大きくなったといっても現代のクルマ達の中では、比較的コンパクトな佇まいをもつR107型「SL」は、開発当時、アメリカでのオープンモデルの販売存続危機に対して、メルセデスベンツらしく典型的なドイツ人エンジニアの念の入りようで、極めて高い水準をもって安全基準をクリア出来るレベルまで作り込まれた。これによりR107型「SL」は「装甲車(パンツァーワーゲン)」と揶揄されながらも、その過剰とも言える高いクオリティと快適性から多くのファンを持ち、18年間にわたり生産され続けてきた。そしてR107型「SL」においてのキャラクターの転換が鍵となり、AMGブランドに移管されても現在に至るまで、ラインナップされる重要なモデルとして存在し続けている。ソフトなライドフィールをもちながら、重厚で豪快なイメージもあるR107型「SL」のモデルの中で「560SL」はその特徴を最も強く表現されたグレードとなる。ゆったりとオープンで走らせる楽しみと、アクセルを踏み込む事で豊かなトルクによるドラッグスターの様な加速も楽しめる、安全で快適なオープンモデルとなっている。メルセデスベンツが、インテリアに使われるマテリアルや、製造クオリティに深いこだわりをもって生産していた時代の、メッキパーツがアクセントとして映えるボディデザインをもった、最後の「SL」といえるのかもしれない…