サイズ
長 417.0 cm 幅 165.0 cm 高 125.0 cm
︎50年代、メキシコの公道を舞台に行われていたスポーツカーレース、カレラ・パナメリカーナ。その1954年に「ポルシェ356」が優勝したのがきっかけとなって「カレラ」の名称が車名として使われる様になり、1955年に登場した「356A/1500GSカレラ」をはじめ「カレラ・アバルト」や「カレラGTS=904」を経て「カレラ6=906」へと続く。一方「RS」はドイツ語の「Renn Sport=レーシング・スポーツ」を意味する頭文字となり50年代に活躍した「550A/1500RS」や、その発展型「718RSK」に用いられた。その2つのキーワードを356シリーズから911シリーズにモデルチェンジした後、与えられたのが1973年型「911カレラRS2.7」である。1972年10月のパリサロンでホワイトのボディにブルーのストライプ、ブルーのホイールのモデルが「914 2.0」や「911タルガ」と並べられショーデビューをはたす。︎60年代後半から70年代初頭にかけてポルシェは一連のミッドシップ2シーターのレーシングカーによりスポーツカーレースを席巻し、その技術力を世界にアピールしてきた。しかし70年代中盤になると、創立以前から一心同体であったフォルクスワーゲンとの関係が、新社長ルドルフ・ライディングにより変化を見せ始める。それは、フェルディナント・ポルシェの友人であり崇拝者であった前社長ハインツ・ノルトホフの時代には「ビートル」1台売れるごとに、設計者たるポルシェにロイヤリティが支払われ「ポルシェ914」プロジェクトも誕生した。それがノルトホフの急死により、「914」プロジェクトからの撤退と、ポルシェ開発による「ビートル」の後継車となる「フォルクスワーゲンEA266」もキャンセルとなり膨大な損失を被ることとなった。1972年をもってポルシェ一族が会社経営から身を引いた事で、新社長に就任した911開発者のエルンスト・フールマンはレースカー開発資金の縮小と911販売拡大を考え、レース活動の中心を911主体によるGTカーレースに絞る方向とした。幸いにもFIA(国際自動車スポーツ連盟)は、1975年からスポーツカー選手権タイトルを公認GTカーベースのレーシングカーに与える内定を下した事で、無敵だった「917」で勝利を重ねる事は叶わない状況の中での事だった。︎ポルシェは既に1972年から施行される北米でのマスキー法(大気浄化法改正案)への対応として2.4ℓエンジンによる低圧縮比エンジンの研究開発を進めていた。ここにフールマン新社長のGTカーレースプロジェクトが加わり、ストロークは2.4ℓエンジンの70.4mmとし、ボアを鋳鉄ライナーでは実現で出来なかった6mm拡大を「917」で開発したアルミシリンダーを用いる事で可能とした2687ccエンジンで、12ヶ月間に500台生産し、FIAグループ4の公認を受ける事とした。この2687ccエンジンは、カナディアン・アメリカチャレンジカップ用として開発された1100馬力を発揮するレーシングカー「917/30K」の空冷水平対向12気筒5374ccエンジンと同じボア・ストロークを持ち、ちょうど半分の水平対向6気筒エンジンとなっている。スタンダードで2.5ℓを越える排気量としたこのエンジンにより、FIA規則のクラス区分で3ℓまで拡大することが可能となる。「カレラRS2.7」に搭載されるエンジンは空冷水平対向SOHC6気筒となりボア・ストローク90.0mm×70.4mmで、2687ccの排気量をもつ。ボッシュ製機械式インジェクションシステムを備え8.5の圧縮比から最高出力210馬力/6300rpmと26.0kgm/5100rpmの最大トルクを発揮する。同年式の「911S」と同じピストンを用い、同じバルブサイズやバルブタイミングとしながらも、レーシングカーである「917」で実証されたニッケルとシリコン合金をアルミシリンダー内側に蒸着させたマーレ社による「ニカシルシリンダー」を採用。これはクロームメッキと同等の厚さながら、炭化ケイ素を含む事で遙かに強く、ニカシル層は特別な処理を施さなくてもオイル膜を保持出来る特性を持っている。組み合わされる5段ギアボックスは、短めのレバーをもちシフトパターンも通常の1〜4速でH型となる。4速と5速のレシオが少し速められたうえで、ファイナルは「911S」と共通となるものが用いられた。サスペンションは前マクファーソンストラット式、後セミトレーリングアーム式とし、トーションバー・スプリングが装備されている。またショックアブソーバーはビルシュタイン製となり、ポルシェ初となる軽量なガス圧式となっている。スタビライザーはフロント18mm、リア19mmに変更・強化された。4輪ベンチレーテッド・ディスクは「911S」と共通。FUCHS製アルミホイールサイズとタイヤサイズは前輪は、6J・185/70VR-15ながら、後輪は広げられたリア・フェンダーに7J・215/60VR-15のピレリ製CN36が装着された。この足回りによりノルベルト・ジンガーによるテストでコーナリング速度は0.912Gを記録し、当時の市販ポルシェの中で最も高いコーナリングGを記録した事となる。エクステリアで目を引くのは、FRP製のエンジンフード一体型ダックテールスポイラーとフロントバンパー下のエアダムはポルシェが初めて採用したエアロダイナミック専門家のティルマン・ブロードベックによるもの。