イニチェンティミニ
デトマソ
イタリアのイノチェンティ社は、創業者フェルディナンド・イノチェンティにより1920年に鉄製品の加工をメインとしながら創業開始し、その一歩を踏み出した。第一次世界大戦後にローマに誕生したこの会社は、工事現場用の足場に使うスチールパイプを製造し、1933年になるとそれを組み上げる為のクランプの発明により大きな成功をおさめた。第二次世界大戦後には、経済復興とモータリゼーションの高まりを感じたフェルナンドは、スクーターの製造を思い立ち、戦争のダメージを負ったローマの工場からミラノのランブラーテという土地に移転する。工場を新設したイノチェンティ社は、その土地の名前から「ランブレッタ」というブランドで、得意とするスチールパイプの技術をスクーターのフレームに活かして、スクーター製造業に進出し、1947年10月「ランブレッタ125M」を発売した。スクーターの製造で大成功をおさめたイノチェンティ社ではあったが、戦後復興が進む50年代後半になると、徐々に豊かさを取り戻したイタリア国内では「フィアット500/600」などの小型車が台頭し、スクーターからの乗り換えが多く見られる様になった。そこでイノチェンティ社は、1958年に自動車市場への参入を決定する。イタリアで小型大衆車の圧倒的なシェアをもつフィアットに、正面から対峙するつもりは全く無かったイノチェンティ社は、英国のBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)を提携先として選んだ。イノチェンティ社は、1961年にBMC傘下に入ると、1964年には「ADO16」をベースとする「IM3」を発表する。オリジナルの「ADO16」のボディはカロッツェリア・ピニンファリーナによるデザインとなるが「IM3」は、このピニンファリーナによりフロントマスクを始めとするリデザインが行われ、インテリアもイタリア車らしくアレンジが施されたモデルとなっている。その翌年の1965年には、市場拡大を狙って「ミニ」の生産を開始する。イノチェンティ社製の「ミニ」は、生産初期モデルだけ、英国・ロングブリッジ工場から送られた部品をBMCから購入し、ミラノの工場で組み立てる方法で生産された。しかしコストの関係から、すぐに電装品、ホイール、ウィンドウなどのコンポーネンツの多くがイタリア国内産とされた。イノチェンティ社により生産される「ミニ」はオリジナル同様、上質な小型車としての成り立ちをもち、革新的な小さく広いボディは魅力に溢れ成功を約束されている様に見えた。ところが充分な成功を収める前に、強力なライバルが登場する。イタリアの巨人・フィアットが1969年に送り込んできた「アウトビアンキA112」だった。このモデルも上質な小型車として誕生した経緯をもち、1971年にはスポーツモデルのアバルト版も加わりラインナップを強化していた。この「アウトビアンキA112」の登場により、イノチェンティ社はアレック・イシゴニスによるデザインの「ミニ」と訣別する事とし、新たなボディデザインをカロッツェリア・ベルトーネに依頼する。1974年10月にお披露目された新型は、直線的なラインを特徴とする僅かに拡大されたボディをもつ「イノチェンティミニ90/120」となり、ベルトーネ在籍のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが担当したデザインとなる。跳ね上がったルーフ後端部をアクセントに持つモダンなボディと、ホイール/タイヤはそれまでの10インチから12インチ化されたが、搭載されるエンジンはそれまでと同様に、オリジナル・ミニのBMC-Aタイプを搭載。998cc/49馬力(ミニ90)と、1275cc/65馬力(ミニ120)が、ラインナップされた。しかし、翌年の1975年夏になると親会社のBLMC(BMCは1966年にジャガー社を合併しBMHとなるが、1968年には商用車の製造をするレイランド・モータースを加えBLMCとなった)が、財政危機にみまわれ国有化される流れの中で、イノチェンティ社は放出される事となる。倒産へと向かうイノチェンティ社の救済の為に、イタリア政府とGEPI(産業経営参画会社)が間に入り、その経営はアレッサンドロ・デ・トマソに任される事となる。アルゼンチンに生まれたデ・トマソは、自身の名前を冠したスポーツカー・メーカーをモデナに設立し、常に自動車への強いパッションを持ち続けてきた人物で、そのグループ傘下には、親会社シトロエンの経営難により資金繰りに行き詰まったマセラティ社を抱え、その再生を思案していた。