サイズ
長 433.0 cm 幅 201.0 cm 高 107.0 cm
︎ランボルギーニの創業者、フェルッチオ・ランボルギーニは1916年4月28日にエミリア州のセントという街の近くのレナーゾという村に生まれた。フェルッチオの父は裕福な農業家で、この父からプレゼントされたオートバイ「ノートン500」で、フェラーラの街で開催されたレースで優勝した事もあった。第二次世界大戦が始まるとフェルッチオも召集されるが、一度も銃を使うこと無くメカニックとして従軍し、終戦をむかえるとトラック、トラクター、オートバイ、そしてクルマの修理を生業とした。1948年に「フィアット500トッポリーノ」に搭載されるエンジンのチューニング・ヘッドの製造を始めたフェルッチオは、イタリアでも有数のメカニックとして頭角を表しはじめる。この年彼はフェラーラ出身の友人ジャン・ルイジ・バリオーニとコンビを組み750ccにチューニングされた「トッポリーノ」でミッレミリアに参戦するが、クラッシュによりあえなくリタイア。これがフェルッチオにとって最後のレースとなり、ビジネスに本腰を入れる事となる。フェルッチオは終戦後、イタリア国内に性能の良いトラクターが不足している事に目を付け、父親の援助を受けてトラクターメーカー「トラットーリ・ランボルギーニ」を設立する。この事業を成功させたフェルッチオは、1959年「ランボルギーニ・ブルッチャトーリ」を開設しエアコンをはじめとする空調設備の分野にも進出、1960年代のイタリア国内における高度経済成長に後押しされるカタチで成功をおさめた。財を成したフェルッチオは、フェラーリやマセラティなど高級車を所有し、走らせる事が出来る立場となる。その所有車の一台「フェラーリ250GT」の度重なるクラッチの故障に頭を痛めたフェルッチオは、フェラーリの創業者であるエンツォに直接抗議に行くが、軽くあしらわれると自身のトラクター工場でフェラーリの修理を始める。自身で、フェラーリ補修の為のクラッチ部品を発注すると、自社製トラクターにも使用しているボーグ・アンド・ベッグ製と同じものが届き、フェラーリがその部品に10倍近い値段を付けている事を知る。この時、フェルッチオは自身の立ち上げた事業を成功に導いた実業家として、スーパーカー・ビジネスに参入することを決意し「フェラーリへの対向心」を旗印に「自身にとって完璧なクルマを製造する事」を目指して1963年に「アウトモビーリ・フェルッチオ・ランボルギーニ」を設立した。同年10月、トリノ・ショーに先立つカタチで、ランボルギーニ社内で1台のグラントゥリスモがアンヴェールされた。これがランボルギーニ社第一号車の「350GTV」となる。搭載されるエンジンは「フェラーリ250GTO」の生みの親として知られるジオット・ビッザリーニ設計による12気筒エンジン。フェラーリに搭載されるパワートレインが、まだSOHCエンジンと4速MTが組み合わされていたこの時代に「350GTV」のエンジンはDOHCエンジンと5速MTとされ、レーシング・エンジン並みのリッターあたり103.9馬力を発揮する12気筒3.5ℓ/360馬力のスペックと発表された。シャーシは鋼管スペースフレーム、全輪ダブルウィシュボーン式による独立懸架で、4輪ディスクブレーキを装備。当時、考えうる最高のスペックを内包したアルミ製ボディのデザインは、フランコ・スカリオーネによるもので、トリノのカロッツェリア・サルジョットでハンドメイドにより製作された。アンヴェールされた4日後に始まったトリノショーで話題をさらい、そのボンネットにはフェルッチオの誕生日にちなんだ牡牛座から、闘志を感じさせる牡牛をモチーフとしたランボルギーニ社のエンブレムが輝き、並んでフェルッチオのサインを形取ったゴールドのエンブレムがレイアウトされていた。「350GTV」を作り上げたランボルギーニ社ではビッザリーニと行動をともにしたジャン・パオロ・ダラーラは弱冠24歳。テスト・ドライバーのボブ・ウォレス、後にチーフ・エンジニアとなるパオロ・スタンツァーニはともに25歳と若いエネルギーに溢れ、想像力に漲る勢いに満ちた船出となった。︎翌年になるとフェルッチオは、「350GTV」の市販モデルともいえる「350GT」を発表し、1968年までに「400GT」「ミウラ」「エスパーダ」「イスレロ」と立て続けに強いインパクトのあるモデルを市場に投入した。そして1971年ジュネーブショーでお披露目されたモデルが「ランボルギーニ・カウンタックLP500」となる。