様々なテストを行う中で、ドラッグ係数とリアエンドのリフト量を低減させるだけでは無く、車体後部の揚力も低減させながらエンジンルームへの空気の流れも改善されエンジンの油温を抑える効果を得られたといわれている。︎全長×全幅×全高は4102mm×1652mm×1320mmでホイールベース2271mm、トレッド前1372mm、後1368mm、車両重量1075kg(ツーリング・モデル)となっている。燃料タンク容量は85ℓとなり、これはスペアタイヤがグッドリッチ製のテンパータイヤ採用により、85ℓの樹脂タンク搭載が可能となったことによる。デビューを飾ったパリサロン終了後、一週間でアナウンスされた500台の「カレラRS2.7」は完売し、その後の増産により計1580台が生産された。その結果FIAグループ3(量産GTクラス)の公認も受ける事が出来た。「カレラRS2.7」の新車時車両価格780万円。ちなみに「911S」は640万円、当時の日本車では「トヨタ・クラウン2600ハードトップ・スーパーサルーン」が160万円前後、「日産・スカイラインGT-R(ケンメリ)」が162万円という時代だった。「カレラRS2.7」のメーカー公表性能値は0→100km/h5.8秒、0→1000m25.4秒、最高速度245km/hとなっている。カーグラフィック誌による実測値は0→100km/h6.0秒、0→400m14.4秒、0→1000m26.3秒(1984年1月号)。「カレラRS2.7」には4種のバリエーションが存在する。①RSHと呼ばれるホモロゲ取得用モデル。ボディ各部に通常使用される0.88mm鋼板を0.8mmにして軽量化。フロント&リアバンパー、ダックテール&エンジンリッドが樹脂製。フロントウィンドウ&リアサイドウィンドウが薄いグラバーベル社製、フロントサイドウィンドウ&リアウィンドウも薄いセクリット社製。ドアハンドルはレザーストラップ、室内のグローブボックスや時計、アームレストを省略、軽量バケットシートなどの様々な軽量化により、960kgを達成。(17台)②ライトウェイト(M471)と呼ばれるRSHにリクライニング機構付きの助手席やグローブボックス、フロアカーペットなど一般販売の為の最小限の装備を備えた仕様で975kg。(200台)③ツーリング(M472)と呼ばれる、カレラRSの中核となるモデル。スポーツの装備にプラスして、アルミ製サイドシルカバーが付き、リアバンパーはスチール製となる。レカロ製のリクライニング可能なバケットタイプのシートが装備される。各ウィンドウも通常の911と共通で、911Sと同じ1075kg。(1308台)④RSR(M491)チューンナップされた2.8Lエンジン搭載。(55台)カレラRSは1972年10月から1973年7月の間、製造される中で速度計の表示変更(250km/h→300km/h)や時計・オイルメーターのロゴ変更、ボディ各部の使用鋼板の厚み変更(0.8mm→0.88mm)、クランクケースのマグネシウム製→シルミン製、リア・ダックテールスポイラーのベースフレームのアルミ製→スチール製など細かく変更されていたようだ。「カレラRS2.7」のエンジン始動は、エンジンが冷えている時には長めのクランキングが必要になる。だが必ず最初のトライで爆発的にエンジンは始動する。いかにもフライホイールの極端に軽い、レーシングエンジンの様に回転は右足の動きにシャープに反応する。吹け上がりでは「2.2ℓ」エンジンの方がシャープかもしれないが、「911S」に対して圧倒的な加速性能を持つうえに、柔軟性も併せ持ち高速時のみならず、街中での低速時のドライバビリティも高いのが特徴。またボディの軽さを実感出来、細身で小径のステアリングホイールも軽く、ロールを感じさせずに路面に貼りついた様なコーナーリングが可能となる。エンジンの切れ味に負けないくらい、コーナーリングもシャープに感じられ、四輪ベンチレーテッドディスクを備えるブレーキは強力かつコントローラブルで信頼感に溢れた減速を可能とする。低速時に乗り心地は相当硬く上下に揺すられるが、60km/hを越えるあたりから、フラットなポルシェらしい快適さを取り戻す。「カレラRS2.7」のエンジンは4000rpmを越えるとレーシング・ポルシェを思わせる名状しがたい快音に変わり、溢れ出したパワーは7000回転を超えてリミットまで衰えない。ホモロゲモデルでありながらも、硬派な高性能ロードモデルとしても魅力に溢れた走行性能を存分に味わう事が出来る。走行ノイズは軽量化されている割には、長距離移動も苦痛にはならないことから、これはエンジンがドライバーから遠くなる RRレイアウトの利点と言えるかもしれない。この「カレラRS2.7」の登場によりFIAの認可を取得して開発されたレーシングカーの「ポルシェ・カレラRSR」の活躍は、ポルシェ社の目論見通り凄まじく、1972年2月のデイトナ24時間レースでは「フェラーリ・デイトナ」や「シボレー・コルベット」を退けて総合優勝。続く3月のセブリング12時間レースではクラス優勝を飾り、スポーツカー世界選手権としての最後の開催となった1973年タルガ・フローリオでもアルファロメオ やフェラーリを相手にマルティニ カラーの「カレラRSR」は勝利を掴み、ジャイアントキラーの異名を欲しいままにした。綺羅星のごとくスポーツカーが数多く存在する時代の中で「ポルシェ911カレラ2.7」は一際強い存在感を示したモデルといえるだろう…