イノチェンティ社も自身のグループ傘下としたデ・トマソは、会社を存続すべく「アウトビアンキA112アバルト」や「ミニ・クーパー」に対抗する高性能小型モデルの開発を指示する。そして1976年秋のトリノ・ショーで発表されたのが「イノチェンティミニ・デ・トマソ」となる。「デ・トマソ」の名称は既に「マングスタ」や「パンテーラ」によりスーパースポーツの領域に確たる地位を築いていたので、最高速度160km/h以上を誇るスーパー・ミニの高性能を誇示するのに相応しいネーミングとなっている。基本的なボディ骨格はガンディーニ・デザインの「イノチェンティミニ」そのままとなるが、そのイメージは大きく異なる。フォグ・ランプが埋め込まれたエアダム・スポイラーを一体型としたフロントバンパーを装備し、エンジン・フード上にはエアスクープがレイアウトされる。フロントグリルは独自の網目形状とされ、小型車ながら迫力ある顔つきの“ボーイズ・レーサー”ぶりが強調されたエクステリア・デザインとされた。リアバンパー下からはツインの排気管が顔をのぞかせ、ベースモデルとは異なる高い性能をもつ事をアピールした。この成り立ちは、60年代にオリジナル・ミニ・クーパーに端を発し、70年代には「フォルクスワーゲン・ゴルフGTI」や「ルノー5アルピーヌ」が主流となり、ヨーロッパ自動車メーカー各社が開発に乗り出した“ホット・ハッチ”のブームとも一致。本来ファミリーカーとして開発された、前輪駆動のハッチ・バック・モデルをベースに性能・外観ともにスポーティに仕立て、そのパフォーマンスが比較的安価に入手出来ることから注目を集め、ヨーロッパ各地でワン・メイク・レースが開催されるなど人気のカテゴリーとなった。「イノチェンティミニ・デ・トマソ」の輸入が始まった70年代後半の日本に於いては「ミニ・クーパー」や「ゴルフGTI」が注目を集めていたが、それを日本流にアレンジし、1980年6月に発売された5世代目「マツダ・ファミリア」のヒットがきっかけでハッチバック・ブームが始まる。「フォルクスワーゲン・ゴルフ」が輸入車の中では人気となり「イノチェンティミニ・デ・トマソ」は「ミニ・クーパー」の派生車種として一部のマニアに指示される。その中で「アウトビアンキA112アバルト」が人気を集め始めたのをきっかけに、本格的なホット・ハッチ・ブームを迎え「ルノー5アルピーヌ・ターボ」「プジョー205GTI」「フィアット・ウーノ・ターボ」等が販売を伸ばし、1980年代後半には輸入車の販売台数が10万台を超えてバブルの時代を迎える事となる。︎「イノチェンティミニ・デ・トマソ」が搭載するエンジンは、BMC・Aタイプをベースとするオール・スチール製の、水冷直列4気筒OHVで、ボア×ストローク70.64mm×81.33mmから1275ccの排気量を得る。9.75の高い圧縮比と、1基のHS6型(1-3/4インチ径)SUキャブレターを装備して、最高出力はDINで74馬力/6100rpm(SAEでは77馬力)、最大トルク10.2kgm/4500rpmを発揮する。これはツインSUキャブレターを装備するオリジナル・クーパーSにはやや劣るが、イノチェンティ・クーパーよりパワフルなチューニングとなる。組み合わされるギアボックスはイノチェンティ・クーパーと共通となり、オリジナル・クーパーS用よりは1、2速が僅かにワイド・レシオの4段フルシンクロのマニュアル・トランスミッションとなっている。︎足回りは、フロントが上下不等長のトランスバースリンク式、リアがトレーリングアームによる4輪独立式となり、オリジナル・ミニ同様、ラバーコーン・スプリングが採用されている。スタビライザーを持たない設計ながら、硬めのラバーコーン・スプリングが採用されていることでロールが少なく抑えこまれた、アンダーステアが強めのコーナーリング特性をもつ事を特徴とする。ブレーキはフロントにソリッドタイプのディスク式、リアはドラム式となるが、オリジナル・クーパーSやイノチェンティ・クーパーとは異なりサーボを装備していない。それでも踏力は重くなく、フェードの兆候は見せずに安定した制動力を発揮する。ホイールは4輪ともにこの時代らしいデザインが施された4.5J×12インチ・サイズのアルミ製で、155/70-SR12サイズのミシュランZXタイヤが組み合わされている。