カロッツェリア・ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによりデザインされたウェッジシェイプ極まるボディデザインは、センセーショナルを巻き起こした「ミウラ」でさえ古典に見せてしまう程、斬新なものとなり、創立から僅か10年を待たずしてランボルギーニ社をスーパーカー・ブランドのひとつとして認知させる程のインパクトを与える存在となる。「カウンタックLP500」のパワートレインはスタンツァーニ設計による会心の一作となり、ダラーラの元で「ミウラ」設計時に、横置きミドエンジン・レイアウトのデメリットを見出していたスタンツァーニならではのアイデアとオリジナリティに溢れたものだった。それはエンジンを縦置きに改めて搭載するだけでなく、通常車両の後方に置くクラッチ、ミッションをコックピット側に配置し、そこで減速されたエンジンパワーをUターンさせてエンジン下を通るドライブシャフトでファイナルに繋げ後輪を駆動するという独創的なものとなった。この結果「ミウラ」より50mm短いホイールベースと、約200mm短いコンパクトなボディを実現するとともに、均等に近い前後重量配分とZ軸回りに重量物を集中させる事で、高い運動性を実現する事に成功している。量産試作1号車は当初計画されていた新型5ℓエンジンが間に合わず、従来の4ℓエンジン(L406型)を搭載し「ランボルギーニ・カウンタックLP400」として赤いボディカラーで2本のワイパーを装備し1972年のジュネーブショーに展示された。翌1973年のジュネーブショーでは、ワンアーム式ワイパーに改められ2灯式のパッシングライトをフロントグリルに装備する、グリーンに塗装されたボディをもつ試作2号車を展示。1974年のジュネーブショーにおいては、サイドウィンドウの開口部に変更を受けた量産型の、黄色いボディの「カウンタックLP400」がお披露目されている。特徴的なパワートレインレイアウトと衝撃的なボディデザインをもった「カウンタックLP400」は、最高出力375馬力/最高速度300km/hを公表し、ライバルである「フェラーリ365GT4/BB」の最高出力380馬力/最高速度302km/hに迫る唯一の存在として150台が生産された。︎1977年ジュネーブショーでランボルギーニは「LP400」の発展型として「LP400S」を発表する。これは当時F1チームを所有していたカナダの石油王ウォルター・ウルフのオーダーにより開発されたスペシャル・カウンタック「LP500S」開発時のノウハウが活かされたモデルとなる。1974年のトリノ・ショーで発表されたプロトタイプ・モデル「ランボルギーニ・ブラボー」用にデザインされたホイールと、ワイドなタイヤを覆うべくアルミ製オーバーフェンダーを前後ホイールアーチに装備、フロントスポイラーとリアエンドには大型ウィングをもつのが特徴となる。後方視界確保の為のペリスコープシステムが廃止されてフラットなルーフ形状をもつエクステリアデザインとなる。ダラーラにより強化された足回りには、カンパニョーロ製のフロント8.5J×15インチ、リア12J×15インチのホイールを装備、205/50VR15、345/35VR15サイズの高性能超扁平タイヤのピレリP7と組み合わされていた。「LP400S」ではエンジン・スペックが353馬力と若干マイルドになり、加速感は少々スポイルされたがウルフ・スペシャルと同等の足回りにより、ドライバビリティとパフォーマンスは大幅にアップされたものとなる。ひと足先にフェラーリのトップモデルも「512BB」に進化し、排気量アップされた5ℓエンジンは最高出力360馬力となり、ドライバビリティ向上が図られる中「カウンタックLP400S」は237台が生産された。︎1982年ジュネーブショーに於いて「カウンタック」は3世代目となり、いよいよスタンツァーニが想い描いていた5ℓエンジンが搭載された「LP500S」の登場となる。現実的には5ℓには少し足らない4.8ℓエンジン搭載となるが「カウンタック」登場時のプロトタイプ「LP500」の事を想えば「LP500S」の車名も頷ける。また、この車名はウルフ・スペシャルと同様となる為「5000S」とよばれる事も多く、1983年に日本に最初に正規輸入されたモデルのリアエンブレムも「カウンタック5000S」とされていた。この「5000S」のエクステリア・デザインは、ほぼ「LP400S」と同様ながら、ホイール・デザインがそれまでの「ランボルギーニ・ブラボー」用の15インチからデザイン変更されO.Z製のシンプルなデザインとされている。