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300SL
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メーカー
ミッション
オートマ
グレード
300SL
ボディタイプ
外装色
シルバーメタリック
年式
1988.0 年型
走行距離
4100km
乗車定員
4.0 名
サイズ
長 439.0 cm 幅 179.0 cm 高 130.0 cm
エンジン形式
排気量
2962.0 cc
馬力
190
トルク
26.5
車検
ハンドル
駆動区分
輸入区分
内装色
ブラックレザー
燃料区分
ガソリン
幌色

メルセデスベンツの「SL」とは「Sport Leicht(シュポルト・ライヒト)」のイニシアルで「軽量なスポーツカー」を意味する。1952614日にパリから200kmも離れた小さな田舎町ル・マンは異常な興奮に包まれていた。1923年からの歴史をもつ、限られた時間の中で、可能な限り高速走行を続け最も長い距離を走った者が勝利を得られる世界で一番過酷なレースが始まろうとしていた。スタート時間が迫る中、出走車リストに記載される57台のうちの3台のメルセデスがいまだ誰にもその姿を見せる事なく時が過ぎていった。第二次世界大戦以前にはフランス、イタリア勢を完全に打ち破り全欧のサーキットを席捲したメルセデスの勇姿は、誰の脳裏にも鮮明に焼きつき、人々は不安と期待をもって新型メルセデスの登場を心待ちにしていた。そんな中、一台はグランドスタンドの陰から、一台はコースに近い森の中から、そして残った一台はどこからともなく現れ、その白銀色のボディはメルセデスの関係者に取り囲まれ、観客をはじめレース関係者からさえも見えなくなっていた。これは戦後初の大レースに臨むメルセデスのレーシングマネージャー、アルフレード・ノイバウアーの心理作戦でもあり、その意味では既にレースははじまっていた。練習を始めた「300SL」と命名された新型メルセデスのボディは目にした者の想像以上に低く、幅広く極めて流線的でモダンなものに映り、ドアはウェストラインから上のウィンドウ部分にしかなく上方に開く特徴的な形となっていた。レースがスタートするとアメリカ人のウォルターズのカニンガムが飛び出し、モスのジャガー、アスカーリのフェラーリ、スチュワートのジャガーなどいずれ劣らぬ強豪がそれを追う。「300SL」は、奇妙なドアによりスタートに手間取って遅れをとるものの、ノイバウアーの見事な統率により時が経過するとともに速さを見せつけ始め順位を上げ始める。3台のうちの1台はイグニッションのトラブルでピットに入るが、2台の「300SL」はレース半ばで23位をキープする。トップを走るタルボは圧倒的なリードを保ちながら、勝利は確定的な展開となりレース終盤を迎える。あと1時間でゴールというタイミングでトップをゆくタルボはコンロッドのベアリングを溶かしリタイアしてしまう。スタートから24時間経過し2台の「300SL」が並んでトップチェッカーをくぐった。優勝した「300SL」は3735kmを走破するとともに平均速度156km/hという新記録を達成した。この年ミッレミリアで2位を獲得した後が、このル・マンでの1-2フィニッシュ、続くニュルブルクリンクでのスプリントレース、更に過酷なレースとして知られるカレラ・パナメリカーナにおいても1-2フィニッシュをきめて戦後のレースシーンにメルセデスベンツは華々しく復帰してみせた。圧倒的な速さを見せたレーシング・プロトタイプの「300SL」は、ルドルフ・ウーレンハウトによる発案により誕生した。軽量で高い剛性をもつ鋼管スペースフレームを採用し、エンジンは市販されていた高級車「300サルーン(W186)」に搭載される直列6気筒SOHC3エンジンをベースに173.25馬力を5200rpmで発揮するようチューニングされたエンジンを搭載していた。エンジンは低重心化の為に左に45度傾けて装備され新設計による4速トランスミッションと組み合わされ、僅か860kgの車体を240km/hまで加速させる実力をもっていた。アウトバーンやホッケンハイムのサーキットでテストを繰り返しドライサンプ化などなど細部の改良が施され10台が製作されると19525月のミッレミリアに3台が送り込まれ、この年の快進撃が始まった。このレーシング・プロトタイプの「300SL(W194)」をベースに開発された、市販型となるW198型のコードナンバーを持つ「300SL」は1954年に登場する。レーシング・モデルと同様にマルチ・チューブラー・スペース・フレーム構造によるシャーシと市販車初となる燃料噴射装置を備えドライサンプ式の直列6気筒SOHC3エンジンを搭載する、当時としては比類なき性能を誇るスーパー・スポーツだった。