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メーカー
アストンマーティン
ミッション
マニュアル
グレード
ボディタイプ
クラブワゴン
外装色
グリーン
年式
1955 年型
走行距離
不明
乗車定員
4 名
サイズ
長 0 cm 幅 0 cm 高 0 cm
エンジン形式
排気量
2922 cc
馬力
トルク
車検
3年付
ハンドル
駆動区分
前輪駆動
輸入区分
内装色
燃料区分
ガソリン
幌色

1955年モデル アストンマーティンDB2/4国内未登録、フルレストア車両。東京ショールーム展示中です。・エンジン:直列6気筒 2922CC・最高出力:140bhp

1953年〜1957年に生産されたDB2/4は、新しいアストンマーティンのオーナーとなった、デイヴィッド・ブラウンのイニシャルを初めて公式に使用したクルマDB2に、2座追加して4シーターとしたクルマ。「/4」は4人乗りとした事を表している。デザインはフランク・フィーリーでアルミ・ボディを採用している。ハロルド・ビーチ設計による太い角断面鋼管を組んだモノを主構造としているシャーシは、DB2の物からリアのクロスメンバーに手が加えられた。ホイールベースはDB2と共通ながら2+2シートを持ち、リアルーフが高くなった事とリアにハッチゲートを持つ事により使い勝手が向上した。また4人乗りになって車重が重くなってしまい、性能向上の為1954年にそれまでの2.6L(LB6)から2.9L(VB6J)に拡大した。VB6J型エンジンは2922ccDOHC直列6気筒にSU1.75インチHV6型キャブレターをツインで採用し、それまでの125馬力から140馬力にパワーアップした。これにより060mhp10.5秒、最高速度120mhp(193km/h)の性能を公表した。それまで4気筒エンジンしか持たなかったアストンマーティンにとって、初の直列6気筒チェーン駆動による鋳鉄ブロックエンジンは、ラゴンダ・ユニットと呼ばれた。ラゴンダ社は1947年デイヴィッド・ブラウンに買収され、ロールス・ロイスから自らのレース部門スタッフごと、ラゴンダ社に加わっていたW.O.ベントレーのもとで設計され、ラゴンダで製造されたのが名前の由来。デイヴィッド・ブラウンは、アストンマーティンを入手した同じ年に、ラゴンダ社を獲得している。アストンマーティンの高性能スポーツカーブランドのイメージを確実なものとする為には、どうしてもこのエンジンが必要だと思ったからだ。それを証明するかの様に1950年ルマン24時間レースで、このエンジンを搭載したDB2はクラス優勝を遂げイギリススポーツカーブランドの地位を確たるものとする礎とした。DB2/4は発売当時、特に目立つ車では無く上級英国車と呼べる程、高級なインテリアは備わっていなかったが、シャープなハンドリングと充分俊足といえる性能を持っていた。競技ベース車両としての素性を持っていた為モンテカルロラリーにもエントリーされた。足回りはフロントはトレーリングパラレルリンク+コイル+スタビライザー、リアはリジットでパナールロッド+コイルとなっている。ブレーキは4輪とも12インチのアルフィンドラムブレーキを採用し、ギアボックスはデイヴィッド・ブラウン製4段となる。全長×全幅×全高は4.3m×1.65m×1.36mで車重1180kg1953年〜1955年までのDB2/4のボディはバーミンガムのマリナーズ社で製造され、パネルワークの大半はノーサンプトンのエアフロー・ストリームライン社で行われた。これはデイヴィッド・ブラウンの高品質、少数生産は熟達したボディ製造会社に任せた方が経済的だという考えからきていた。しかしマリナーズ社との契約更新がその後困難となり、デイヴィッド・ブラウンは195412月にはニューポートパグネルのティックフォード社を買収して、このロールスやメルセデスのボディを製造していた会社でDB2/4Mk-の製造をはじめた。ティックフォード社は、元は「ティックフォード」というブランド名でボディ製造をしていたサーモンズ&サンズ社という会社で、1940年にティックフォード社と社名を変更した。この場所がその後多くのアストンマーティンを製造することになるニューポートパグネル工場となった。エンジンの起源やボディ製造の流れを考えると、今に続くアストンマーティンの起源といえるのが、このDB2/4であると思える。