「LP400S」の進化した足回りと、排気量アップによりトルクフルで安定したエンジン性能によりシリーズ中、最も扱いやすい「カウンタック」とされている。最高出力375馬力を誇るこのモデルをもって、ライバルであるフェラーリがデビューさせた「512BBi」の最高出力340馬力を大きく上回るだけで無く、更なる高い運動性能をもって大きな進化を遂げ321台(323台とする説もある)が生産されたモデルとなる。1984年10月パリサロンに於いてライバルであるフェラーリは「BB」を「テスタロッサ」に進化させると、翌年春のジュネーブショーで「カウンタック5000S」は「カウンタック5000クワトロバルボーレ」に進化し、その独走を阻んだ。エクステリアデザインに変化は見られないが、唯一エンジンフードがダウンドラフト・ウェーバーのエア・クリーナーをクリアする為にバルジが設けられ、後方視界がやや悪くなっている。先代の「5000S」と同じ「5000」を名乗っても4.8ℓから5.2ℓに排気量アップされた新型エンジンを搭載、更に「テスタロッサ」同様にエンジンヘッドの4バルブ化が図られている。「カウンタック」のモデルラインナップ中、最強のエンジンを搭載する、初代「LP400」から続く流れを汲んだ最後の「カウンタック」ともいえるモデルとなる。フェラーリを震撼させるのに充分な性能にもち632台が生産された。︎「カウンタック5000クワトロバルボーレ」に搭載されるエンジンは水冷60°V型12気筒DOHC48バルブとなり、ボア×ストローク85.5mm×75mmから5167ccの排気量をもつ。6連装のツインチョーク・ウェーバー44DCNFと9.5の圧縮比から最高出力455馬力/7000rpm、最大トルク51.0kgm/5200rpmを発揮する。また、今回入荷したキャタライザーを装備したインジェクション仕様(ボッシュKEジェトロニック)では最高出力426馬力/7000rpm、最大トルク47kgm/5000rpmを発揮し、キャブレター仕様とは異なるエンジンフードのデザインをもつモデルとなる。これらのエンジンと組み合わされるギアボックスは新たにワーナーシンクロをもつ5速マニュアルトランスミッションとなり、リア・ディファレンシャルにはLSDが装備されている。足回りは前後ダブルウィッシュボーン式となるが、リンク部にブッシュではなく部分的にピロボール式が採用されている。前に1本、後に2本ずつのコニ製ショックアブソーバーを備え、前後ともにスタビライザーを装備する。ブレーキはサーボ付きとなり、前300mm径、後284mm径のベンチレーテッドディスクを装備、ATE製キャリパーと組み合わされる。「カウンタック5000S」から採用されたOZ製1ピースホイールは前8.5J×15インチ、後12J×15インチサイズとなり、組み合わされるタイヤは、前225/50VR15、後345/35VR15サイズのピレリP7Rとなる(今回入荷した車両にはオリジナルサイズでZR規格のピレリPゼロが装備される)。15インチホイールがカウンタックの歴史を感じさせるが、前モデルの「5000S」に比べフロントのタイヤサイズがアップされウルフ・スペシャル製作時のノウハウが活かされた足回りに磨きがかけられている。 前衛的なエクステリアに比べると、比較的オーソドックスなインテリアは「LP400」から引き継がれたものとなる。ステアリングは新たにraid製3スポークを装備するが、特徴的な角張ったメータークラスターには、大径のスピードメーターとタコメーターを含む7つのメーターが備わる。メーター類はイェーガー製となり、スピードメーターは320km/hまで、タコメーターは7000rpmからイエロー、7500rpmからレッドの表示、9000rpmまで刻まれ5.2ℓの排気量を考えれば驚異的なものとなっている。「LP400」で採用されていた縦に数字の並ぶ、独特なスタイルの距離計は「5000S」からはオーソドックスな横並び型とされメーター類のニードルも白からオレンジ色に変更された。各種スイッチ類、レバー類は普通の車と変わらず、奇をてらったものでは無い。ガラス面積が大きくとられた室内は温度が上昇しやすく、サイドウィンドウの一部が手動式で僅かに開く構造となっている。ゲートの切られたシフトノブ前方、オーディオシステムの下のセンターコンソールには空調の調整装置がレイアウトされている。一体型のセミバケットシートは「LP400」登場時から用いられたデザインが採用され、全体の角度とスライドが可能となるが、荷物の置き場は無い。広くない足元に配された小さめなペダル類は踏力を必要とするものとなっている。