特異なフレーム構造により高いサイドシルを持つ為、通常のドアが装着出来ず、レーシング・モデルと同様に上方に開くそのドア形状から「ガル・ウィング」というニック・ネームが付けられた。フリードリッヒ・ガイガーによりデザインされたボディをもつ「300SL」は、販売された年にニューヨーク・オートショーで発表されると、瞬く間にアメリカでも人気となり、1957年にオープンモデルの「300SLロードスター」が追加される事となる。この「300SL」と併売する形で1955年に発表された、よりGT色を強めたW121型とよばれる「190SL」も同様に高く評価され、当時スポーツカー人気の高まりをみせていたアメリカ市場で人気を博した。「SL」シリーズの後継車として、1963年春のジュネーブショーでデビューしたのがW113型となる「230SL」となる。当時のメルセデス・サルーンの特徴である縦目のヘッドライトと「300SL」のフロントグリル・デザインを継承し、中央の凹んだ独特な形状のハードトップとなる通称「パゴダルーフ」をセールスポイントとしていた。これらのデザインは、メルセデスベンツのデザイン部門に在籍するフランス人デザイナーのポール・ブラックによるもの。1965年には「250SL」がラインナップに加わり、1967年になると「280SL」にとってかわられた。その主因は多数を占めはじめたAT需要によるものとされている。 70年代に入ると最大のマーケットとなる北米では、排ガス規制やFMVSS(連邦自動車安全基準)などにより、世界的にもクルマの危険性や反社会性が議論され始めるようになっていた。そんな中で1971年春に登場したのがR107型とよばれる「350SL」だった。型式が、それまでの「W」では無く「R」からはじまる事から、独立した「ロードスター」としての地位が社内的にも確立されると同時に、オープンボディでも頑強で大柄なボディとV8エンジン搭載により、それまでと大きく方向転換が図られた新世代の「SL」となる。これはメインマーケットとなるアメリカを重視してのことで、このモデルから車名の「SL」は「Sport Leicht」から「Sport Luxury」と表現されるようになり、現在につながる「SL」の始まりともいえるモデルが誕生した。先代の特徴的な縦型ヘッドライトから1969年に発表されたコンセプトカー「C111-1」のイメージを取り入れた角目のヘッドライトが採用されたボディデザインは、イタリア人デザイナーのブルーノ・サッコによるもので、低いロングノーズとショートデッキスタイルをもち、太く傾斜の強いウィンドウシールドは高い剛性をもち、転覆時にはロールバーとしての役割を兼ねたものとなっている。オプションのキャリア類をセット出来るクロームのアクセントがついた、先代のW113型「SL」を想わせるパゴダ風ハードトップが備わり、それを外しても手動式ソフトトップがリア・リッドの下にスマートに収められ、先代同様に「ハードトップ、フルオープン、キャンバストップ」が楽しめるモデルとなる。強固なスチールモノコックボディやボックス構造のサイドシル、専用設計された強化型センタートンネルのおかげで、構造的にも当時のメルセデス・サルーンと遜色無く高い安全性が確保されたオープンモデルとなっている。テールランプは「汚れても視認性が確保される」という理由から凹凸付きとなり、燃料タンクも安全を考慮しリアアクスルの上に移動され、頑丈なコックピットは前後に衝撃吸収エリアが設けられ随所にメルセデスベンツの安全性へのこだわりが感じられる。1974年からは、オイルショックの影響もあり、V8エンジンに加え2.86エンジンもラインナップに加え1989年まで、8種類にのぼるエンジン・バリエーションを揃えながら、18年間で約24万台が生産され、その6割強がアメリカで販売されたモデルとなっている。今回入荷した1988年式となるR107型の「300SL」は、1974年に加わった2.86エンジン搭載モデルをもとに、1985年のマイナーチェンジ時に3エンジンに換装されたモデル。搭載されるエンジンは103型の型式名を持つ静粛性に優れた、新型のSOHC直列6気筒で、ボア×ストロークは88.5mm×80.25mmとなり、排気量2960ccをもつ。圧縮比9.2と、ボッシュKEジェトロニック燃料噴射装置を備え、最高出力188馬力/5700rpm、最大トルク26.5kgm/4400rpmを発揮する。それまで搭載されていた2.8110DOHCエンジンに比べ48kgも軽量となっているのが特徴。