サイズ
長 391.0 cm 幅 185.0 cm 高 124.0 cm
1982年FIA(当時はFISA)によるレギュレーション変更が行われ、レース及びラリーに参加するコンペティションモデルのカテゴリーをグループ1からグループ4という数字による区分けから、アルファベットを使ったグループA、B、Cの3つに変更することを発表した。これによりWRC(世界ラリー選手権)は、それまでのグループ4からグループBで争われる事となった。グループ4のレギュレーションでは、ホモロゲーション取得の為に連続する24ヶ月間で400台の生産が必要であったが、グループBでは連続する12ヶ月間で200台の生産が義務付けられるとともに20台のエボリューションモデルをラリーカーとして認めるとされた。参加メーカーの負担は軽くなるとともに、エボリューションモデルの解釈により、ほぼプロトタイプとよべる程の数々の新技術を導入したハイレベルな戦いが繰り広げられることとなった。1981年シーズンからWRCに参戦していた「アウディ・クワトロ」がターボエンジンによるハイパワーとフルタイム4WDという新しい技術が生み出す強力なトラクションを活かして圧倒的な強さを見せ始め、1982年にはメイクスタイトルを獲得し4WDでないともはやラリーには勝てないと言われたはじめていた。グループBへのレギュレーション変更をうけて、イタリアの名門ランチアは1974年から1976年までの3年間「ランチア・ストラトス」で獲得したWRCのタイトルの栄光を再び取り戻すべく、威信をかけた一台 「ランチア037ラリー」を1982年4月のトリノショーで発表した。そのエンジンはじめ開発は「アバルト」が主に担当し「ピニンファリーナ」がボディデザインを施し、FISAが定めるグループBのホモロゲーションを取得する為、200台の「037ラリー ストラダーレ(ロードバージョン)」が生産された。「アバルト」で開発を担当したセルジオ・リモーネ(037ラリーの開発以降、ランチアのグループCカテゴリーの耐久レーサーLC1、LC2の開発を行い、ランチアがモータースポーツから撤退後アルファコルセに移籍し、DTM用155V6TIやWTCC用156の開発に携わった人物となる)は、新技術を用いるよりすでに確立されたよりシンプルな手法を高い次元でまとめる事により、限界時でのドライバビリティと信頼性に重きを置き、ミッドシップ2WDと低回転からのパワーを活かしながらレスポンスに秀でた、スーパーチャージャー付きエンジンを用いる事により「アウディ・クワトロ」に立ち向かう事とした。︎ベースとなるシャーシは「ランチア・モンテカルロ」のキャビン部分のモノコックボディを用い、前後にクロームモリブデン製鋼管スペース構造のサブ・フレームが組まれているものを採用。これはレーシングカー開発で名高い「ダラーラ」で開発され1980年、1981年の世界耐久レース選手権でタイトルを獲得したグループ5のレーシングカー「ランチア・モンテカルロ・ターボ」のものを基礎につくられたものとなる。「ランチア・モンテカルロ・ターボ」との大きな違いは「037ラリー」ではエンジンが縦置きレイアウトとされ、その後にトランスミッションを配置し、サスペンション設計の自由度を高めるとともに、高い操縦性とメンテナンス性に配慮されたものとなる点が挙げられる。エンジンは、高回転域を常用するレーシングカーの場合、ターボラグを気にする事無く高回転でハイパワーを得られるターボチャージャーの優位も考えられるが、より幅広い回転域でパワーを発生する特性とレスポンスが重視されるラリーカーである事を考慮し、スーパーチャージャーが選択された。ベースエンジンは「131アバルトラリー」で用いられた2ℓ・直4・16バルブDOHCのランプレディ・ユニット(フェラーリのV12気筒エンジンの設計にも携わった、アウレリオ・ランプレディ設計によるエンジン。ランプレディはアバルトの社長に就任し、その最初のプロジェクトが037ラリーの開発となった)が選ばれ「アバルト」自製によるヴォルメトリーコ(ルーツ式スーパーチャージャー)で過給されるものとなっている。ボディは「ランチア・モンテカルロ・ターボ」と同様に「ピニンファリーナ」によりデザインされるとともに、風洞を用いた入念な空力開発が行われラリー仕様で用いられた大きなリアスポイラーを付けた状態でCd値0.38を達成している。またラリーでの整備性を考慮し大きく開く軽量な樹脂製の前後カウルが採用される。デザインは「初代ランチア・イプシロン」や「916型アルファロメオgtv」のデザイナーとしても知られるエンリコ・フミアによるものとなる。