全長×全幅×全高は4140mm×2000mm×1070mm、ホイールベースはこのモデルから50mm延長され2500mm、広げられたフロントトレッドは1536mm、リアトレッドは1606mm、車両重量1490kg。燃料タンク容量は左右60ℓずつで計120ℓとなっている。︎「カウンタック5000クワトロバルボーレ」の性能値は、カーグラフィック誌が1987年に米国のロード&トラック誌によるフォルクスワーゲン所有のエーラ・エッシェン・テストコースでの実測テストの状況をレポートしている。それによると「カウンタック5000クワトロバルボーレ」は、0→100km/h加速4.9秒、0→400m加速12.9秒、最高速度287.5km/hとなっている。同時にテストした「フェラーリ・テスタロッサ」は、0→100km/h加速5.6秒、0→400m加速13.7秒、最高速度295.5km/hとなる。この結果から加速性能では「カウンタック」が優勢、高速度域になると、エアロダイナミクス性能の高さとデザインの新しい「テスタロッサ」にアドバンテージがありそうだ。︎ドアを跳ね上げ漆黒の総革装による「カウンタック5000クワトロバルボーレ」の豪華なコックピットに潜り込む。トーボードがフロントアクスルとほぼ同じ位置となるフォーミュラーカーのような低い着座位置、通常の縦置きミッドシップとは逆にエンジン/トランスミッションを搭載する為、キャビンに大きくはみ出したギアボックスまわりが、只者では無い事を主張してくる。Aピラーは左側頭部に刺さる勢いで伸び、フロント、サイドウィンドウは大きく傾きドライバーに迫ってくる様だ。エンジンを始動させるとバックレスト越しに侵入してくるサウンドはレーシングカーの様で、ドライバーはまるでエンジンと一体化したような濃密なドライブ感覚を覚える。低回転域においても排気量から期待する以上のレスポンスとトルクの厚みが感じられ、ドライバーを鼓舞するには充分なビートが響く。高速域での安定感は言うに及ばず、かなりの勢いでレーンチェンジをしても嘗めるようにこなしてしまう。しかし、ブレーキング時には太いタイヤが不整な路面を拾って、進路を乱されがちとなり絶え間無い修正を迫られる。操作系の重さが取り沙汰される「カウンタック」だが、ギアオイルが暖まった上で、ダブルクラッチなどを使って回転が合った瞬間だけ嘘の様に軽くなるタイミングを味わってしまうと、クラッチの重さも忘れてドライビングに夢中になってしまうだろう。表面的なデザインや数値上のパフォーマンスだけでは無く「カウンタック」には他のスーパースポーツでは味わう事の出来ない唯一無二の体験に溢れている。レースに対して膨大なノウハウを持つフェラーリの方が、一般的なロードスポーツ寄りの味わいをもち、それと比べるとレーシングカー的フィーリングをより強く感じさせるのが「カウンタック」の特徴といえるかもしれない。「ミウラ」の成功により「カウンタック」の開発が進められ、1971年春のジュネーブショーでの発表の場において「ミウラ」を超える大きな反響を読んだ。しかしこの頃、創業者であるフェルッチオは会社の経営から離れざるをえない状況に追い込まれていた。フェルッチオが経営していた「トラットーリ・ランボルギーニ」が、生産準備を整えていた5000台のトラクターのキャンセルを受け、急転直下の経営悪化に陥り「トラットーリ」全てと「アウトモビーリ」の株式51%をスイスの実業家ジョルジュ・アンリ・ロッセに売却せざるを得なかったからだ。「カウンタック」が発売された頃には、フェルッチオの手の届かない所に「アウトモビーリ・ランボルギーニ」は存在していた。フェルッチオは会社経営から離れ、狩り専用の為に購入していた約300ヘクタール程のラ・フィオラータとよばれる農地で、葡萄を栽培しワイン製造をはじめる。そして1990年頃には年間100万本ものワインを製造する程になっていた。1993年フェルッチオは76歳で生涯を終えるまで、自身のこだわりをもってモノづくりに励み続けた。「自身にとって完璧なクルマを作ること」を目標として立ち上げたランボルギーニ社は、フェルッチオの理想のクルマとは少し離れた「カウンタック」が世に出たことで、紆余曲折しながらもスーパーカーブランドとして第一線で存在し続けることとなる。ランボルギーニ社創業60周年を迎えた2023年には1000馬力を超える最新モデル「レヴエルト」を発表した。そのシルエットには「カウンタック」からランボルギーニのトップモデルが代々受け継いできたノーズからテールエンドまで、ウェッジシェイプ極まる低いボディラインと、伝統のシザース・ドアを見ることが出来る。