この103SOHCエンジンはメルセデス自身、発表会の席上で「ひとつ足りないモノがあるとすればBMWの様に良く回るエンジンです」と表現する程、BMWスタンダードか、それ以上に良く回るエンジンとなる。タップリとした低中速トルクと、高回転まで軽々と回る二面性を備え、メカニカルノイズや振動も軽減され、それまでのメルセデスには無い「軽さ」を併せ持つストレスを感じさせない造りとなっている。組み合わされるギアボックスは、メルセデス自慢のプラネタリーギア式4段オートマチックと5MTとなっている。ATは、Dレンジのままでも、ドライバーの意思どおりの忠実なギア選択が行われ、エンジンの旨味を惜しげもなく引き出してくれるもの。市街地の低速から郊外の中高速はもちろん、峠道を飛ばす際にもマニュアル・ギアボックス並みのレスポンスとフィーリングの良さを感じさせ、ATとしては「クロースレシオ」の4ATと呼べる程、ATのもどかしさを排除したものとなっている。足回りはフロント・ダブルウィッシュボーン+コイル+スタビライザー、リア・セミトレーリングアーム+コイル+スタビライザーとなる。ブレーキはフロントにベンチレーテッドディスク、リアはソリッドディスクとなりABSを装備する。ホイールは1986年から15インチ化され7J×15インチサイズとなり、205/65R15サイズのタイヤと組み合わされている。インテリアは、大径で細身のステアリングが備わり、その奥には中央に一際大きなスピードメーターがレイアウトされた3眼タイプのメーターが収められたナセルが置かれる。包み込まれるような安心感をもたらす大柄なシートも含め、人が触れる部分のしっかりとした造りは、理論に基づいた黄金期のメルセデスならではの世界といえるもの。スイッチ類はドライビンググローブをしていても扱いやすく、機能主義でまとめられたコックピットとなる。センターコンソールに張られたウッドパネルの効果でそれまでの「SL」に比べるとラグジュアリー性が高められ、ゆったりとした気分で走らせたくなる雰囲気も併せ持ったものとなる。ドアの建て付けや、軋み音の出ないハードトップなどにより、屋根が外れるクルマに乗っていることを忘れてしまう程、他のオープンモデルとの造りの違いが際立つモデルとなっている。全長×全幅×全高は4390mm×1790mm×1300mm、ホイールベース2460mm、トレッド前1452mm、後1440mmで、車幅が広げられているのにトレッドは先代のW113型より特にリアで狭められているが、これはアンダーステア軽減の為といわれている。車輌重量1500kg、燃料タンク容量85、新車時価格は1989年当時「SL」は「560SL」のみが正規輸入され1470万円となっている。R107型「SL」は237287台が生産され、そのうち「300SL」は1985年〜1989年までの間に13742台が生産された。R107型「300SL」のメーカー公表性能値は0100km/h加速9.6秒、最高速度206km/hとなっている。R107型「SL」はオープンモデルであっても、純粋なスポーツカーでは無い。ゆったりと快適にドライブ出来て、望めばそれなりにスポーティに走れてワインディングも楽しめるクルーザーといえるだろう。特にV8エンジン搭載モデルはその傾向が強く、アメリカでの人気はそれを裏付けるものとなる。そのラインナップの中で「300SL」を含む直6エンジン搭載モデルは、軽快さにアドバンテージを持っている。いくつかのコーナーを抜けるとノーズの軽さが際立ち、ステアリングからのインフォメーションが豊富で自在にコーナーリングが楽しめる。しっかりと低速からのトルクも感じられるエンジンは、軽々と高回転まで回り30003500rpmあたりでのサウンドは、とても気持ちの良いものとなっている。先代のW113型のような端正な佇まいとは異なり、R107型「SL」は少し陽気で華麗な印象をもつ。大きくなったといっても現代のクルマ達の中では、とてもコンパクトな佇まいをもつ。開発当時、アメリカでの安全性重視によるオープンモデルの販売存続危機に対して、メルセデスベンツらしく典型的なドイツ人エンジニアの、念の入りようで極めて高い水準をもって基準をクリアしたR107型「SL」は「装甲車(パンツァーワーゲン)」と揶揄されもした。その過剰とも言える品質から「SL」シリーズは現代にまで代を重ねて生産され続け、R107型「SL」での方向転換が現在につながる鍵になったといえるかもしれない。重厚で豪快なイメージもあるR107型「SL」の中でも「300SL」は直6エンジンを搭載することから、どちらかというとヨーロッパ寄りの軽快なスポーティさを強調したモデルとなっている。正規輸入されなかった事とその生産台数からも、また図らずも偉大なる初代と同じ「300SL」を車名とする走行距離も極めて少ない、たいへん希少な一台となっている。