︎オリジナル・ミニに比べると、モダンに仕立てられたインテリアは、ファブリック張りのシートやドアトリムにより、すこぶる豪華な印象となっている。オリジナルデザインの2スポーク・ステアリングを通して正面のメータークラスターには、ブルーの盤面をもつ6個のメーターが並び、径の小さい左上のメーターから時計回りに、電圧、油圧、水温、燃料となる。そして大径の、左側に180km/h迄のスピードメーター、右側に8000rpm迄のタコメーターがレイアウトされ、この2つのメーターはそれぞれ逆方向に回転する構造をもつ。メーター類はイェーガー製が採用されている。ファブリック張りのシートは、良好な座り心地をもつフル・リクライニング式のバケット・タイプとなり、ひどく起き上がったステアリング・ポストと内側にオフセットされた、3つのペダル類の配置が、その出自を偲ばせる。オリジナル・ミニと大きく異なるのは、ルーフ後端部を跳ね上げたデザインとすることで、開口部を大きく設計されたテール・ゲートを装備するところで、容易に荷物の出し入れが出来る上に、リア・シートを折り畳む事により、搭載量を増やす事が可能となっている。このサイズのボディでリア・シートが使える所は、オリジナル・ミニから引き継いだ大きな長所となる。︎全長×全幅×全高は、3130mm×1524mm×1380mmで、ホイールベースは2040mm、トレッド前1255mm、後1250mm、車両重量750kgとなる。燃料タンク容量は38ℓとオリジナル・ミニから僅かに拡大され、新車時ディーラー価格は298万円となっている。メーカー公表性能値は、最高速度160km/h以上、0→1km加速は32.5秒(ちなみにアウトビアンキA112アバルトは33.5秒)となっている。︎直線基調でデザインされた、ブラックアウトされた網目のグリルや、ボディ下半分をマットブラックに塗り分けられたボディは、小さいながらもデ・トマソ製のスーパースポーツ「パンテーラ」を想像させる。ドアノブに手をかけ、小さなドアを開いてシートに腰を下ろすと、外観から想像する以上に、遥かに広いキャビンの造りとなっているのがわかる。キーを捻ってエンジンをかけると、イタリアンGTの様なサウンドを響かせるが、ドライビング・ポジションとダイレクトなエンジン・レスポンス、ストロークの短いクラッチ・ペダルによるやや唐突にスタートする感覚は、まさしくオリジナル・ミニ・クーパーそのものとなる。比較的ロー・ギアードで、クロス・レシオの4段ギアボックスを操作しながら走らせると、活気あふれる鋭い加速感を味わえる。低速域でのフレキシビリティーに不足は感じられないが、3500rpmから上で強まるトルク感と、そこから6000rpm以上まで盛大なサウンドを響かせながら回りきるエンジンを体感してしまうと、どうしてもそれをまた味わいたくなってしまう。イタリア製ツインカムの様な高回転での炸裂感こそ無いけれど、広いパワーバンドにエンジン回転をキープしている限り、小さなボディが弾ける様に加速する。高速クルージング時も、耳障りなこもり音が発生しないので、数あるこの時代のこのクラスのライバル車に比べ、快適性は高く感じられる。ロック・トゥ・ロック2.5回転とクイックなレシオをもつステアリングを操作してタイトコーナーに飛び込んでいくと、ロールは少ないが明確にアンダーステアを感じさせ、急にスロットルを閉じると唐突にタックインやテールスライドを誘発する。少し走り込んで、この性格を理解し、それを利用するテクニックを身につけてしまうと、ハイスピードでのコーナリングが可能となる。こういった場面でもブレーキは、フェードの兆候を見せずに常に安定した制動力を発揮してくれる。見た目は地味でもホールド性が高く座り心地の良いシートに身を任せて、ノンパワーのステアリングとの格闘を続けていると狭い山道も広く感じられ、まるでカートで走っている様な感覚が芽生えてくる。実際のスピードは低くても、クルマとの強い一体感と操作感、そしてエンジンを回し続けることで得られる充実感は、安全装置に守られた現代のハイパワー車ではなかなか味わう事が出来ないものとなっている。ダイレクトなドライビング感覚が得られる、この時代のヨーロッパ製の小型車は、デザイン的にも見るべき個性をしっかりと持ちつつ、シンプルな成り立ちから軽量に作られている。それ故の儚さもあり現代では希少な存在となってしまったのかもしれない。今回入荷した「イノチェンティミニ・デ・トマソ」の様に、1979年型で、走行距離が僅か75kmの車両なんて、夢の様な存在と言わねばならない…