開発の為、プロトタイプは「アバルト」のテストドライバーであるジョルジョ・ピアンタ(WRCドライバーのマルク・アレンやワルター・ロールと同等のタイムで走る事が出来るアバルトの開発ドライバー、後にアルファコルセの監督となり155DTMを勝利に導いた人物)による走行が繰り返され、1982年に入る頃にはランチア・ワークスドライバーのマルク・アレンによるテストで仕上げられた。ランチアのラリーチーム監督であるチェザーレ・フィオリオ(ランチアのラリーチーム監督としてランチア・ストラトス開発をプロデュースしWRCタイトルを獲得、1989年からフェラーリF1チームの監督となりフェラーリ640型による革新的ともいえるパドル・シフトの技術をF1界にもたらした人物)により1982年4月1日に「037ラリー」のホモロゲーション申請が行われた。「037ラリー」の「037」とは「アバルト」の開発コード「SE037」に由来するものとなる(アバルトが開発したクルマには開発コードが付与され、後任の「デルタS4」は「SE038」、「アバルト124ラリー」は「SE026」、「アルファロメオgtvカップカー」は「SE080」となっている)。ホモロゲーションを獲得して1982年5月のWRCの一戦となる「ツール・ド・コルス-ラリー・ド・フランス」に初めて参戦した「ランチア037ラリー」は、進化を続けて翌年のWRCではグループB仕様となった「アウディ・クワトロ」との一騎討を迎える。それぞれ5勝ずつの互角の争いを展開する中、2ポイント差という僅差でランチアは1983年のマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得することに成功した。イタリアの自動車製造にかかわる綺羅星のような技術者達が天塩にかけて開発した「ランチア037ラリー」はWRCでタイトルを獲得した最後の2WD車となった。「037ラリー ストラダーレ」に搭載されるエンジンは、水冷直列4気筒DOHC16バルブにクランクシャフト先端から、コックドベルトで駆動されるアバルト製ヴォルメトリーコ(ルーツ式スーパーチャージャー)を装備する、ティーポ232AR4とよばれるもの。ツインチョーク・ダウンドラフト型40DCNV15/250ウェーバーキャブレターを備え、ボア×ストローク84mm×90mmで1995ccの排気量をもち、7.5の圧縮比から最高出力205馬力/7000rpmと最大トルク23kgm/5000rpmを発揮する。「131アバルトラリー」と同じアバルト製16バルブヘッドを装備したエンジンは、リアカウルごしに60年代の「アバルトOT1300」の様に「ABARTH」と鋳込まれたエンジンヘッドと、官能的な曲線をもったエグゾーストマニフォールド、アバルト製ヴォルメトリーコが配置された魅力的な光景を目の当たりにする事が出来る。ラリー用にチューンされたコンペティション仕様では、300馬力/8000rpm以上に達するこのエンジンは、ストラダーレであっても潤滑系はドライサンプ式となり大型オイルクーラーをフロントに備える。クラッチ径は230mmの乾式単板となり、ZF製5DS25-2型という5速マニュアルトランスミッションと組み合わされている。このZF製トランスミッションは、デ・トマソ・パンテーラやBMW M1にも使用されているもの。︎足回りは、フロント・リアともにダブルウィッシュボーン式となる。「ストラトス」での反省により「037ラリー」のサスペンションは、設計の自由度が高くとられ、調整範囲も広く設定されている。前後ともにサスペンションアームのボディ側取り付けポイントが、アッパーアーム側4段階、ロワーアーム側2段階の変更が可能となり、サスペンションジオメトリーに影響を与える事無く、ロードクリアランスを調整することが可能となっている。また「037ラリー ストラダーレ」に於いてもサスペンションピボットは、スフェリカルジョイント(=ピロボール)が多用されている。フロントサスペンションはロアアームが鋳造である以外、直径25mmのパイプ製となり、ビルシュタイン製ガス式ショックアブソーバーを備えスタビライザーを装備する。リアサスペンションは、オフロードレース用のバギーのリアサスのテクノロジーを応用したものとなり、広範囲に動く事で路面をトレース出来るように設定され、ツインプログレッシブスプリングとツインのビルシュタイン製ダンパーを装備する。ブレーキは前後ともにベンチレーテッドディスクとなり、前後共通のアルミ製シングルポッドキャリパーが組み合わされる。このキャリパーは本来フォーミュラーアバルト用でブレンボ製となる。ホイールは3ピースのスピードライン製で、フロント8J×16、リア9J×16となり、組み合わされるタイヤはフロント205/55VR16、リア225/50VR16サイズの「ピレリP7ラリー」となっている。インテリアは、ホモロゲーションモデルらしく、派手な演出は控えてスパルタンな仕上がりとなっている。「ストラダーレ」といえども公道を走れるレーシングカーと感じられるのは、ドアを開けてサイドシルの上方15cmくらいの所にロールケージが横切り、それを乗り越えてたどり着くシートは、ベースとなる「ランチア・モンテカルロ」と共通の形状となっている。しかしシート表面に用いられる素材はゼニア製ウールからコーデュロイ素材に変更され、アクセントに赤いパイピングが用いられている。ポジションはイタリア的でアルミ製ペダルに足を合わせると、アバルト製3スポークステアリングは、やや遠くなる。インパネの素材は黒染めされたアルミ製となり、そこに大小7つのVeglia製メーターが機能的にレイアウトされ、センターコンソールには、ヒューズボックスの代わりに16個のサーキットブレーカーが整然と並んでいる。Aピラー、ルーフの縁の部分を通ってロールバーが配されリアのサブフレームに直結されている様を見ると、どれだけフレームを強化したかったのかが良くわかる。コックピットの上にはいかにもアバルト風の「ダブルバブル」形状のFRP製ルーフが取り付けられるが、これは長身のワルター・ロールがフラットルーフのプロトタイプをテストした際、ヘルメットが干渉したために、この形状に変更されたといわれている。デザイン面だけでなく、機能面での配慮も怠りなく考えられ車両がつくられている事が感じられる。全長×全幅×全高は3915mm×1850mm×1240mm、ホイールベース2440mm、トレッド前1508mm、後1490mm、燃料タンク容量70ℓとなっている。車両重量は1170kgとなり、ベースとなる「ランチア・モンテカルロ」より約200kg重くなる。この重さの多くの部分をボディ強化の為に使い、ラリー仕様では外板をカーボンファイバーやケブラーに変更し、チタニウム合金を多用する事で1000kg以内に抑えられているという。生産台数は200台とされるが、そのうち「ストラダーレ」は150台となり、50台がWRC用に使用された。新車時価格は、日本正規ディーラーのガレーヂ伊太利屋では980万円とされ、14台が正規輸入された。メーカー公表性能値は0→100km/h加速7.0秒、0→400m加速15.0秒、0→1km加速27.4秒、最高速度220km/hとなる。カーグラフィック誌による実測値は0→100km/h加速8.9秒、0→400m加速16.2秒、0→1km加速29.9秒、最高速度217.4km/hで、ウェット路面での計測値となっている。︎現在の目で見ると実に小さく、低く、流麗な「037ラリー ストラダーレ」は、ラリーの為に生み出されたクルマとして、ダイナミックでありながも美しささえ感じさせる見紛うことなきランチアの成り立ちをもつ。ドアを開き乗り込んでエンジンを始動させると、そのイメージと異なりアイドリング時のエンジンノイズは比較的静かなものとなる。それほど重くないクラッチを踏んで正確なギアレバーで1速を選んでクラッチをミートすると、エンジンは低回転域から信頼出来るトルクを発生してくれる。軽快感はあまり感じられないかもしれないが、硬めの乗り心地ながら普通に流して走行することも出来る。1170kgのボディに205馬力のエンジンなので、驚く程の加速感は得られない。スーパーチャージャーがエンジン回転数に頼らず均一なトルクを生み出してくれるので、どの回転数から踏んでも踏んだ分だけ好ましいレスポンスをドライバーに返しながら加速を楽しむことが出来る。トルクカーブはフラットで2ℓ・4気筒とは思えないくらいスムーズに気持ち良く回転を上げていける。コーナーリングはリニアでナチュラルな感覚をステアリングに返してくれるので、鋭いターンインやリアのブレイクを恐れる走りとはならない。このクルマの本領は、このしっかり強化されたシャーシに300馬力以上のエンジンを搭載したコンペティションモデルで発揮されるように仕立てられているのだと思う。開発者のセルジオ・リモーネは「037ラリー ストラダーレは、一般の公道上の真正レーサーでなければならない。正確でエキサイティングなドライブ・エクスペリエンスが得られるように、ツール・ド・コルスのスペックを採用している」と語っている。「アバルト」「ピニンファリーナ」そして「ランチア」による奇跡のコラボレーションモデルとなる「037ラリー ストラダーレ」は、ホモロゲーションモデルでありながらも、時が経ってもその全く魅力を失う事は無く、これからもWRCの伝説の一台として輝き続ける事だろう。その中でも今回入荷した車両は正規輸入された14台のうちの大変希少なワンオーナー車となっている。